みかしず!
「え? …あ、ほんとだ。平和島さーん!」
『静雄ー!』
足を止めたサングラスの男が少年の声に振り返る。こちらに手を振る小柄な高校生とPDAを振り回す黒ずくめの首無しライダーを見つけて、静雄は頬を緩めた。
「おう」
『仕事中か?』
「いや、終わった」
『そうか、お疲れ』
「おう、ありがとよ」
短い会話を帝人はにこにこしながら聞いている。静雄は帝人に視線を移すと、短い髪をくしゃくしゃと撫で回した。
「わ、平和島さんっ」
「なんか竜ヶ峰も久しぶりな気がするな」
「そうでもないですよー」
静雄がこの高校生をことのほか気に入っているのを知っているセルティは、微笑ましい気持ちでじゃれる二人を眺めていた。静雄の気に障ることのない帝人は、静雄にとって年の離れた弟のようなものなのだろう。静雄に帝人を紹介して良かった、とセルティは無い首で頷いた。
『静雄、仕事が終わったなら少し休んでいったら? あとは家に帰るだけなんだろう?』
「あ、そうですよ平和島さん、ちょっとここ座ってだらだらしていきませんか? 午後ティーぐらいなら僕奢りますよ!」
帝人もぱっと顔を輝かせる。二人に手を引かれ、静雄は苦笑してベンチに腰を下ろした。
「いや、子供に奢られるほど貧乏してねーよ。大体よ、お前らベンチでだらだらって…」
『いいじゃないか、部屋の中にこもってるよりよっぽど健康的だぞ。吹きさらしだけど』
「そうですよ、たまにはこうして外の空気も吸わないと。極寒ですけど」
「…やっぱお前ら変だよ」
そうかなあ、と揃って二人は首を傾げる。静雄はそれを見て声をあげて笑った。
『静雄っていつもサングラスしてるけど、目が弱いのか?』
他愛ない会話の中で、セルティがぽつりと言った。静雄は首を傾げてサングラスの弦を弄る。
「んー…、いや、そう言うわけじゃねえんだけどよ。ほら、俺よく絡まれるだろ。で、最初は金髪にしてみたんだよ。こー、ガラ悪そうに見えて絡まれにくいんじゃねえかと思ってよ」
「逆じゃないですか、それ」
結局静雄に奢られた缶の紅茶に口を付けながら、帝人が呆れたように言った。
「そうでもない。少なくともカツアゲしようとする馬鹿は減った」
『静雄をカツアゲ…』
セルティが何とも言えないそぶりを見せる。
「でもよ、まだいるんだよな、絡んでくる奴。で、もっとガラ悪くするのに」
『サングラスかけ始めたのか』
なんというか、合理的なような、そうでもないような。帝人とセルティは顔を見合わせた。
「でも夜でもかけてますよね。なんかこう、見え辛くないですか?」
「あー…最初は結構蹴つまずいた」
そう言いながら、静雄はふとサングラスを外した。
存外繊細な顔立ちが露になる。すっと伸びた細い鼻筋と、意志の強さを表したような切れ長の目元。長い睫がぱちりと瞬いた。
『帝人?』
セルティが帝人の肩を叩いた。帝人はまじまじと静雄を見つめている。正確には静雄の顔を。
「いえ、その…───」
帝人の視線に気付いて、静雄が居心地悪そうに身じろいだ。
「なんだよ」
「や、別に、あの、…」
帝人は生返事を返しながらふらふらと立ち上がる。
間に座るセルティを通り越して、静雄の前へ。
その間も視線は静雄に固定されている。静雄がおろおろと視線をさまよわせた。
セルティが首を傾げて帝人の視界に入るように手を振る。帝人はそれに「ああ、はい、」と生返事を返して、とうとうベンチに座る静雄の目の前でじっと立ち止まった。
「おい、なんなんだよ竜ヶみ───…」
言いかけた静雄の目に映ったのはあんぐり開いた小さな口だった。
ぱくん。
(…あれ?)
なまあったかい。
どこがって、鼻が。
鼻先が、なんだかとろりと生暖かいものに包まれている。
あれ、さっきまで竜ヶ峰が目の前にいたのにどこいった、っつうか視界がぼやけてて、なんか肌色が───。
ガリ。
「ッてェ!」
「あ、ごめんなさい」
思わず声をあげると、急に現実感が戻ってきた。
痛みの走った鼻先を押さえて涙目で目の前を睨むと、はにかんだような顔をした帝人が口を拭っていた。
「思わず」
『おおおおおおおおおおおおお』
セルティがバグった。
「な、なななななにをっ」
静雄も大混乱である。
何がなんだか分からない。
鼻を押さえたままベンチの背にはりついた。
「いやあ、つい。ごめんなさい平和島さん、痛かったですか?」
「いいいい痛かったっつうかナニしたんだてめえ!!」
ぎゃんぎゃん吠えるが涙目のせいで全く迫力がない。帝人ははにかんだような何とも可愛らしい笑みを浮かべたまま、ずいと静雄に近づいた。
「来んなっ!!」
静雄は顔面蒼白でベンチごと後ずさる。帝人は楽しそうにそのベンチに手をついて、静雄の身体を跨いだ。
あどけない笑みを浮かべた薄い唇を、猫のような舌がぺろりとなめる。
「えー、そんな、ひどい。もう痛いことしませんから」
『というかnなniをっっしったんだみかど!!!!!!』
まだ若干混乱の残ったセルティが帝人の額に打ち付ける勢いでPDAを突き出した。
「何って、美味しそうだったのでつい」
平和島さんがあれくらいで痛がるとは思わなくって。笑う顔は無邪気である。
『つい?!』
「食べたくなっちゃって」
けろりと言う。
「たったたたたた食べるぅ?!」
静雄の顔が今度は真っ赤になった。
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
帝人はまたぺろり、と───静雄の鼻をかじった唇を舐めた。
照れたような、はにかんだような顔のまま、帝人は嬉しげに言った。
「平和島さんって、おいしいですね」
「〜〜〜〜ッ?!?!」
その瞬間、いろいろなものが限界に達したと思しき静雄は、座っていたベンチを後ろ手に真っ二つにへし折ると、そのまま脱兎の如く逃げ出した。あらゆる障害物をなぎ倒しながら。
『ギャアアアアアアアァァァァァァ………!!!』
「あーあ、行っちゃった…」
帝人が残念そうに呟く。残されたセルティは瞬く間に遠ざかっていく絶叫を半ば朦朧とした頭で聞きながら、震える指で帝人に尋ねた。
『帝人、一応聞くが、さっきのはつまりその』
すると帝人はセルティに向き直り、にっこりと笑って言った。
「僕、平和島さんのこと、結構本気で狙ってるんですよね。可愛いじゃないですか、あのひと」
この顔で油断してくれるのを待ってたんですけど、もう警戒されちゃったかなあ、残念だなあ。
『みかど…』
───セルティは静雄に訪れたある意味臨也以上の災難に、もうどうにでもなれとがっくりと肩を落とした。
「ま、唾つけといたし、なんとかなるかな」
───静雄が遠い空の下、背筋を震わせていたのはまた別の話。
〜おまけ・某魔界都市にて〜
「えええちょっと帝人くん!! 君そっちなの?! マジで?! 嘘でしょ?! 詐欺だよその顔で!!」
「あ、臨也さんはタイプじゃないんで」
「それも悔しいけど!!」
「…悔しいのね」
まあおおむね、平和である。