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通りすがりの

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『通りすがりの』 

「へえ、鋼の錬金術師?」
ざわめきに満ちた室内で、その声はよく通り、私の耳に届いた。
慣れないセントラルで今ひとつ落ち着かない気持ちだったから、その親しみのある名詞が私の感心を引いたのかもしれない。
「さあ、知らないなあ?同姓同名じゃねーの?」
視線を上げると受付のカウンターに軽くもたれた青年の後姿。うなじの上でひとくくりにした金髪。
歯切れのいい声が続く。
「は?空っぽの鎧?おっさん夢でも見たんじゃねーの?んなのありえねーよ」
そうだ、確かにありえない。常識で考えれば。
「なあ?」
少年は、隣りに立つ人物に同意を求める。同じ金髪を、こちらは短くした青年。
「うーん、どうだろう?不思議なことって色々あるしね」
連れの言葉をさらりと流し、穏やかに受付の男に何か話している。内容は聞き取れないが、まあ手続きの進捗を尋ねているのだろう。お役所仕事は待たされるものだ。聞かれた受付係も肩をすくめている。
「はー…まだなのかよ」
「兄さんはほんとせっかちだよね」
苦笑気味に横を向く。
横顔。
初めて、見た。
そうか。そうか!
私は胸に湧き上がる興奮を収めるのに苦労した。
あれが、あの、鎧だった少年か!


私はイーストシティーの憲兵で、今日は書類の提出にセントラルに来ていた。
忘れもしない。もう何年前になるか。あの雨の日の事件。
焔の大佐がひどく恐ろしい顔で、緘口令を敷いた。
話すもんかね。イーストシティーの住民なら、誰もが知っている焔の錬金術師。その技。憲兵なら尚更。
消し炭にされるなんざ御免だ。
それに。
空洞の鎧。
なあ?それのどこがそんなに特別なんだ?
錬金術師は突拍子も無い輩だ。常識なんざありゃしない。
指先を弾くだけで爆発が生じ、両手を合わせるだけで槍やら壁やらが生まれ、殴るだけで岩の破片が武器と化し、それを払えば粉々に砕ける。
そんなものを目の当たりにしてるんだ。鎧が喋るくらい、何てことは無いだろう?
だからあの小さい錬金術師といつも一緒の弟が、空っぽだったと知ったって、へえそうだったのか、くらいの気持ちしか起こらなかった。
それに。俺達憲兵は皆知っていた。彼は優しく賢く礼儀正しい少年だ。
だから、気のいい少尉さんの頼みとあれば、俺達は雨に濡れた石畳に散らばる鎧の破片を丁寧に一つ残らず拾い集め、麻袋に入れて軍司令部へ持っていったんだ。

どこからともなく聞こえる噂。ってことになっているけれど実は誰もが知っていた。鋼の錬金術師は自分と弟を元の姿に戻すために、旅を続けていることを。
そりゃあ、あんだけでかい態度で軍部に出入りしてるんだ、誰もが興味を持つじゃないか。
それに子供の声ってのはよく通るんだ。

そういや近頃、彼らの噂を耳にしなくなっていた。いや、最後に聞いた噂は。
「鋼の錬金術師はもういない」
嫌なフレーズだと、眉をしかめたものだ。

そうか、そういうことだったんだな。
ついに彼らは目的を果たしたんだ!
あの半壊した姿ですみません、とか律儀に頭を下げていたでっかい鎧は、本当は、あんな姿だったのか。
ごく普通の、少年。
まあウチのボンクラ息子とは比較にならんくらい見た目もいいが。


「おー!さんきゅー!」
髪の長い青年は、いや、エドワードは、あの時と比べるとずいぶん大人びた顔に、無邪気な笑みを乗せていた。
ようやく待っていた書類が出来たらしい。パスポートのようだ。
受け取る手は生身。左も右も。
アルフォンスも興奮気味の嬉しそうな笑顔で書類を眺め、ぺこりと受付の男に頭を下げると、先に立つ兄の後を追う。
「良かったね!」
「おう!これで堂々と国境を越えられるぜ」
「准将に感謝しないと」
「はは。そーだな」
兄弟は私の横を通り過ぎる。
だから私は声をかけた。
「よかったな」
兄弟は驚いて振り向く。その瞬間兄はすでに隙の無い表情で、ぎろりとこちらを睨む目は金色。
だが私は、少しも動揺しない。知っているからな。その鋭い目も。成し遂げる意思の強さそのままの。
エドワードは幾分怪訝な顔になり、もうひと睨みしてからさっさと背を向けた。ひとくくりにした髪がサッと舞う。ああ、背も伸びたなあと思う。
弟は戸惑った顔をしていたが、ふっと目元が穏やかになる。あるいは俺を思い出したのか?彼にとっては通りすがりの大人のひとりだろうが、でも、覚えていてくれたなら、嬉しい。
アルフォンスはにっこり笑うと言った。
「ありがとう」
そして兄の後を追う。
あの時と変わらず。
彼らは振り返ることなく、部屋を出て行った。
開いた扉から差し込む光が、やけにまぶしかった。


end



作品名:通りすがりの 作家名:utanekob