細波呼ぶ雨
教室廊下側の窓際、よそのクラスの連中とふざけてたりするときに、背中側の空気が急に薄ら寒くなる。半端な笑顔のままで振り返ると必ず、見られている。重い前髪の下から覗く眼光は、本人にそのつもりはなくともいつだって些か物騒で、最初の頃こそいちいち動揺したり声をかけてみたりしていたものの、あまりにそういうことが続くものだから最近では視線だけで用件を尋ねて終わりにする。反応はそのときによりまちまちで、席を立ち話の輪に混じってくることもあれば、せっかくの目配せを全く無視してわざとらしく手元のノートに目を落とすことも。どうも振り回されてるなぁ、と思う。
「見すぎ」
夏休み入った辺りから通い詰めすぎて第二の我が家となりつつある堂島家。翌日の予習の合間(というより問題集の英文が十の内、三くらいまでしか理解できなくて現実逃避中)にそのことが思い出されて、脈絡はないけど突っ込んでみた。
「何が」
「学校ですっげー見てるだろ、俺のこと」
見られてんの、最近手に取るようにわかるようになっちまったんだけど。
本人に自覚がある前提で話をしたら、灰の瞳が驚きに見開かれおまけに目元まで微かに色付くに至り、なかったのかよとこっちの方がびっくりする。つられて頬に血が上りそうになった。気まずそうに視線を逸らした我が相棒が、持て余し気味のシャーペン握ったままの掌で口元を覆う。
「……シャドウ相手にそれ使えたら便利だな」
絶妙に論点外してきやがった。
「いやいやヒトの第六感勝手に育成しないで」
「花村の新しい可能性発見伝。ところで問四の三番」
「ええっと、3?」
「二ページ戻って問二の一問目」
「へ?あー、これの類題か。……1?」
「飲み込みは早いんだけどな」
うるせ。逆接で繋いどいて、飲み込み以外のとこはあちこち抜けててトータルで言うと大分残念な仕上がりになってますとでもオチを付けるつもりか学年主席め。つか今わっかりやすく話逸らしたよなこいつ。……ちょっとはかわいいとこあるじゃん、とか、俺の頭本格的に治療が必要なんじゃね。
学校からの帰り際にはぽつぽつ来始めていた雨脚がにわかに強まっている。風の音と、窓を叩く耳障りな雨粒。この分だと今日はきっとマヨナカまで降り続くのだろう。
「黙って見てねーで声かけてくれればいいのに」
問四の三番に解答を書き入れながら尚も蒸し返してみると、たちまちその視線が氷点下まで冷え込んで、たじろぐ。顔を引き攣らせた俺に向かってあいつは溜息を吐き、シャーペンを放り出した。
「……別にただの、やきもちだ」
うわっ、超かわいいこと言った。
「お前が他の誰かと楽しそうに喋ってるの見るのは率直に言って気持ちよくない。花村の良さがわかるのは俺だけでいいし、お前が振り回されたり気を取られたりする対象が俺だけだったらいいのに。むしろこの世界に存在する人間が俺とお前だけだったらいいのに」
かわいくなかった!
「今だって」
自由になった右手が伸びてきて顎を掴み、ほんの瞬きの間、唇が触れ合う。
「雨を気にして、ちっとも集中できてないだろ」
雨にさえ嫉妬していると自嘲気味に微笑う様子に、胸の奥を引っかかれたような気がした。
「そりゃテレビ映るかもしんねぇし、そしたら今度は誰が狙われるんだって気になるだろ」
「そう。人の命が関わる問題だし天秤にかけられることじゃない。それを納得できないくらい狭量なんだよ、俺は」
ちょっと悔しそうに話を打ち切って、相棒はテーブルの向こうに倒れ込んだ。
「おーい相棒?」
「……恥ずかしい波が来た……」
かわいいのかかわいくないのかどっちかにしてくれ、反応に困るじゃんか。ノートを閉じて立ち上がり、腕で顔を覆う彼の傍らにしゃがみ込んだ。腕で隠しきれていない頬の桜色が目を奪う。言葉で宥める代わりに頭を撫でてみた。
「俺ばっかり好きで、たまに恥ずかしい」
それは違う。立場上、他の人間より早く世間様に揉まれたおかげでそういうこと隠すのが得意なだけ。あとさ、何でか知んねーけどお前が、俺がお前のことそこまで好きな訳じゃないって思い込んでるから余計にバイアスかかってるだけだと思うんだけど。
つか、俺がその辺照れ臭くって表に出さないもんだから、今こいつを悩ませてんじゃないか。
いまいち表情がついてきてないせいで、考えてることがよくわからないだとかいつも冷静だとか言われがちな相棒だけど、その言葉にきちんと耳を傾けてやれば、無駄に弁が立つところはあるものの実にシンプルで正直な人間だってことはすぐに判る。実の伴わない愛想と波風立てない対応の二本立てででめんどくさい世の中を乗り切っている俺よりも余程。
「予習終わったら、しよっか」
迷った末に、甘ったるい台詞よりはいくらか言いやすい直接的な誘い文句を口にしたら、びっくり箱も驚愕の勢いで跳ね起きた奴にがっしり肩と掴まれた。
「男に二言はないな」
大真面目な顔で確認を取られた瞬間、窓の外が一瞬光った。遅れて、遠く雷鳴。B級ホラーばりのタイミングの良さに噴き出しそうになる。
「ないない、さっさと終わらせちまおうぜ」
「五分で済ます」
「それで出来んのお前だけだから」
こんな些細なことで機嫌を取れる人間を不安にさせるなんて、己の甘ったれ具合を今だけ心底反省する。