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僕のエフ・オー・エックス

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――どこだろう、ここは。

気が付けば闇の中、僕は一人横たわっていた。目の前に翳した自分の指さえ判別できない漆黒。意識さえ溶かしてしまいそうな暗闇…精一杯伸ばした腕が、何かに触れた。
がしゃん。
硬質な金属の音――長い、棒状のもの? それが沢山並んでいるらしかった。ぐるりと、円上に――……これは、檻だろうか。指一本しか外に出せないほどの間隔で並ぶ、執拗な拘束。
『出たい』
誰かが言った。僕だろうか。僕かもしれない。


『出たいの』
「出たらいいじゃない」
『じゃあ、出して』
「ごめんね。出来ないんだ」
男は深々とため息を吐いた。気が付けば僕を包む檻の遥か下、どこか見慣れた男が膝を抱えていた。漆黒の闇の中異様なくらいはっきりと男はいた。誰だろう、いつから居ただろう。サム、と誰かが彼を呼ぶ。


『出して、サム』


おねがいよ。檻がかしゃんと鳴った。サムが思わず、と言うように手を伸ばし、それから苦い顔できつく目を瞑る。
「行かないでおくれ。お願いだから」
『サム、』
「嫌だよ」
『サム…』
「俺はサムじゃない」
檻の中、紙のように白い腕が、ぼうっと幽鬼のように浮かび上がる。男が立ち上がって、踵を上げ、背を伸ばして、手を伸ばした。檻の中の華奢な腕が、サカナのように格子を抜ける。伸ばした手は届かない。掠りもしない。
「…行かないでおくれ」
男は往生際悪く言う。男はもう泣いていた。遥か向こうの彼の涙が、不思議とはっきり見えた。

『サム、駄目。銀河が沈んでしまう。泣かないで』
「俺はサムじゃないよ。だから君を殺さない」
『サム』
たしなめるような声色。


「君が居なくなったら、俺は誰に歌ってもらえばいい?」
『貴方はもう歌えるわ。貴方のための歌。誰かのための歌。私はもう必要ない』
「無茶言わないでよ…俺の船は壊れてしまった」
『直して、サム』
「駄目」
『サム』
「……眠れないんだ」
白い指先が格子を滑り落ち、それから再び闇に溶けた。

「俺は臆病なんだ。眠りに落ちて、もし再び目が覚めることがなかったら、俺はどうしたらいい?
…どうしようもないじゃない」
男は力なく笑って、檻を見上げた。いつの間にか檻の戸は開いていた。『出たい』と誰かが言う。僕を包む檻の外に、僕は出たい。出たくて堪らない。
僕は立ち上がって、檻の戸をそっと押した。檻の戸から見下ろした彼の顔は、ひどく怯えていた。行かないでおくれ。唇だけで彼が言った。愛して。
「俺を愛して。置いていかないで」
彼は性懲りもなく手を伸ばした。僕は手を伸ばしかけて止めた。彼が愛しているのは誰なのだろうと思ったからだ。少なくとも僕ではないはずだ。彼の表情が崩れて、泣き笑いのような顔になる。空気を撫でるように、彼はゆっくりと腕を下ろした。

「みんな俺を置いていってしまうよ…じゃあ俺はもっと先に行かないと。誰よりも進んだ其処で、待っていないと――眠っている暇はない」


そして背を向けた彼の姿。その背中は絵を描くのが好きな青年のものではなく、僕に綺羅星十字団を名乗った彼のものに変わっていた。今更になって、その背中を追うように僕は手を伸ばす。届かない。追いかけたいと思うのに、足は縫い付けられたように動かない。

僕は愛していると呟きかけて、結局それを呑み込んだ。愛していると囁くには、抱えるものが多すぎた。檻の戸が開いていたことを僕は恨んだ。彼が僕を閉じ込めて、何もかもから切り離してくれさえいれば、安易に囁けた言葉だった。









目が覚めて、ベッドの上。僕はまだぼんやりした頭でさっきの夢を反芻する。錆び付いた檻。透明の涙。嫌に遠い背中。

捕まえては、逃がして、本当に側に居てくれるものを彼は探している。彼は彼の亡くした錨を探している。自分から錨を作るほどに彼は弱くない。だから彼は探す。錨になってくれなんて口が裂けても彼は言わない。だから僕は彼の錨になれない。


『出たい』と僕が言う。


僕を閉じ込める青い檻。その鍵を僕は見付けてしまった。檻を出たい気持ちは、今も昔も変わらない――……だが、しかし、
錨を探して銀河を彷徨い続ける彼のこと。僕は彼を知ってしまった。僕に取って彼はもう、狐の中の一匹ではない。ただ漠然とした綺羅星十字団の一人ではない。僕は彼の錨になりたいのだろうか。


行かないでおくれ、と言う彼の悲痛な声が、まだ耳の奥にこびりついていた。