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未完全の飼育のこと

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男を、飼育していた。陶器のようであった肌は点々と痣が浮いていた。どの痣が新しく古いのかもうすっかりわからない。糸のように細くうつくしかった髪は面影をうしなって、ひたいの辺りでやわく揺れている。身体ももうずいぶん薄く、男を所有するそのひとにさえ抵抗できぬほど力も落ちてしまっている。一日を横たえてすごしているのだ。男はみるみる弱っていった。しかしながら濁ったひとみはたえずぬらぬらと鈍い光をはなっていた。
薄汚いほこりにまみれた八畳ほどの檻である。一切の音と光を断った。一日に幾度か訪れる所有者であるそのひと。男のもとをたずねるのはそれだけだった。一日に二度ほどの食事と、風呂のかわりにと与えられる水。加えてはなはだしい暴行とわずかな睡眠。そういう暮らしをしていた。なまぬるい空気のたゆたう地下で、そのひとはたえず男に飼育することを繰り返す。

短い螺旋状のスロープをするすると降りてゆく。手套越しの手すりから地下のよどんだ空気まで、きんと冷えている。吐く息が白い。背筋のほうに鳥肌が立つ。暖のない地下はあまりに寒いので、あとから男に毛布をあてがってやろうと考える。死なれちゃいろいろと困るしなあ、ちいさく呟いた。懐からひとつ鈴のついた鍵を取り出す。所有者である自分が来たことを知らしめるための鈴である。そうしてスロープを下りたその先、鍵がついた扉の奥。そのひとはそこで男を飼育していた。冬のあいだは部屋そのものがひどく暗い。たえず夜であるようだった。
目をじっとこらして、薄暗い檻のなかの男の姿を探していた。ちりちりと鈴を鳴らす。そうすると、男の反応は早い。薄闇のなかで、男のしなやかに横たえた身体がすんとうごめいた。いやらしく靴音をひびかせて近寄る。ほら、ご褒美の時間だぜ。言えば、男の瞳が鋭く光る。きっと自らのなかに得体のしれない猛禽獣を飼っているのだろう。そういう目をしていた。
力いっぱいに鳩尾にこぶしを入れる。男の表情は苦悶している。しかしけして怯えてはいなかった。耐えれば済むとおもっている、そういう顔をしていた。気に食わないが、面白いともおもう。ひとを飼うことはたやすい。たいていは恐怖を与えれば服する。だがこの男はそうではないらしい。やりがいのある男だと、そのひとは薄く笑う。
顎を蹴りあげ、額、こめかみから頭の先にかけてまで、がしがしと踏みにじった。男の喉からひゅうひゅうと細い息が漏れる。こんな生活をしてて服従しないお前を尊敬するよ。従えば楽なのにな。くっくと喉のおくのほうで笑った。男の前髪を掴んで引き寄せる。もう焦点は定まっていなかった。瞳の光が鈍い。なかば気をやっている。やっぱり虚勢だったなあ。言ってくちびるに噛みついた。歯列をなぞって無理に男の舌を引き出す。強く歯を立てた。男の舌から一気に血の味が広がって、そうして唾液にまじってあっという間に溶けてしまう。
そうして男を手放した。冷たい床にごろんと崩れ落ちる。血まじりのつばを男の腹のほうに吐いた。また来る。背を向けてつぶやき、しかし返されることばはなかった。男の声をまともに聞かなくなったなのは、もういつからだろうか。

ふたたび毛布を持ってそのひとがあらわれたとき、すでに半刻経っていた。……まだ飛んでやがる。床に崩れたままの男の脇腹を蹴りあげる。かすかな咳とともに、男の瞳がうっすら開いた。その頭に毛布を投げた。厚手の毛布をかぶったまま、男は数分動かない。これ以上やったら死ぬだろう、そうおもって鼻を鳴らした。つまんねえ、呟きかけた言葉を呑みこんで男の檻を後にする。長いスロープを上る。男にとってひどい屈辱だろう。それでもあの男は死を選ばない。おおよそ放し飼いにしている。死のうとおもえばそのひとの目をかいくぐって死ねるだろう。舌を噛むなり首を絞めるなりやりたきゃやれ、飼育をはじめる前に言ったのはそのひと自身だった。皮肉だなあ。飼育をはじめてそのひとは、笑うことがおおくなった。

そういう暮らしを長い間続けていた。暴行と食事、風呂、夏にはわずかな氷、冬には毛布を与えてやる。飼育するにあたって、必要最低限の生活である。そうこうしていつのまにか四季がひとつ巡っていた。ふつう、人間は一年そういう暮らしを続けるとおそれて所有者に服するものだけれども、男はいっこうに服従するけはいさえ、示さなかった。抵抗や死ぬことこそしなかったけれども、所有者であるそのひとに飼育されていると認めることはない。それどころか、男の瞳はいっそう鈍い光をはなっていた。
そのひとは満足している。男がそうそう服従などをするひとではないことを知っていたので。

ほら、飯だ。豚肉の塊を床に落とす。手を使ってはならないと教え込んでいた。屈辱に悶えながら肉を食う痩せた背に足を乗せる。おら、もっと屈まねえと食いにくいだろう?男は従順である。唇を床に重ねて食っている。なあルートヴィッヒ、お肉、おいしい?いやらしい笑いがこぼれた。片膝をついて、男の顎をゆびさきでもちあげる。濁った瞳のおくに宿った、薄暗い鈍い光。いい目になってきた、おもったが、言わなかった。呑んだことばを隠すように男の下唇に噛みついて歯列をなぞる。まるでなされるがままであった。上顎を舐めて舌を絡めても、口の端から唾液が垂れても構うふりさえしない。そういう態度はつまらない。ふたたび下唇に噛みついて、やがて離れた。
男はこころまで屈服したわけではないようであった。向けた背に、いっそう鈍い光をはなつ視線が刺さる。…俺が憎い?嫌いか?後ろのほうで手を組んで、くっくと喉を鳴らせた。わざとらしく靴音を響かせて扉のほうに向かってゆく。……ふ、ああ、お前が憎いよ、憎い、カークランド。返事がくるとおもわなかったので、すこし驚いた。なつかしく聞いた彼の声は、低くかすれている。あのころと少し違えた。震えた声で、おかしそうにわらっていた。身体の芯のほうがじんと熱くなる。口の端が釣りあがる。手をすべらせたドアノブに熱がうつる。そりゃ安心したよ。呟いたことばは、扉の軋む音に遮って呑まれた。

飼育は終了した。あとは男がその憎しみを成熟をさせるだけである。そのひとは待っていた、檻のなかの獣が憎しみをもって自分を食い殺すのを。くっと喉を鳴らせてスロープをのぼってゆく。かくして幕は下ろされた。

完全なる飼育は、やがて成功するだろう。


未完全の飼育のこと ( 20110211 / 英×独 )
作品名:未完全の飼育のこと 作家名:高橋