犬の本分
「ザッキー、最近よく会うね」
と、言った。
「……王子、俺ここ数節ずっとスタメンで一緒に出てますよ」
たまに、この人は本当に馬鹿なんじゃないだろうか、と赤崎は思う。
「あ~そうそう、そーだよね」
「それと、あか“さ”き、ですから」
「ハハハハ」
そこは笑うところじゃないだろ。
それでも名前と顔が一致するだけ、前よりマシになったのかも知れない。
昨年まで出場機会は少なかったけれど、一応は二年間同じクラブでやっている、赤崎はその積もりでいたが、どうやら相手はそんな事微塵も頭に無かったらしい、と知ったのが二ヶ月前、開幕前のキャンプだった。
名前を訊ねられた時は冗談かと思ったが、赤崎が名乗るとジーノは軽く目を瞠り、改めて自分の顔を見直した。時間にして僅か数秒程度の怪訝な表情、すぐに何事もなかったように目を逸らし、どこかの司会者のように「髪型変えたんだ?」等と誤魔化していたが、一瞬の空白に気付いてしまった赤崎のプライドは、少なからず傷ついた。しかも、そのすぐ後に
「ザッキーは番犬ね」
と、“犬”扱いまでされた。
椿ならいい、あいつなら犬呼ばわりされても素直に返事をするだろうし、言われた通りに動くことに抵抗もないだろう。だけど俺は
(俺は……?)
別に、いいじゃないか。
思い出すと未だに腹が立つ、立つには立つけれど、あのミニゲームでの司令塔との連携が、今のスタメン起用に全く影響していないとは言い切れないからタチが悪い。あの人の性格が破綻しているのは以前からわかっていたことだし、それに対して自分の何が変わるわけでもない、いちいちどうこう思う必要も全く以ってない、いつも通りプレーしていれば全然問題ない、だから、戯言だと思って聞き流せばいい。
(きっとあの人は本当にアホなんだ、頭のネジが2、3本抜けてどっか大事な部品が外れちまってるんだ……)
人の顔やら名前やらを記憶するパーツとか、良識とかか?
「ねぇ、タッツミー」
ピッチに入ってもそんな事を考えていたせいか、鼻歌を歌うような長閑な口調で左肩の後ろ、少し遠くから聞こえたその声に、赤崎の耳はすぐに反応していた。
振り返らなくても声の主が大体どこに居るのか判る、おそらくフェンス際、赤崎を含め他のメンバーは練習前のストレッチをしている最中なのに、まるで「自分は無関係」と言わんばかりに監督の左隣、コーチ陣と同じ並びに立って当たり前のように腕組みをしているのだろう。
それは達海が監督に就任して以来、よく目にするようになった光景だった。
「タッツミーはさ、ペット飼ってる?」
「は? クラブハウス住まいでペットなんか飼える訳が──」
「ボクさぁ、ネコ飼おうかと思うんだ、ネコ、可愛いよね~」
「……。」
「でもさーいざ飼おうと思って見てみると、ネコって意外と高価くてさ~」
相変わらず人の話を聞こうとしない、一方的な会話を背中で盗み聞きしながら、赤崎が心の中で「その辺にいるネコでも拾えばいいだろ」と毒づいたその時。
「でもさ、オマエもう犬飼ってるだろ?」
「え?」
「ホラ、あの辺の──」
「……!」
まさかと思うより先に反射的に振り向いてしまった、案の定、達海と目が合い数メートルの距離を隔ててニッコリと微笑みかけられる、聞き耳を立てていたのがバレただろうか、いやそれは置いておくとしても、達海の指差した先には椿と、そして自分も入っているのはまず間違いないだろう。
隣のジーノはこっちをチラリと一瞥しただけで、すぐに背を向け、後ろから見てもわかるくらい大袈裟な身振りで肩を竦めた。
「わかってないなタッツミーは、ネコとイヌは全く違うよ?」
「あぁ、そーなの」
「ネコは愛玩動物でしょ、気まぐれで人間に媚びない、自分が構って欲しい時だけ擦り寄って来るような身勝手さがまた可愛いと思うんだよボクは」
「ふーん」
「イヌはね、ネコに比べて従順なイメージがあるから良いって言う人も居るけど、餌をやっていれば懐くのは当たり前じゃない? あれは寧ろ餌が欲しくて尻尾を振ってるんだよ。だから猟犬とか番犬とかはさ、ボクにとっては“餌を与えて、使うもの”であって、ペット──愛玩動物にはならないわけ」
「……。」
あの人にとってペットにすらならない犬は、名付けたり個別認識する必要も無く、ただの“犬”で一括り。そう言うことだろうか。
どこまで達海の話を受けて言っているのかわからないが、ジーノの声が心無しかさっきより高くなったような気がした、それは盗み聞きをしていた自分に言い聞かせているように聞こえなくもない──そんな事を考えてしまう時点であの人の戯言に汚染されている、自分で自分は犬だと認めているようなものだと気付いて、少し、ほんの少しだけ左胸の底がキリキリと疼いた。
「いーからホラ、オマエもう行けよ。昨日出た奴らは取り敢えず軽くランニングだ」
「はいはい」
村越を先頭に皆が走り出し、赤崎も軽く足首を解してその後に続いた。ジーノは達海に背中を押され、面倒臭そうに途中から群れの中に加わり、欠伸をしながらロクに足も上げずのろのろと芝を踏んでいる、今日は余程やる気が無いらしく、一人、二人と追い抜かれ、その背中は赤崎のすぐ目の前まで後退して来た。
「王子」
「うん?」
自分が勝手に盗み聞きをしていただけだと、わかっていても何だか釈然としないので、とりあえず一言だけ、少し足を早めて隣に並び、あくまで“それとなく”言ってみた。
「犬だって毎日餌をやっていても、場合によっては噛み付くこともあるんですよ」
「あ、ソレ知ってるよ“飼い犬に手を噛まれる”って言うんだよねー」
ザッキーは犬でも飼ってんの?噛まれたの?そう言ってジーノは「アハハ」と笑った。
やっぱりこの人は、あまり考えていないらしい。