ノクターンが零れる
そんな前置きをして、臨也は帝人の手を掬い、そこに小さく口づけた。
「もしも世界に二人きりになったら、それでも帝人くんは俺の傍にいてくれる?」
それは小さな渇望であり、我儘であり、帝人には滅多に聞けない弱音のようにも感じられた。
時々、臨也が抱えているものが震えているのは知っている。知っているけれど、きっと聞いたところでいつもの笑顔でごまかされてしまうのだろう。それがいやで、帝人はいつも口を閉じてしまう。
分けて欲しいなんて思わない。それはきっと臨也にとって、とても大事なもので譲れない部分なはずだ。
けれどその一部を切り取り、飲み込んでしまいたい。その苦しみを少しでも感じられるなら、帝人はこの胸の衝動に名前をつけられると、そう思っている。
「臨也さん、」
「余計なことは言わなくていいから、必要なことだけ答えて」
振り落とされるのは、酷い言葉だ。冷たい、拒絶の言葉。
(こんな風に触れておいて、今更だ。今更なのに、貴方はまだ逃げようとするんですか。僕の手を握ったまま、どこへ行けばいいのかも、わからないくせに)
セックスをするのは実に簡単だ。
体を暴く快感も、暴かれる羞恥も、お互いもうとっくに味わいつくしている。
けれどその奥に落とされたものがどうしても欲しくて、必死に手を伸ばす。届かないのにもどかしくなり、諦めれば楽になれるはずだけれど、馬鹿の一つ覚えのように繰り返し、繰り返し。
余計なものなんて、本当はこの世界にありはしない。必要なものしか揃っていなくて、それを選んでいくだけの人生が与えられているのだと、帝人は気づいている。しかし臨也は認めようとしない。子供のようにただ、首を振って否定する。こんなんじゃない、こんなはずじゃない、と。
じゃあ正解を教えて欲しい。まだこの呼吸が続くうちに、貴方の答えを教えて欲しい――帝人はいつも思う。傷口は開いたまま、乾かない。
「この手を、」
帝人の手は、まだ臨也の唇に触れている。それが妙にくすぐったかった。甘い感覚なんて微塵も感じられないのに。
「この手を、僕が振り払えると思ったら、それは僕を甘く見てるってことですよ。臨也さん」
愛が見える目だったらよかった。そうすれば、きっと世界はキラキラと輝いて見えただろう。臨也の愛の形だって、きっと触れられた。
ないものねだりを承知で、帝人は願う。愛が欲しい、愛が欲しい、愛が欲しい。
この人の愛を、自分だけが独占して、すべて食べつくしたい。
「貴方が好きです」
伸ばされた手は、抱きしめられるためだと知っている。
帝人は抵抗することなく、その手に捕まった。臨也が輪郭をなぞると同時に、帝人も臨也を確認する。そこに滲んだ感情を、臨也は知っているだろうか。この色鮮やかで、尚且つどろりと歪んだ、この哀しい感情を。
「世界に二人きり、上等じゃないですか。いいですよ、臨也さんが選んでくれるのなら、二人で逃げますか」
「…それもいいね。どこに行こうか。帝人くんと一緒ならどこでもいいよ。ゆっくりのんびり、したいよね。田舎とかいいなあ。帝人くんの実家の近くとかは?何にもないだろうけど」
「貴方が何もないとか言うと無性に腹が立つので、そういうことは言わないでください」
世界に二人きりなんて、そんなことは無理だと重々だとわかっている。
けれどこの手は繋がれたままで、二人は同じ呼吸を零して生きている。