White*Valentine's Day
夕方から降り出した雨は雪になり、今はアスファルトの地面をうっすらと白で覆っている。
予報では今夜中は降り続けるらしい。きんと冷え込む空気が新鮮だった。
きっと明日の昼にはもう溶けているだろう都会の頼りない雪を踏みしめる。
それは、ほとんど溶けてしまっているので少しかたい水溜まりのような感覚だった。
雪国ではこんな雪が毎日降り続けて一面が真っ白に染まる。
きっとそこには、冷たくて優しい静けさがあるのだろうと、想像していた。
そしてそこは自分の求める平和で静かな世界によく似ているような気がしていた。
そんな場所で暮らすのが自分にとって一番の幸せであり、
いつかはそうやってひとりで生きていきたいと思っていた。
髪に顔に、雪が降りかかってきたのでゆるゆると首を振る。
溶けなかった雪の一部が地面へと落ちていった。
この街では雪が積もっても、雪国のように静かにはならない。
夜も更けて時期に日付が変わるというのに、人々は忙しなく歩いている。
それがどうしようもなく、鬱陶しいと思う日もある。
片手にある、だいぶ膨らんでしまった紙袋を見つめる。
職場の女性やいつも無愛想な後輩や、無口で大切な友人から。たくさん頂いてしまった。
今日がバレンタインということは出社してから思い出した。
それほど自分にとってはあまり関わりの無いイベントだと思っていたのだが。
まさかこんなに貰えるとは。つくづく、身の回りの親切な人達に感謝の気持ちを覚える。
一人で生きたいと、思っていたような自分にも、暖かい居場所があるのだと知る。
ふわり舞い散る雪をもう一度見上げる。まるで小さい羽のように、きれいだった。
寒さを感じていない訳ではないのだが、どうしてもここから立ち去れなかった。
街は一日中、何処か浮足立っていて、何となく甘い匂いが鼻に残っていて。
そんな平和な様子なのに、どうしても俺は違和感を拭えなかったのだ。
何だろうと首を傾げながら、寒空の下で動かない足の理由を考えていた。
「わぁ、シズちゃん、上から見るととってもバカ面だね」
そして俺は、さっさとその場を去らなかったことを後悔するのだった。
雪空をバックにして、寂れたビルの二階から覗くその顔を見つけた瞬間。
今日の違和感の理由をすぐに理解できた。というか、原因がひょっこり現れた。
「こんの・・・!臨也ぁぁああ!」
甘い匂いの中、隠れていたのは臨也の気配だったのだ。
浮かれた空気に絆されて気付けなかった。否、気付かなかったほうが良かったのに。
何でこうも、最悪のタイミングでこいつは現れるのか。
先程までの張り詰めた冷たい空気は何処へやら、身体は怒りに震えている。
「何怒ってんの?チョコ一つも貰えなかったの?」
「うるせぇうるせぇ!!てめぇのせいだ!」
「なぁんだ、ちゃんと貰ってるじゃない。シズちゃんのくせに」
「黙れ!ぶん殴ってやるから降りて来い!」
「・・・仕方ないなぁ」
ため息をしながら臨也はそう言うと、二階のベランダの、汚れた手すりを掴んだ。
そしていとも簡単に、ひらりと、その身を落とす。
白い雪が舞う夜空にひとつ、黒いコートの男が笑みを浮かべている。
俺の目にはまるでスローモーションのようにその様子が流れていた。
気付くと持っていた紙袋のほうが先に、地面に落ちていた。
ばさばさ、と貰ったチョコが散らばる音がするのと同時くらい。
俺は冷たい地面に尻もちをついていた。ついでに背中も打ったので痛い。
そして腕の中には、さっきまで空に居た、黒いコートとその中身。
「・・・なにしてんの、シズちゃん」
「・・・さぁ、」
頭で考えるよりも先に、身体が動いてしまっていた。
二階から飛び降りたこいつを見て、すぐに足は着地地点へと向かい、腕が伸びた。
普通だったら転ばずに済んだのだろうけれど、今日は足場が悪かった。
バランスを崩すと見事に足を滑らせて転び、重い荷物があったがために背中も打った。
地面についていた右手が冷えるので、左手で臨也の背を引っ張る。
すると奴は慌てて立ち上がり、俺も雪を払いながら漸く立ちあがった。
しばし微妙な沈黙が流れる。さてどうしたものか。
俺も自分の行動に驚いて、すっかり怒る気も失せてしまった。
とりあえず先程落としてしまった紙袋の中身を拾うことにする。
臨也に背を向けて、黙って作業に没頭していると、こつん、と後ろ頭に衝撃。
「本当に君は、俺の思い通りに行かないんだから!面白くない!」
そう言うと不機嫌な足取りで去っていくその後ろ姿を、追う気にはならなかった。
後ろ頭をさすりながら下を向くと、地面にはブルーのリボンのかかった丸い箱がある。
自分が今日貰ったものの中に、こんな丸い箱は無かった。
雪国のように、喧騒から離れた静かな世界に憧れている。
それでも今のこの騒がしい日常にも、それなりに愛着がわいているのも確かだ。
紙袋を片手に、家路へと急いだ。
止むことを知らない雪は、肩や頭のてっぺんを真白に染めていく。
その雪があんまりにも冷たいからだろう。頬が熱く感じるのは。
紙袋の中には丸い箱のブルーリボンが、冷たい風に揺れていた。
作品名:White*Valentine's Day 作家名:しつ