異端の形状
人生の背理に対し日常的に絶望し続ける私は、今日も例に漏れず絶望し、首を釣ろうと試みる。本気で死亡するため熱心にたてる自殺プラン。それ以上の綿密さで計画する自殺未遂の概略は、何度となく頭のなかでイメージしていたためすっかり手順を暗記していた。
庭に枝葉をのばす、新緑にまみれた桜の木。枝に荒縄をくくりつけ、結び作った輪のなかに己の頭をくぐらせる。台代わりの木製の椅子を足の裏で蹴り上げると地と私とを繋ぐものは消失する。
肉体は重力に逆らわず地表を恋しがり、己と相手を引きつけようと欲す。ゆらゆらと肢体が揺れて、まるで眠りへと誘うゆりかごの動きだと思った。
そうして私は意識と顔面とが膨張する狭間に、枝がみししとしなり呻く音を、聞いている。
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目が覚めると白い天井があった。
何処かで見たことがある。さて、何処か。少しの間逡巡していると、のぞむ、と呼ぶ声がする。覚醒にぼやついた頭で、声のするほうへ目を向き、ああこの人かと親類を認識した。
「兄さん……」
私の横たわる傍らに、無機質な目の色をする兄がいる。毎度繰り返す私の未遂に対し言いようのない感情を、色の無い視線が物語っていた。
「……そんな風に仰らないでください」
「何も言っていない」
「目が、」
何より饒舌です。
兄は静かに私を見つめた。私も、兄の目を見返しながら無機質と思われた色がだんだんと複雑な色彩を呈す様子を観察していた。
兄の瞳にうつりだす、私と同じく昔より周囲に隠し持ってきた思い。それが滲み出す。視線から伝わる情熱に私の心も共鳴しかけて、逃れるよう横に視線を流すと、白いシーツが目の端にはいった。
「望、」
「……はい」
応えるが、兄を見ることは出来なかった。相手の、姿無い感情を認識すること。それにより自身が長年抱いてきた忌まわしさまでも突きつけられること。それが恐ろしかった。一心に、視界にある白だけに集中する。そうすれば、いまある恐怖から逃れることが出来ると思った。
ぎしり、と兄が私に被さろうとベッドに手をつき音をたてた。耳元にふれた呼気のあたたかさに驚き、とっさに兄さんと声をあげて、相手を見つめる。ゆっくりと近づく、己と似通っているようで違う、整った容姿。
無意識に、あ、という小さな喘ぎが口から洩れ出た。
決して瞳は閉じなかった。
互いの視線が絡まる。そこから兄の切ないくらいの苦しみが触感をもって私の心の表皮をなぞる。ゆるりともう片方の掌で頬を撫でられれば神経の震えが静かに訪れ、唇と唇がもう一度重なれば枷が外れかける。
「にいさん、やめてください、にいさん……」
拒絶する呼び声は徐々に媚びる色、肩を押し返そうとする手は引き寄せる動きに変容していく。
「のぞむ、」
意識が溶けていくようであった。
何度も何度も唇を押しつけあう。兄の唾液を懸命に飲み下し、普段にない荒々しさで口内をあらされる。
その隙間に洩れる吐息、密音が空間を濡らし、下半身の妙な疼きにたえきれず腰を兄の体に押し付ける。と、兄は身を乗り出し、私の足と足の間に体をするりと入り込ませた。
大きく足を広げる。兄は私の乱れた着流しの裾から、足の付け根の薄くやわらかい部分を撫でる。
感知する感覚に熱のこもる声で言葉とならない声をあげると、兄はいとおしむ瞳で私を見つめた。胸が軋んで悲鳴をあげた。
「糸色先生」
行為に没頭していると、ふいに投げられた看護婦の声に兄は私から顔をあげた。
「どうした」
覆い被さるのをやめ、離れる瞬間兄は私の股のうちを名残惜しそうにゆっくり撫でる。そうされると、すっかり解された私の体は脊髄反射でびくりと反応してしまった。微かに笑われる気配。
「望、また少し寝ていきなさい。気分が良くなったら帰ってもいい」
いつもの調子に戻って、少し笑う兄が白衣を正し告げる。その言葉に私は素直に、こくりと頷いた。
一人になりひそめていた息を小さく吐き出した。頭がぼんやりぼやける。思考がぐらつく。
「あつい……」
さっき兄の触れた部分。つけ根が甘く疼いていた。兄の手のひらの熱さがじっとり粘膜のように残っていて、そこに己の手を重ねる。何度か兄と同じように撫でてみて、やめた。
しばらく視線を宙へと泳がせてみる。そうして、どうにも出来ぬ心の空洞を発見した。覗き込み、唸る声を聞く。拡散していた意識がゆっくりと鋭利さを取り戻すのを感じる。それらは私に、側に在る腐敗物の存在を気づかせ、病室の床へと向かっていった。
(これは、知っている)
腐臭を漂わせる存在は私と兄とのかつて、禁忌を犯す以前の愛情の骸だ。目の端に具現化する過去のきらめく残像は、今や絶望としかなり得ない。
(私にとって過去はひどく悲しく、あまやかであり、眩しく…)
静かに暮れゆく夕日が、病室を暗がりへと変える。ひたひたと忍び寄る夜の冷気に私は震え、薄明のなか涙を流した。