それは些細なきっかけで
一度星に帰り、その後はパピーと共に色んな星を回るのだ。
幼いながらに見た父の姿はずっと私の憧れだった。いつか一緒に様々な星を旅してエイリアンを退治するのだと心に決めていた。そんなことは、ろくに家に寄り付かなかった父には言わなかったけれど。
でも数年前のあの日、私は星を飛び出したのだ。あのまま家に居たら、きっと私は私でなくなってしまったから。
闇雲に飛び込んだ船は地球行きだった。これは私にとってとても幸運だったと思う。地球に来て万事屋で過ごした数年間は今まで体験したことのない出来事の連続で、とても貴重なものだった。誰かと一緒に生活することの温かさ。夜、同じ家で他人の息遣いを感じられると、とても安心して眠れるのだと知った。
こちらに来て友達も出来た。夜兎だというだけで迫害され恐れられ、利用されてばかりいたけど、私がきちんと向き合えば相手だって分かってくれる。たくさんの天人が居座る地球だからかもしれない。もちろん悪い奴だっていた。それでも、他人も捨てたものではないと思えた。良い奴もいれば悪い奴もいる、そんなのはどの種族でも同じことだ。
星に帰ればと言ったのは銀ちゃんだった。
夜、いつも通り三人でご飯を食べた。そして新八が帰った後、お風呂上がりでソファに身体を預けてテレビを見ていた時のことだった。唐突に銀ちゃんがそう言った。あまりにさらりと言われ思わず聞き返してしまった。すると銀ちゃんはうん、だから親父と一緒に帰ればと。
その日は、昼にパピーが万事屋に顔を出した。私はびっくりしたけど、数年ぶりに会えたことを素直に喜んだ。二人の間にあったシコリは年月と銀ちゃんのおかげで軟化されている。
銀ちゃん、新八と一緒にお昼ご飯を食べた(もちろんパピーの奢りで)、その後すぐにパピーは仕事があるからと帰って行ったけど、明日まで地球にいるからと、滞在先を教えてくれたのだった。
その後が大変だった。私ではなく銀ちゃんが。
視界が歪み、液体が瞳からあふれて零れ落ちる。一度決壊すると次から次へと、とめどなく溢れてくる。どうして急にそんなことを言うのか、私が邪魔になったのかと泣きながら銀ちゃんに詰め寄った。銀ちゃんはしがみ付いて泣きじゃくる私の頭を優しく撫でてそうじゃないと言った。
私の中で銀ちゃんは父であり兄であり恋人みたいな存在だった。それでなくても複雑な感情を言葉にしたことはなかったけれど、銀ちゃんはその辺を丸ごとひっくるめて私の気持ちを解っていたと思う。私でさえ、自分ですら持て余していた感情を、年の差分の経験で振り分けて理解していたに違いない。
銀ちゃんの着物に涙で染みを作りながら、我慢出来ずに搾り出すように言った。好きなのだと、この思いが父としてなのか兄としてなのか男としてなのかは分からないが、とにかく好きなのだと。側に居たいだけなのだと。その私を切り捨てるのかと。
銀ちゃんは思春期には身近な異性を好きだと感じたり、錯覚したりしてしまうものだと言った。私の場合はそれが銀ちゃんだったと言いたいのだ。それなら、新八だっていたじゃないか、年だって近いのにと反論したら、あいつは眼鏡だからなぁと本人が聞いたら憤慨しそうなことを言った。私は一生懸命違うのだと、涙と嗚咽で声を詰まらせながら説明したが分かっては貰えなかった。
世界は広いんだから、俺なんかに構ってないでもっと外に目を向けろと言われた。もっと良い男はいっぱいいるぞと。もし、沢山の出来事や人を見て、それでもやっぱり俺が良いと思ったら、その時は俺を落としにくればと言って、見たことのない表情で笑った。
銀ちゃんより良い男はいっぱいいるかもしれないが、こんなに好きになるのは銀ちゃんだけだ。そう言うと銀ちゃんは困ったように笑って、お前の視野を狭めるのは嫌なんだってと言った。まだまだ先に何があるか分からないし、たとえ同じ結果だとしても、たくさんの中から選び出すのと、最初からある物を選ぶのは違うからと。最初から決め付けるな、他の奴に気持ちが揺れて当然なのだから、その時に自分の気持ちを抑えるなよと言われた。
そう言われて、私は我慢できなくなり声を上げて泣いた。声を張り上げて泣いたが銀ちゃんが私をギュッときつく抱きしめるので声が篭り、近所迷惑にはならなかったと思う。多分。私の泣き声は、銀ちゃんのお腹に吸い込まれて行ってしまった。
絶対に戻って来ると、戻って来るからと伝えたが、震える喉のせいで、明確に言葉にできなかった。でも、銀ちゃんには伝わったと思う。銀ちゃんは期待しないで待ってるよと言ったから。
そのまま銀ちゃんにしがみ付いて朝まで泣くだけ泣いた。もう涙も枯れて出て来ないくらい泣いた。そして、空が白みだした頃、寝ている定春を起こし、そのままパピーのいる宿へ向かった。これ以上一緒に居たら離れられなくなりそうだった。荷物なんて傘さえあれば何とかなる。
突然宿を訪ねた私をパピーはびっくりした顔で迎えた。鏡を見ていなかったけど、目が真っ赤になり腫れていたに違いない。私の様子に事情を悟ったのか、一言いいのかと聞き、私がしっかり頷くとそうかと言って頭を撫でて部屋に入れてくれた。
その後、日が昇ると色んな所に挨拶をして回った。挨拶をしたい人達が思いの他多くて地球で過ごした年月を感じる。
万事屋には行かなかった。出てくる時に行って来ますと言った私に、銀ちゃんは行って来い、イイ女になれよと言った。銀ちゃんの言葉に泣き出しそうになるのを堪え、私は頷いて返事をするしかできなかった。ポタリと足元に二粒の染みができた。
思い出すだけでもまだ涙が出そうになる。きっとこの先、私は何度も何度も思い出しては泣くのだろう。その時、私を慰めてくれる大きな大好きなあの手はないのだ。一体どうしてくれるんだ。
私がもう戻って来ないと思っているのだろうか。子供の戯言だと思って聞き流していればいい。思い知らせてやる。後で泣きを見るのはあっちなのだ。
2005.5.27
作品名:それは些細なきっかけで 作家名:高梨チナ