【腐】くいしんぼう
「マルスを食べたい」
「……は?」
「む、すまん。言い間違えた。訂正する。マルスを噛みたい」
「いや、あまり訂正されてないと思うんだけど」
ロイとアイク。草原の高台に並んで座っている二人の間を、暖かな南風が駆け抜けていく。
さわさわと心地よく揺れる草の音が耳に優しく響き、それらに加え、頭上から降り注ぐ陽光がぽかぽかと気持ちよくて、うとうとしかけていたロイだったが。
「いきなりなんなのさ、全く」
冒頭のアイクの妙な一言で、完璧に目が冴えてしまった。
生真面目ゆえ、どこか変な所がある彼だったけど、まさかこれほどまでだったとは。
ロイが胸に抱いているピンクボール=カービィが、首(身体?)を傾げ、口の中から林檎を取り出し、アイクに差し出す。
すると相手はいつもと同じ無表情かつ一本調子で言ったのだった。
「いや、腹は減ってないんだ。腹は」
(そりゃそうだろうよ)
ロイは心の内でつぶやく。
つい数時間前の昼飯の際、カービィやワリオ、ドンキーといった大食い連中と争うように肉をかっこんでいたのはどこのどいつだこのアイクだ。
一体この細身の部類に入るこの身体のどこに、あの大量の肉が……と、ロイはじっとアイクを見ていたのだが。
相手が、高台の下、木の陰で本を読んでいるマルスを凝視し「噛みたい」 と言っていたのを聞いて、本来の会話を思い出す。
「噛みたいのなら、カービィを噛めばいいじゃん。そっちの方が美味しそうじゃない?……桜餅みたいで」
「いや、遠慮しておく。味がないし、弾力がありすぎるのも、好かない」
(……噛んだ事があるんだ)
どう相づちを打っていいのか悩んでいるロイの耳に、トゥーンリンクやネス、リュカといった小さい子供たちの楽しげな笑い声が聞こえてきた。
――そっちにいったよー!
――投げすぎ投げすぎ!もっと低く!
どうやらキャッチボールか草野球に興じているようだ。
(子供はいいな、気楽で)
自身も成人に達していないことを棚にあげ、ロイが思っていたその時。大きな風が吹いた。
それは、アイクの服を揺らし、マルスの髪の毛をもてあそんだ後、どこかへと走り去っていく。
マルス。異界の荒々しい戦神と同じ名前なのだと、ピットが言っていた。
しかし、ロイの知っているマルスは、女のように華奢で、きれいで、美しいという言葉がとてもよく似合う男だ。
見た目に反して剣の腕がたつことも、そして、アイクと寄り添う姿がよく目撃されていることもよく知っている。
マルスとアイクは恋仲なのは周知の事実。
大事な恋人を、何で噛みたいというのか。
「……あのさ、アイク」
沈黙に耐えかねて、とうとうロイは口を開いたのだった。
「何だ」
隣の唐変木の目線は相変わらずマルスに釘付けである。
「どうして、マルスを食べ、じゃなかった、噛みたいと思うのさ」
「理由は無い。ただ、マルスを見ていたら、肌に歯をたてたくなった。それだけの事だ」
「噛んだら、痛いに決まってるだろ。アイクは、マルスの事が大事じゃないの?」
「そんなことあるわけない」
「だったら、そんな変なことを実際にやっちゃう前に、対策を立てておくべきだね。
ソニックかスネークあたりにガムでももらったら?実際に、噛んだりなんてしたら相手どん引きどころじゃすまないよ……」
「いや、実は前に一度マルスを噛んだことがあるんだ」
堅い音が鳴り響き、わぁっとどこからか子供たちの歓声があがる。
――すごい、ホームランだ!!
胸のカービィはもぞもぞ動き、風は相変わらず穏やかに吹いていて……そして、隣のこいつはなんと言ったのだ。
「この前の夜だったか。そんなに腹が減っていたわけではなかったんだが……。
隣にいたマルスの肌が、あまりにも白くて、柔らかそうだったから。うまそうだと、思わず、噛んだ。確か首筋のあたりだったな」
ロイは、自分の心臓がきゅっとしまるのを感じたような気がした。
淡々といつもと変わらぬ口調で言うのがそらおそろしい。
「抵抗されたが、かまわず噛んだ。
普通の人間の肌は汗とかでしょっぱく感じるはずなんだが、マルスの肌は不思議と甘かった気がするな……」
おそるおそるアイクの方へ首をまげると、そこにあったのはいつもとかわらない無表情。
相変わらず目線は、恋人に一直線だった。
「マルスの肌は甘かった。俺はもっと味わいたいと思ったから……知らぬ間に歯に力を入れていたらしいな。
段々と甘いのが薄れて鉄の味がし始めて。気づいて口を離したときにはもう遅かった。
首筋から血が出てた」
と、アイクの口元が急に弛緩し、眦が下がった。
笑っている。その時のマルスの表情や流れている血を想像してだろうか。笑っているのだ、アイクは。
「きれいだったな、マルスは……。
いや、いつもきれいだが、血を流して呆然としている時のマルスは、格段にきれいだった」
ロイはカービィを抱いている腕の力を強める。
遠い星の人は「ぽよ?」 と言い、自分の事を見上げているのが視界の端に映った。
額の冷や汗が、下に垂れていき喉を張って、服の下に忍び込む。
その感触が気持ち悪かったが、ロイは拭うことができなかった。手を使うことは、今縋っているカービィを胸の内から解放すると言うことで。
そんな恐ろしいこと、今のロイにはとても。
「それで……マルスはどうしたの?怒った?」
おそるおそる尋ねた自分の声は、枯れていた。
「いや、笑っていたな。涙目だが、笑ってた。
そして……マルスは俺になんと言ったと思う?」
「し、知らないよ」
「『もっとやってほしい』って言ったんだ。
『噛まれるのは痛い、でも、アイクに噛まれるのは別だ。頭の奥がジンジンして、なんともいえない不思議ないい気分になんだ。
だから、もう一度噛んで、僕がいいと言うまで噛み続けて……』ってな」
――ネスったらとばしすぎとばしすぎ!!
青空の下、きれいな放物線を描いて、白いボールがこちらに向かって飛んでくる。
それは、二回地面バウンドした後、ころころ転がり、アイクのつま先にあたって停止した。
――ごめん、アイク。とってー!
――とってとってー!
「わかった」
ボールを拾い上げたアイクは立ち上がり、声のする方へ思い切りボールを投げた。
――ありがとう、アイク!
溌剌とした返事に、駆け遠ざかっていく足音。
暫くそちらの方を眺めていたアイクだったが。
「さてと……」
と、向き直った。
その無表情に、いつものアイクに戻ったと思ったロイはほっとする。だが、それもつかの間。
「ちょっと、マルスに噛んでいいかどうか聞いてくる」
「……は?」
「今度は腕がいいな……」
言うやいなや、アイクは坂を下り、マルスに向かって歩き始めていた。
「あはは……そう、イッテラッシャイ……」
ロイは固まっていた口の端を無理矢理上げ、アイクの広い背中に向かって手を振った。
それを真似なのだろうか。
にこにこ笑ってカービィもまた、短い手を振ったのだった。