猫のようなひと
雑踏の中に、見慣れた人物を見かけた。ふと足を止めてそちらに向かうと、いくつか知った顔が並んでいる。
「絶対猫! 猫のが可愛いって!」
「僕は犬がいいです」
少年にしてはやや高い声と、熱心に言い募るのは女性の声。帝人と狩沢、そうしてうんざりといった顔で溜め息を吐いているのは、門田と遊馬崎だ。
「なにやってんだ?」
気軽に声を掛けると、門田が肩を竦めてみせた。
「最初は、犬と猫、飼うならどっちがいいかって話だったんだけどな…」
猫を推して譲らない狩沢と、犬派の帝人が珍しく引かない態度を見せて、白熱した議論になっているのだという。
「ゴールデンレトリバーとかアフガンハウンドとか、大きい犬ってカッコイイじゃないですか」
「猫だって、豹とか虎とか強そうじゃない」
「…豹や虎なんて飼えませんよ」
「それを言うなら、この都会じゃ大型犬も難しいでしょ?」
何気に話を聞いていた静雄は、狩沢の言葉が理解できるのは初めてだ、と思った。いつもはなにを喋っているのかさっぱりわからないうえ、なんだか聞いているとムカついてくるのだ。
そして、こういう場面では大人しい帝人が熱くなっているのも珍しかった。そんなに犬が好きなんだったか?と今まで交わした会話を反芻してみるが、ちょっと覚えがない。
静雄がいることにも気付かない様子で、2人は一見ほのぼのした会話を真剣な面持ちで言い合っている。
「犬は人につく、って言うでしょ? 尽くされると重くない?」
「そんなことないですよ。いつも自分のことを見ててくれるって、すごくいいじゃないですか」
「そうかなぁ。2、3日留守にする時とか、待ってるって思うとなんか申し訳ないし」
「それを言うと猫は家につくんですよね。なかなか懐いてくれないのって、淋しいですよ」
「なに言ってんの! 猫はデレるとすごいんだから。一見クールなだけに、そのギャップがまた萌えるって言うか」
「犬だって、主人とそうじゃない人への態度って結構違ったりしますよ。自分にだけ優しいって、こう、ぐっときませんか?」
「くる。…けど、やっぱり猫でしょ」
「いや、犬ですよ」
静雄自身はといえば、特にどちらということもない。猫は触ると潰してしまいそうで怖いが、公園のベンチで勝手に膝の上に乗っかってくるのは楽しいし、犬だって最近は小さいものが多くて、やっぱり触るのは躊躇われてしまうのだ。
静雄にとっての基準は、好き嫌いよりまず、すぐに壊れてしまわないかどうかだ。そういう意味では犬も猫も人間も同じだ。…が。
「お前はどっちかってぇと、猫っぽいよな?」
「静雄さん!?」
ひとりごとのつもりが、案外大きな呟きになってしまったらしい。声でやっと静雄の存在に気付いて、帝人が目を大きく瞠った。
次いで、言われた内容に思考がいったらしい。不思議そうに首を傾げる仕草が、高校生らしからぬ子供っぽさを匂わせた。
「猫っぽいって、みかぷーが?」
「そんなこと、初めて言われましたけど…」
見た目も中身も真面目気質の帝人は、犬か猫かの2択であれば間違いなく犬に例えられるだろう。
言われてみれば確かにそうなのだが、それでも静雄の印象は『猫』だ。なぜだろうと考えていると、帝人がうーんと首を曲げた。
「静雄さんは犬っぽいですよね」
「ええー!? いや、シズシズは猫でしょ、どう見ても」
「そんなことないですよ。真面目で、律儀で、なんだかんだ言っても面倒見いいですもん」
ね、と笑顔を向ける帝人に、静雄は否定も肯定もしない。サングラスをかけ直してそっぽを向くと、目端にくすくすと笑う子供の顔が見えた。決してからかっている訳ではない、直球すぎるその言葉がくすぐったくて、真っ直ぐその顔を見ることが出来ない。
照れる静雄となぜか嬉しそうな帝人の様子に狩沢の目がぎらりと光ったが、獲物を定めた肉食獣の目に気付いたのは門田だけだ。
「じゃあ、みかぷーが猫だって思う、その理由は?」
「あ、僕も聞きたいです」
純粋な目と不純だらけの目と、双方に見上げられて静雄は考え込む。なぜといって理由はないのだが、強いてあげるとすれば―――。
「…一見クールで、デレるとすごいんだろ?」
飢えた獅子の檻に生餌を投げ込むような発言だと、もちろん本人に自覚はない。卒倒せんばかりに歓喜をあらわす狩沢に対し、帝人は怒ったような表情で顔を真っ赤にしていた。
「ちょ、そこ! そこもっと詳しく!!」
「いや、詳しくって言われても? 普段は真面目で大人しいけどよ、こないだウチに来た時とか、」
「静雄さん!!」
極上の餌を見つけた狩沢は、逃がさないとばかり大胆にも静雄の腕にぶら下がっている。重くはないが鬱陶しい。どうしたものかと見下ろすと、狩沢の危険を察したのか、門田がすばやく引き離した。
一方、帝人は泣き出しそうな顔で静雄を怒鳴りつけると、くるりと踵を返してその場から駆け去っていく。
「おい、静雄」
追いかけろ、と示す門田に笑みを向けると、呆れたような表情を返された。子供をからかうなと、そう言いたいのだろう。
駆けていく子供の背を追いかけると、それはかんたんにつかまって静雄の腕の中に収まった。街中、人前での暴挙に帝人は渾身の力で抵抗しているようだが、細い体躯が繰り出す抵抗など静雄にはなんの障害にもならない。
「もう、どっちも猫ってことでよくないすかね?」
「…今度会ったら言っといてやるよ」
別に伝えて欲しい訳じゃない、と首を振る遊馬崎に狩沢を任せて、門田は遠く2人に視線を送る。こじれるようなら仲裁するかと思ったのだが、あれはあれで、案外いい組み合わせなのだろう。
怒る帝人と、それを楽しそうに宥めている静雄に、門田は全身で溜め息を吐き出した。