kisses.【栄口総受】
10 これがきっと最後になる (阿部×栄口)
二人だけの、春休み。
オレにはアイツしかいなくて、アイツにはオレしかいなかった。
春休み。西浦でも野球をやらないか、と阿部に誘われて、大部分の時間をオレたちは今年硬式になると言うグラウンドの整備に費やした。
もちろん、合間にキャッチボールをやったり、鈍った身体を戻すためのトレーニングをしたり──二人しかいなかったけど、それは楽しかった。
中学の卒業式が終わって、約3週間の二人だけの時間。それは、オレたちの間に奇妙な連帯感を生み、やがて、それは形を変えていった。
「阿部っ、誰か、きたら──っ、」
ベンチの影で後ろから抱きすくめられる。ほとんど身長の変わらない阿部の息が首筋にかかって、背筋がぞわりとする。
「誰も……こねーよ。こんなトコまで。」
今年度から顧問になるという志賀先生は、新年度の準備だとかで職員室にこもりきりで。監督になる百枝さん、は今日はバイトがあるとかで先に帰っていた。
「でも…っ、」
互いが互いを必要とすることに酔っていた。
お互いがなくてはならないヒトだって、そう思い込んでいたんだ。
抗議するために振り返った瞬間を狙って、口唇を塞がれる。
「んぅ…っ、…ん──、」
初めはただ、がむしゃらに舌を絡ませるだけだったキスも、回数を重ねるうちにお互いを高め合えるようになった。
「ふ…っ、は、ぁ…ッ、……あ、べ……もぅ…ッ」
阿部に取りすがって、ねだる自分も。
「……部室、行くか…?」
そんなふうに低く囁く阿部も。
ひたすらに躯を重ねることを、愛だと勘違いしていた。
夏大が始まった。
初っぱなに前年度優勝校を引き当てたオレたちは、中学の時とは比べ物にならないほどの練習量を日々こなしていた。
たまたま、部室で一人だったところに、たまたま、次に入ってきたのが阿部だった。
「栄口、」
オレの顔を見てバツが悪そうにしているのは、オレより大切なヤツができたから。オレとの関係は恋や愛なんかじゃないと気づいたから。
「なんか、二人きりって、久しぶりだね。」
直に、他の部員もやって来るだろう、仮初めの二人の時間。
「あー、そう、だな。」
目をオレから逸らすのは、後ろめたいからだろ?
阿部は、優しいから。
絶対に、好きなヤツができた、なんて言わないだろ。
そもそも、オレたちだって、そんなふうに言葉にして告げたことなんかない。
だから。
もう、解放してやるよ、阿部。
「あのさ。」
「ああ?」
不機嫌そうに返事をするのは、阿部の癖みたいなものだ。こんなふうに、オレだけが知っている阿部がたくさんある。
「終わりに、しよっか。」
何が、とは訊かない。
そんなの、口にしなくても分かってるから。
「……わりぃ。」
謝んないでよ。せめて、間違いなんかじゃなかったって、思いたいから。
「阿部のためなんかじゃない、から。」
そうだよ。お前のためなんかじゃ、ない。
「手のかかるおっきな犬がいるからね。あいつ、オレじゃなきゃダメなんだ。」
オレは苦笑しながら言った。
ホント。オレを必要としてくれるあいつに、全部委ねてみようかと思うんだ。
「……そっか。」
阿部も、オレが誰のことを言ってるのか分かったみたいで。ぎこちなく、口許に笑みを浮かべた。
「だから──おしまい。」
言いながら、オレは阿部の頬に触れて、触れるだけのキスをする。
これで、終わり。きっともう、そういった意味で阿部と触れることはないだろう。
「ねぇ、阿部。オレ、お前のこと、ホント好きだったんだ。」
口唇を離して、大好きだった黒い瞳を覗き込んで言う。
「さかえ──」
「ちーっす!! あ、栄口ッ、聞いてよっ! 阿部が酷いんだよーう!!」
阿部が何か答えようと口を開いたそのタイミングで、部室に飛び込んできたふわふわの茶色い頭。
ったくなんでこんなタイミングで来るんだか。
「──誰が酷いってぇ……?」
「え? って、うわっ! 阿部ッ?!」
見慣れた光景を、オレは笑みを浮かべて見つめる。逃げる水谷を追う阿部。じきに他のヤツラも集まってきて。一気に部室の中も騒々しくなる。
ねぇ、阿部。
オレたちもう、二人じゃないよ。
大切な仲間と、大切な人と。
きっと前に進んでいけるから。
ねぇ、阿部。
それはきっと、終わりじゃなくて、はじまり。
作品名:kisses.【栄口総受】 作家名:りひと