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tusanne/かんだ
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novelistID. 18265
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レントよりおそく

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 こわいゆめをみる。ここ最近ずっとだ。ずっと。キリコに知られていないとは思ってない。兄上が 謀殺されてからずっと、シアワセな夢なんて描けていない。僕は幸せにはなれない。キリコはきっと不安定な状況がずっと続いているせいでしょうとか気疲れしていらっしゃるのでしょうとか、そういう風に言うだろうから。僕は生まれてからずっと自分の存在が安定していたことなんて一度もないんだ。ねえキリコ。キリコ。キリコ。たすけてよ。キリコ。知らないふりをしていて、ずっと。

 今日も悪夢をみる。昨日も今日も明日もずっとずっとずっとこわいゆめしかみない。目を閉じると赤。兄上が血を吐いていた。兄上が血を吐いて、血を流して、血に塗れて、そうしていなくなってしまうゆめ。僕とベルカとミュスカを。おいていってしまうゆめ。死の意味も知らない小さなミュスカが泣き叫んでいる。僕はそれを見ている。ミュスカが、噴、水に。

 分かっている、今日もあの夢だ。分かっているのに、なんで毎日眠らなきゃいけないんだろう。わざわざ自分からうなされにゆくくらいならもういっそのこと眠らなくたっていいのに。兄上が亡くなられたあの事実は、あの夢は、僕を一番ぎたぎたにするから、大、嫌いだ。兄上が倒れていて、血にまみれていて、ベルカが兄上にすがり付いていて、僕は黙ってそれを観ていて、何もせず、黙って、眺めていて。どうしてこんなに客観的なのだろうか。僕の大切な兄上が、殺されているのに。僕は本当に兄上が大切なのだろうか。ベルカが。ミュスカが。父上が。この国、が。僕は、本当に。キリコは今日もゆっくりお休みになってください殿下といった。キリコは明日もきっとゆっくりお休みになってください殿下という。
キリコは僕が毎夜毎夜うなされていることを知っている。おかしくなればいいと思っている。僕たちは共犯者でしかない。僕たちはいずれ袂を分かつことになるだろうことくらいわかっている。

 寝台の上は冷たくて、僕が寝ていた余韻もぬくもりも残ってはいない。薄暗い寝台に眩い光は入ってこない。ぼんやりとした月明かりに指先がじん、と痺れる。それはぶわぶわと身体中を駆け巡り、頭の芯を痺れさせる。今度は鼻の後ろからつうん、熱を伴う痛みが起こる。こぼれる、と思った一瞬後にはぼろぼろと信じられないくらいに涙が滴り落ちていた。悲しいとか苦しいとか、もう何の感慨も湧かない。僕はしばらく黙って、白い生成りのシーツに塩辛い水滴が落ちるのを見つめていた。白いシーツは僕の涙腺を刺激する。いちどてばなしたものはもうもとにはもどってこない。ほたほたと溢れるものをただじっと眺めていた。それは途方もなくながいながいじかんだった。ふ、と気が付くと僕はキリコに抱きしめられていた。

「殿下…如何なさいました」
「……きり、こ?」

 キリコの長く冷たい指が僕の頬をすべる、その酷薄な指先に愛情なんて籠もってはいないのだけど。こんなとき、心が砕け散ってしまいそうなときに、思わず縋ってしまうくらいには、僕はお前を必要としているみたいだ。お前は俺を、必要としてくれているだろうか。

「…すまない、僕は…?」
「泣き叫んでおられましたよ。自覚がおありでは?……酷い顔色だ」
「そんなに…か…自分では、わからないが…」
「ゆっくりお休みになってくださいと申し上げたはずですが」
「…眠れない。寝ても、辛いだけだ」
「……殿下、またそんなに涙を流されて」

 気付かなかった、僕はまた泣いていたらしい。一度決壊した涙腺は、ふとしたきっかけで簡単に涙を零すらしい。僕の知らないところで、知らないうちに心臓がみしみしと音を立てて軋んでいるからなのか。キリコは僕の心も体もすべてのこさず作り替えてしまったのに、いつだってキリコは綺麗だ。不機嫌そうに眉を顰めたその横顔だって、泣きたくなる、くらいに。僕はどんどん汚れていく、こんな僕を誰が好きだと言ってくれる?だれが愛してくれる?誰が僕を抱きしめてくれる?僕にはもう、キリコしかいなくて、キリコには僕しかいないのだと、そう思わせてくれるわけでもなくて。僕があんなことを言ったから?キリコはいつだってそうだ。考えただけで苦しくなって、閉塞感で死にたくなる。馬鹿みたいに大粒の涙があとからあとから落ちてきて。掬い上げても僕の想いは報われることなんてないし、ぐるぐるぐるぐる考えても、キリコは僕を掬い上げてはくれないのだ。

「…嗚呼、こんなに腫れてしまって」
「うるさい…、誰が、泣かせてると思ってる」
「…あなたに泣かれると、どうしていいか分からなくなります」
「……放っておけ」
「殿下」

 貴方はなんだってそんなに、そうキリコが囁いた。空気が揺れ、僕の睫毛を震わせる。水分を含んだ、どこか生暖かくてやわらかいものが瞼に触れ、ちゅるりと音をたてて涙を啜って、離れていった。一瞬のこと。驚愕して思わずギュッと瞼を閉じると、僕の唇に触れそうなくらい近くで、キリコの唇がこう動いた。私を見てください。瞬間、体がカァッと燃え上がったような錯覚。指の先までジンジンと痺れている。あつい。あつい。キリコの唇がそこに触れたのだと思うと、瞼が焼けるように熱を持った気がした。

「なんて顔をされるのですか」
「殿下、私を見てください」
「目をあけて」

 キリコの言葉に、心臓まで焦げつくようだった。ゆっくりと目をあけると、一瞬、掠めるだけの口吻をして、その赤く薄い唇は僕の右目をゆるりと食んで、溢れそうになっていた涙さえも舐るようにして吸い取って、もう一度僕に口付けた。

「貴方はどこまでもあまいひとだ」




---


 冷たくて、ひりひりする。僕の涙を全部吸収したみたいに冷え切っていて、でも、慥かな意志を持ってふれてくるキリコの指を、僕は無意識のうちに捕まえてしまっていた。きゅう、と両手で握りしめると、指先まで力が入ったのがわかった。そのまま口付けて、おそるおそる口に含む。白くてつるつるした硬質な爪の形をなぞるように舌でふれる。いつもこまめに手入れをしているはずのキリコの爪が少しだけ伸びていて、たまらなくいとおしい気持ちになる。カシ、と歯を立ててからそっとキリコの顔を伺い見ると、眉間に皺を何本も寄せて、思った通りのむずかしい顔をしていた。

「キリコ」
「何を、なさっているんですか」
「つめたくてきもちいいな」
「殿下、」
「お前も舐めただろう?仕返しをしてやっているだけだ」
「……はい」

 このつめたい指をもつこのつめたいひとが、僕にとっての伴侶ならば、僕は彼にとってのなにになれるだろう。兄上ともベルカとも違う、そんなお互いであれるだろうか。彼の体温と僕の体温とが混ざり合い、ひとつになれる日は来るのだろうか。ゆっくりでもいい、だが着実に歩み始めているのだと、お前はそういってくれるだろう?
 なあ、キリコ。
 僕をこの涙から掬い上げてくれるのはおまえしかいないと、そう。

作品名:レントよりおそく 作家名:tusanne/かんだ