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左手に君と右手に拳銃。

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普通の人から見ればただの安っぽいカンパニーのちっぽけなビル。
そこが何をしている会社なのか、知っている人も気にする人もいない。
地元の人間すらその会社の名前を覚えているのか定かではない。
お世辞にも整備された、なんて称されることのないビルの一室に彼は居る。
黒い革張りの椅子に深く腰掛けて、いかにも暇そうにあくびをかみ殺している。
眼鏡の奥の瞳が少しだけ潤む。あくびをこらえたせいだ。
がちゃりと部屋の重たい扉が開いた。軽くお辞儀をしながらかっちりと身なりを整えた男が入ってくる。
現れた男の顔を見て、彼は眠っていたような瞳に僅かに光を灯した。あくまで彼に築かれない程度に。
きらりと一瞬だけ光った眼を、男は見なかった。男は手元の書類ばかりを見ている。


「七代目、」


乾ききった室内に、男の声が響く。声色を落とした低い声だ。
これはこの男の癖である。地声はもっと高い声なのに、わざと低い声を出そうとする。
幼い顔立ちで華奢な背恰好をいつまでも気にしているのだ。
何も知らない人が見れば童顔の彼と椅子に座っている男の年齢を逆にとらえるかもしれない。
眼鏡の奥でブルーの瞳が細くなる。機嫌のいい証拠だった。


「やぁ、カークランド。相変わらずつまらない顔をしているね」
「・・・申し訳ありません、七代目」
「俺の名前はいつから数字になったのかな?」


書類を眺めていた男がぴくりと口元をひきつらせる。
反対に眼鏡の男はにっこりと、まるでダンスに女を誘うように綺麗に笑う。
あまりにも綺麗過ぎるその笑みに、男は重たいため息をひとつ零した。
そして書類を脇に抱え直してまっすぐに彼を見る。グリーンの瞳が薄暗い部屋に鋭く光る。


「これは貴方が母君の腹の中に居る時から与えられていた数字です。何も恥じることはありません」
「嘘だね。この数字は君のものだったはずだぞ、カークランド」


その言葉にますますひきつった顔になる男を見て、彼は至極嬉しそうだった。
狭い部屋の中、緊迫した空気が充満する。彼ら以外の人間が入ってきたらひとたまりもないだろう。
もうひとつ、ため息が聞こえた。それが合図。
書類を持っていた男が頭をがしがしとかいた。整えられていた髪が僅かに乱れる。
そして腕を組んだ男は不機嫌な瞳で見下ろすように彼を見た。


「・・・・・・今日は嫌に機嫌が悪いんだな」
「よくわかったね」


にっこりと笑うブルーの瞳に男は本日三度目の重苦しい息を吐いた。
黒革の椅子をくるりと回転させて、彼は男を視界から外した。
そちらの壁には大きな窓があったが、ブラインドが降りているため外は見えない。
彼はそれを見ながらまるで自分の生きてきた世界のようだと思っていた。
何も見せてくれなかった。何も見えなかった。
ただ自分の居る世界が正しいのだと、自分が背負っていくものの大きさを、切々と教え込まれた。
彼は自由を知らない。この世界以外の場所を知らない。与えられたレールをただ歩くことしか許されなかった。
自由と言うその言葉自体がおとぎ話のような、遠い異国の物語のような、そんな気さえしている。
だけど彼は決して、そのことを不幸だと思ったことはなかった。


「アルフレッド。」


気付けば彼のすぐ横に、男は移動していた。
唯一無二の、彼の“本当”の名前を知る者は、数少ない。


「何か、あったのか?」
「いや?何も」


男は黒い手袋をはめたまま、彼の髪に触れる。金色の髪を大事な大事な、壊れ物のように触れている。
彼はこの指が好きだった。小さな頃から、この指だけは何一つ変わらない。
唯一変わらずに自分の“味方”であるこの指が、彼にとっては幸せの象徴だった。
だけどいつからか、この指は手袋の下に隠れてしまっていた。
素手で触れられたのはいつが最後だっただろう、彼はぼんやりと思い返していた。


「何かあったらすぐに言え」
「わかった」
「お前の事、悪く言う奴なんて俺が消してやる」
「・・・そう」
「だからお前は、そこに居ればいい」


グリーンの瞳が、僅かに濁ったように見えた。記憶の中ではいつだって透き通っていた瞳が。
彼は知っている。この瞳がなぜ濁ったのかを。この指がなぜ赤黒く汚れていったのかを。
知っているのに、知らないふりを続けた。何も知らない綺麗なままのブルーの瞳を、男は求めているから。
金の髪に触れていた手を奪い取るようにして握った。
少しだけ驚いたような顔を見せた彼に、男はにっこりと笑った。これは彼の、好きな笑顔だった。


「じゃあアーサーは、俺のそばに居てくれる?」


そう聞いておきながら、彼は男が言うだろう言葉を確信をもって知っていた。
絶対にこう言う。一字一句間違えずこう言うだろう、と。



「もちろん」



男はやはり間違えなかった己に自嘲の笑みを送る。
そして今にも涙が零れそうな瞳を必死に押さえつけて笑った。
こういう時ばかり鈍い彼をひっそりと呪いながら。


違う、違うんだ、アーサー。
俺はそんな答えが欲しいんじゃない。そんな眼差しが欲しいんじゃない。
君の知っているアルフレッドはもう居ないんだよ。
一人が怖いと泣いている純粋な子どもは何処にも居ないんだよ。
君が座るべきだった場所に、居座っている人形みたいなアルフレッド。
俺が憎む人を消してくれるというのなら、今すぐに俺を殺してくれよ、アーサー。
作品名:左手に君と右手に拳銃。 作家名:しつ