Glad alla hjärtans dag
ほのかに優しい朝陽が差し込む廊下を、静かにすれ違う時、二人が出した声色は、奇妙に重なって聞こえた。長谷が立ち止まったので、海藤も否応なしに立ち止まる。
「私時折夢を見るわ、この気持ちを伝えなかったらまだ私はもっと堂々とあの人に恋をしていて、あの人の一挙一動にもっとオロオロしたり、ザワザワしたりしていたのかも知れない。そんな、夢を……って、友子ちゃんに話している夢を」
そこまでを長谷が一気に話したので海藤は面喰って一瞬気が抜けた。
「……それを何故谷村さんではなく、僕に?」
「あら、何故かしら」
まだ寒いというのに日差しにつられて開けられた窓から、風が吹き込む。それが長谷と海藤の間にも流れていった。
「今日はバレンタインね、」
長谷の言葉に反応するように風が彼女から甘い香りを運ぶ。
「これ、貴方に」
差し出された淡い桃色の包み紙を海藤は食い入るように見つめた。
長谷はやはり女の子なのだ。漠然とした何かが海藤に襲いかかる。
「……いらなかったかしら」
「そんなことは!断じて!」
後ろから軽快に走り寄る音がする。お互いに振り向かなくてもそれが谷村であることに気が付いている。長谷はその不思議な色をした目で、「じゃあ、」と言った。
海藤だけがその場に残された。海藤は先程受け取ったばかりの包み紙を、ただただ見つめた。
(君は……渡すのだろうか、)(あの男にも、)
クラスに戻って席に着くと、海藤は思い出したように己の鞄から黄緑色の袋を取り出した。(やっぱり、)
海藤が持っていたその袋と長谷のくれたそれは色違いのお揃いだった。
学区が同じなら行動範囲も似か寄るところがあるのだろう。違う日に、または同じ日でも。その場に己と長谷とがいて、この袋を色違いで選んでいたことが海藤には堪らなく可笑しなことに思えた。あの時ちゃんと持ち歩いていれば彼女にも渡すことが出来たのに。あとで長谷にもこの袋を届けよう。それを昼休みと決めた海藤はどちらとも鞄にしまった。
夕方、家に帰ってくるなり簡単なお菓子のキットを抱えて帰ってきた息子に、母は何も言わなかった。ただ、いつの間に着なくなったのか、忘れていたエプロンを、どこかから引っ張り出してきて、「綺麗にね」 それだけだった。
(……チューリップのアップリケ、)(僕は随分……ミシンが苦手だったな)
「メレンゲってこんなに泡立たないものなのか……」
メレンゲの泡立たなさに苛々した。しかし不器用な海藤にもそれっぽいチーズケーキが出来た時、ちょっと感動したなどは。ラッピングは入れるだけの簡単な袋だ。
渡す人は三人。長谷に谷村に、それから、それから。
(あの人はこういうものを好いてくれるだろうか……)(それとも僕からじゃいらないだろうか)
「あ、」
見つからない長谷を探して気が付いたら他学年の廊下に迷い込んでいた。
目に飛び込んだのはだるそうなあの男を取り囲む女子の群、にいつもの、あの人。
なぜあのようにぱっとしない男がクラスで平然としていられるのか。一瞬むかむかと嫉妬が迫り上げた。しかし彼の机の上に並ぶ煌びやかなお菓子を見て、それは一気に萎えた。そしてまた急加速で海藤のテンションは下がっていく。
(あの人は普段からあの男のものを口にしているんだ、)(僕は……)
走り去った。ぐんぐんと、遠くまで。
息が切れて苦しくなったところでどこか知らないところからぼんやりとチャイムが聞こえるのがわかった。別な意味で苦しくなった。(授業……、始まってしまった)
座り込める場所を探して、やはり辿りつくのは屋上で。
「寒い」
言おうとした台詞を先に取られてしまったので海藤はそれきり何も言えなくなってしまった。目の前で微笑んでいるのは紛れもなく長谷だった。
海藤ははっとして持っていた袋から長谷のそれと色違いの包み紙を渡す。
「長谷さん、これ」
「あら、貴方もくれるのね、男の子なのに」
「男の子がつくったり、あげたりしちゃいけないのかい」
「……出来ればその方が好ましいわ。そういう事が得意な女の子ばかりじゃないから」
脳裏にあの男の見た目には似合わない繊細なお菓子が浮かぶ。
「長谷さん、君は……」
「あげられないわ。笑われてしまうもの」
海藤はやはり、女の子は女の子なのだと思った。
「終わったの。私の恋は、終わったの」
(でも君が持っているのは、)(僕と色違いの、その袋は……)
不意に、泣いた。
彼女は強い。やはりそこも女の子だった。
だから、泣いた。泣くだけ泣いて、長谷は見守るだけだとしても、海藤は一心に泣いた。
(届かない、それでも僕らは……)
(恋をしている、)
「鈴木!何つまみ食いしてんだよ!」
佐藤の大声に、みつかってしまったと、珍しく鈴木がばつの悪そうな顔をする。
横に居た平介もそれを覗き込む。
「お、うまそうなチーズケーキ。上手く焼けてるじゃないか」
「言っとくけど俺が作ったんじゃねえからな、お前らにはやらんぞ」
「げ、お前抜け駆けかよ」
「君たちとは違うのだよ、」
鈴木はそういうと最後の一口を豪快に頬張った。そうして宛名のなかった黄緑色の袋をくしゃくしゃに丸めるとそのままゴミ箱へ投げ捨てた。
「うん、やっぱ旨いわ、これ」
作品名:Glad alla hjärtans dag 作家名:しょうこ