かまいたちっぽい夜
登りのリフトを降りた後、真理がそう言った。
いや、まだまだ華麗な滑りをこのゲレンデでキミに魅せたいんだハニー、と彼女を引き留めぼくは颯爽と滑り始めた、というのはウソで、今回がスキー初体験な自分にとって、まさにそれは天の助け。その言葉が聞きたかったのだ。ウンウンウン、と12回首をタテに降って同意を示した。祝福のベルが聞こえてきた、のは空耳かもしれないが、身体がギシギシ鳴っているのは断じて空耳ではないのだ。これ以上滑らされたら精神はともかく肉体が崩壊してしまう。
「じゃ、行こう」
真理はにっこりとぼくに笑みを向けた後、滑り始めた。雪煙をあげながら滑降する彼女は、本当にカッコイイ。
──下に着くまでにぼくは九回転び、二回林に突っ込みそうになり、五回人にぶつかりそうになった。
スキーを終え、ペンション「シュプール」に向かう車中、ぼくは考えていた。
(これからだ。重要なのはアフタースキーだ)
大学で知り合ったぼくと真理。世に言う友達以上恋人未満の関係だ。デートはするけど、キスなどはしたことがない。手を握ったのも数えるほどだ。ぼくの方からアプローチを続けてはいるが、ガードが堅いというか弄ばれているというか。真理もぼくのことを憎からず思ってくれているはずだが想いに応えてくれているわけではない。だからこそ、だからこそ、真理の方から「一緒にスキーに行かない?」と誘ってくれた今回こそが仲を深める大チャンスなのだ。今夜のことをシミュレートしてみると、ぼくの部屋で真理と二人きりになれる確率は七割以上だ。若い男女がペンションの一室で二人きり。これで何も起こらないわけがないではないか。雰囲気が良くなってきたところで、一気に告白。頬を赤らめ、うつむき、消えるような小声で「私も透のこと……」と呟く真理の髪を撫で、見つめ合った後キスをする。完璧だ。ラブラブ街道まっしぐらだ。ぼくにもようやく真理という彼女が出来ることになるのだ。恋人ゲットだぜ。
「やったぞ! そう思わないか真理!」
「あんたバカ?」
口に出してしまっていたらしい。
運転していて真理の方を見られないので判然としないが、白い目を向けられているのが痛いほど感じられる。しかし、ここで引いてしまっては主導権を握られるだけだ。何とか反撃せねばならない。
「バカとは何だ。人が気持ちよく来るべき明日の話をしていると言うのに。心に描いた夢を語り合えないヤツにスキーをする資格などないぞっ」
「勢いだけで喋ると後悔するわよ」
真理の声がツンドラ気候になった事を察したぼくは、あっさりと方向転換をした。
「ごめんなさい。ぼくはバカで未熟な大学生です。もう言いません」
真理は「うん、よろしい。以後気を付けるように」と許してくれた。──いや、ぼくは負けたわけじゃないぞ。夫は妻の尻に敷かれてやるのが夫婦円満の秘訣である、と落合さん(三冠王)も言っている。この行動の選択は大人の余裕ってやつだ。
そんな話をしながら、ぼくは天候が大きく崩れ始めているのを感じていた。車の窓を叩く雪の量がどんどん多くなっている。シュプールまであと少し。早めに出発して良かった。
そう思ったときだった。
突然、目の前を何かの影が横切った。
うわっ!
そう思って急ブレーキをかけてしまった。タイヤが軋む音を聞きながら、車体が横に滑るのを感じる。そして、衝撃が体を襲った。
雪の壁に突っ込んでしまった。
アイタタタ。
「今、何か横切ったよね」
真理がそう言ってくれたので、どうしてこういう事態になったのか説明せずに済んだ。しかし、キーを何度廻してもエンジンはかかってはくれない。空から降ってくる雪はどんどんと量を増し、車内の気温は下がる一方である。
「これは、歩いて帰るしかないわね」
真理がそう宣言した。
そんなバカな! これでは極寒の中歩き回り命からがらシュプールに辿り着いて玄関に死体を見つけてゲーム終了ではないか! ぼくと真理のピンキィな夜はどうなるんだ。ちくしょう、作者め、ラブコメな展開に持って行かせないつもりだな。ぼくは憤慨した。
「真理、それはいけない。車内で裸で抱き合って暖め合おう!」
そして助けを待つのだ、と言いながら襲いかかった。
真理の左フックがカウンターでぼくの右頬に突き刺さる。とても痛い。
「ごめんよう」
「ま、透の言うことにも一理あるけどね。この吹雪の中ちゃんと着けるかどうか、危険だわ」
「そ、そうだろうそうだろう」
「だから……」
「ん?」
「……」
あれ。
どうしたんだろう。
真理が突然喋らなくなった。
「どうしたの」
「……」
「真理?」
「……」
無言で真理がぼくの首に両腕を回して抱きついてくる。
ああ、服越しでも柔らかい──などと言っている場合ではない。
「ど、どうしたんだよ」
「……ふふふ……」
真理がぼくを見つめた。
淫猥な、それでいて、凍てつくような両眼。
「げ、しまった、幽霊編か!」
目の前にはただ赤。
車のシートを汚していく血の赤。
最後に思ったのは、真理はこれからどうするのかということだった。
真理……。
「初めてだったんだ」
「イヤン」
「車汚しちゃって。叔父さんにどう言い訳すんの」
「何とかなるわよ」
ちなみにしばらくしたら車のエンジンはかかった。
シュプールに帰ってみると、誰も死んではおらず、大きなリボンをつけたオカマが一人いただけだった。
良かった、オカマ編で。ピンクのしおり万歳。
(完)