哀れの谷
「いつまでいるんだよ」
とうとう皆守はそう言ってやった。皆守から一人分離れたところに座っていた《転校生》は、ン、と曖昧な声を出した。
「授業はいいのか? いつも教師のご機嫌取ってるくせに」
「たまにはサボっても大丈夫。ここにはもう、そう長くはいないし」
既に《墓》の半分以上を暴いた《宝探し屋》は、さらりと言ってのけた。よく言ってくれる、と皆守は思う。人ならざる力を持った《墓守》たちは、奥へ行けば行くほど強くなるのに。はァ、と皆守は煙を吐き出した。それでも、この男は先へ進んで行くのだろう。そう思うだけの何かを、確かに皆守は彼の背中に認めていた。最初から、誰よりも近くで見てきたのだ。だから、彼が自分に辿り着くのは時間の問題だと、とうに理解していた。もし仮に彼が、皆守も阿門をも打ち倒して《秘宝》を手に入れたなら、こんな學園はとっとと後にするだろうことも、とっくに分かっていた。
「だから、お前といられる時間は大切にしたいんだよ」
言って、葉佩はこちらに近づいてきた。間近で見た黒い目が、何かよからぬことを言い出そうとしているのだと容易に告げていた。
「好きだ」
簡潔に、事実を述べるかのように。けれどそれだけの真剣さを持って、その言葉は発せられた。
皆守は顔をしかめた。
「いい加減にしろ」
「やだ。これだけは、はっきりさせておきたいから」
「十分聞き飽きた」
何度も聞いたその言葉は、積み重なるうちに違う色を持って届くようになっている。それが言う側のせいか、聞く側のせいか、皆守は判別しようとはしなかった。
「違う。俺がはっきりさせたいのは、お前の気持ち」
そこへ、葉佩は躊躇なく踏み込んで来る。こちらのことなどお構いなしに、覗き込んで暴き立てようとする。
「俺は、甲太郎が好きだ。お前は?」
子どもみたいに単純な言葉に、皆守は応える術を持たなかった。
「……よせ」
まっすぐな視線から逃れるように目を伏せる。その答えは口に出来ない。彼を裏切っているのだから。彼に置いて行かれるのだから。彼の傍にいる資格など、決してないのだから。
「なんで」
問う声は苛立ちを含んだ。
「単純な話だろ。俺はお前が好きで、お前も俺が」
「よせって言ってるだろッ!」
思わず叫んでしまってから、みっともなさにいたたまれなくなる。驚きに目を見開いた葉佩から、ハ、と息をついて顔をそらす。分かっているのにこれだ。彼と共になどいられるはずがないのに。何かの間違いに違いないのに。一度言葉になってしまえば、手放せなくなる気がした。
「何だよ、それ」
吐き捨てられた声に、ぞくりとする。それでもこの距離が惜しいのだと思い知らされて嫌になる。
「分かってるくせに。今更目ェそらしたぐらいで、変わらないんだよ。お前が何だろうが、何と言おうが、俺は、お前を」
「そんなの」
葉佩を見ないまま、皆守は遮った。
「何かの、間違いだ」
「な、……」
絶句した葉佩は、そのまま黙り込んだ。その間に皆守は重ねる。
「お前こそ分かってるんだろう。俺とお前じゃ、」
そこまで言ってから一瞬ためらう。屋上の床を見つめたまま息を吸う。
「……俺じゃ、駄目だ」
分かり切ったことを言葉にするだけのことに、努力が必要だった。葉佩が軽々としてのけることも、皆守にはこれほどまでに難しかった。
「……、ッ」
喉に何か詰まったような声が聞こえて、皆守はおもむろに顔を上げた。そして、そのまま数度まばたいた。
「なんで泣いてるんだよ」
呆れた声になってしまっていたのは仕方ないだろう。目に涙をいっぱいに溜めて、葉佩はこちらを凝視していた。
「甲太郎が、」
震える声が、短く言葉を紡ぐ。
「かわいそうだ」
意味を理解するのに一瞬。かあ、と腹の底が熱くなるのにもう一瞬。襟首を引っ掴むのには一瞬も要らなかった。
「お前は!」
みっともなく頬を濡らし始めた男に向けて、反射的に叫ぶ。
「人を馬鹿にしてるのか!」
「お前こそ馬鹿にしてるだろ!」
至近距離から怒鳴り返されて、耳が痛くなる。こちらを睨みつけて、葉佩は未だ泣いていた。
「間違いって。ああそう、いいよそれでも」
涙をこぼしながら、それでも強い目をして吐き捨てる。
「お前を手に入れられるんなら、正しさだって捨ててやる」
それは恐ろしい宣言に聞こえた。この男が自分のために道を踏み外すのではないかという想像に、皆守は震えた。
「《宝探し屋》を舐めるなよ。諦めたふりなんかしたって、全部丸見えだ」
力が抜けた手が襟から離れる。その肩を葉佩が掴んだ。痛いほど指に力をこめて、眉を寄せて、こぼした。
「たとえお前が投げ出したって、……全部丸ごと、俺が、持ってくから」
耐え切れなくなったように目を閉じて、首を振って、嗚咽を漏らす。どうすればいいのか分からなくなって、皆守はふたたび手を伸ばした。
「九ちゃん」
「応えてよ!」
葉佩が吠えて、触れる前に指は止まった。こちらを見る目が途方に暮れていて、ぞっとする。これは誰だ。こいつをこんなにしたのは、誰だ。
「お願いだ。頼むから」
肩を震わせて、縋るようにして、言葉を探すことすら出来なくなって。そうして抱きしめてきた葉佩に、息が詰まった。アロマを吸いたくなってから、襟首を掴んだ時に放り出してしまったと気づく。だから、鼻先にあるのは葉佩の匂いだけだ。遺跡と血と、太陽の。自分と似ているようで、決定的に違うこの男の。
かわいそうだと言うならば彼の方だ。彼はまだ皆守の全てを知らない。偽っているのは立場だけではない。本当は、この男の傍にいることすら自分には許されないというのに。この温もりは、自分にだけはふさわしくないのに。
胸の痛みに耐えながら、皆守は葉佩を抱きしめ返した。いつか殺す相手の体温で安心してしまう罪深さは、誰よりも自分がよく分かっていた。