仰げば尊し
卒業式の日。明るい喧騒の中、緑間は一人足を進める。手には、卒業証書をおさめている筒が握られていた。
運動部の部室が建ち並ぶ棟まで来ると、ざわめきは他人事のように遠い。見渡せば、何本か校庭に早咲きの桜。散ってしまい地面に落ちた桜の花びらは、誰に踏まれたのか黒ずんでいた。緑間は花びらを器用に避けながら、バスケ部の部室に向かう。
部室にはすでに明かりがついていて、人の気配があった。部員なら、三年間世話になった部屋だ。見納めにと、訪れる者がいてもおかしくはない。緑間のように。
緑間にとってその行動は、感傷というよりはけじめだった。帝光のバスケ部員であることを終わらせる。それは緑間に限らず、レギュラーの面々には必要なことのはずだ。そうしなければ、きっと引きずる。たった一人の存在のために。
緑間はゆっくり瞬くと、扉を開けた。
すると、くぐもった嗚咽が二種類、緑間の耳に届く。体育座りで縮こまっていた明るい髪色の男女は、入って来た緑間を見上げた。
「…ミドリン。」
「…緑間っち。」
哀れっぽくかすれた声とだらだらと滝のように流れる涙に、緑間は回れ右をしたくなった。
「なにを、やっているのだよ…。」
ずれてもいないのに、つい、眼鏡を押し上げる。泣いている男女、黄瀬も桃井も美形の名に恥じない面立ちをしているのだが、今ばかりは見れたものではなかった。充血した眼も涙の跡がいくつもある頬も赤い鼻もぼさぼさの髪も、めでたい門出の日にはまったく似合わない。
「本当に、なにをやっているのだよ。」
呆れを隠さず溜め息を吐けば、たどたどしく二人が口を開く。
「だって、テツ君が…!」
「だって、黒子っちが…!」
卒業式でなら会えると思ったのに最後なのにと、泣く声が大きくなる。二人の言い分に、緑間は驚かなかった。むしろ、やはりと納得したくらいだ。
黄瀬も桃井も、人当たりの良い性格をしているが、プライド高くずる賢い面がある。そんな二人がみっともないほどに人前で泣くなんて、原因は一人しか思い浮かばない。
(あの馬鹿が…。)
ある日を境にぷっつりと姿を消した、緑間たちのチームメイト。きっと黄瀬や桃井は、諦めずにずっと探していたのだろう。緑間は、一度も探しはしなかったが。黒子が本気で自分たちに会いたくないと思っているならば、徒労に終わるに決まっていると緑間にはわかっていた。そして、なんやかんや言いつつも黒子が甘やかしていた黄瀬や桃井が結局見つけられなかったことが、黒子の本気をあらわしている。
「お前たちも、馬鹿なのだよ。」
道はもう、別れてしまったのだ。緑間の口からもれる声に、苦さが含まれる。それは黒子に対するものでもあり、二人に対するものでもある。
一ヶ月後には高校生になるというのに、子どものように声を上げて泣く二人。それが疎ましい。そして羨ましい。
そんな風に泣けたなら、すっきりとした心で卒業できただろうか。こんな風にけじめだなんて言い聞かせて、部室に来る必要もなかっただろうか。
誰も彼も、緑間自身も馬鹿なのだ。
唇が歪む。ありったけの自嘲が込められた笑みに、黄瀬と桃井は眼を丸くした。
「ミドリン…?」
「緑間っち…?」
緑間の名を呼ぶと、二人は焦ったように駆け寄ってくる。近付くな鬱陶しいと、緑間は言いたかった。
けれど。
「泣かないでぇ、ミドリン…!」
「緑間っちぃぃぃ…!」
そう言って二人が腕に絡みついてくるものだから、今度は緑間のほうが眼を丸くする。二人が言うには自分は泣いているらしい。
(道理で、視界が滲んでいるわけだ。)
両脇から腕を掴まれていては涙を拭うことも出来ずに、二人をくっつけたまま緑間は立ち尽くす。鼓膜を打つ泣き声の大合唱はあまりにも幼稚で、なんだかだんだんとおかしくなってきた。
泣いたくらいで黒子に関する様々なことを忘れられるはずがなくて、昇華できるわけがなくて、ただみっともなく無様なだけだった。けれど、それの何が悪い。
卒業式なのだ。中学生最後の日だ。寂しいと泣いて当然だろう。
願わくば、泣いて欲しいとまでは言わないけれど黒子も別れを寂しく思っていますように。
それだけで、煩く泣き続ける黄瀬や桃井は報われるに違いない。そして、それは緑間も同じだった。