存在理由
周りでは、『産まれてきた事に感謝を』なんて言って誕生日を祝う習慣があるらしい。
でも、俺はその『産まれてきた事』とやらに感謝なんて出来ない。
だから、祝うどころか、この日が1番疎ましいとすら思う。
俺さえ産まれてこなければ、母さんはきっと幸せだったんだろう。
好きな男はもうこの世にはいなくても、その男との思い出と、その男との間に出来た愛する息子と。
大切なものをその手に、笑顔で幸せに暮らせていたんだろう。
……こんな風に、泣く事もなかったに違いない。
俺がこの家に来てから、母さんはずっと不安定だ。
俺がその場にいない時、兄貴の前では笑ったりもしているのをこっそり見た事はある。
昔はきっと、ずっとあんな風に笑っていたんじゃないか……と思うと、尚更罪悪感が湧く。
俺が来たせいで母さんが笑顔を失くしたのだという事を、思い知らされるから。
同時に思う。
どうして母さんはあんな風になりながらも、俺を引き取ってくれたのだろう、と。
俺を追い出してしまえば、そもそもこの家に入れなければ、あんなに苦しむ事もなかったはずなのに。
愛する男の息子ではあるけれど、同時に、その男を奪った憎い女の息子でもある俺を。
母さんと血の繋がりなんてない俺の事を、どうしてこの家に置いてくれるのだろう。
もちろん、ここを追い出されて生きていくのは、まだ幼いと言える年齢の俺には無理だけれど。
そんな事、本当は母さんには関係のない事であるはずだから。
だけど、母さんは俺を見捨てなかった。
激しい憎しみと嫉妬と悲しみに身を焼かれても、放り出してしまえない……優しい女性(ひと)。
そんな人を、俺はずっと苦しめている。
何とか笑ってもらおうと母さんに花を持って帰ったりもしたけれど、それも無駄だった。
俺が何かをしても、それは結局、母さんの痛みを煽るだけだった。
どうして俺は産まれてきたんだろう。
母さんにも、兄貴にも、辛い思いをさせて。
そうしてまで、俺が生きている意味は何なんだろう。
俺が生きている事で、誰かが傷付いてばかりで、誰も幸せにはなれないのに。
だから、俺はこの日が嫌いだった。
今日は尚更母さんは俺を見たくないだろうと思うと家に帰る気にもなれなくて、俺は1人、森の外れで膝を抱えて座っていた。
ひんやりとした風で身体が随分冷えていたけど、そんな事は別に気にならなかった。
そんな風にして、どれだけの時間が過ぎただろう。
空は赤く染まり、俺の紅い髪を更に紅く染め上げた。
その紅に、俺は目を閉じて、抱えた膝に顔を埋めた。
この色は嫌いだ。紅く染め上げられた景色など見たくない。
その時、ザリ、という土を踏みしめる音が聞こえて、俺は振り返った。
「兄貴……」
目の前にいたのは、少し息を乱した腹違いの兄。
困ったような、そして何処かホッとしたような顔をして俺を見ていた。
「悟浄、お前、こんなトコで何してんだ」
「……別に」
今の自分の内心を見透かされたくなくて、俺はフイと兄貴から顔を逸らしてまた前を向いた。
すると兄貴は俺の前に回り込んで、俺の正面に座ってしまった。
「……何だよ」
俺がそう言うと、兄貴は手を伸ばして俺の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「何すんだよ!」
「お前なぁ、出歩くのはいいが、日が暮れる前には帰ってこい。心配するだろうが」
「心配してくれなんて言ってねえよ」
「言ってなくてもするんだよ。俺はお前の兄貴なんだからな」
真剣な顔で言う兄貴に、俺は何となくバツが悪くて俯いた。
黙ってしまった俺をどういう風に受け取ったのか、兄貴のため息が聞こえた。
「おい、悟浄」
声をかけられて、俺は顔を上げた。
目の前に掲げられたものが、リン、という小さい軽やかな音を響かせる。
「……何だこれ」
「鈴だ。見て分かんねえか?」
「んなもん見りゃ分かるよ。何でこんなもんが俺の目の前にあんのか聞いてんだろ!」
「お前はしょっちゅうあちこちで迷子になるからな。これつけときゃ、ある程度分かるだろ」
しれっと言い放つ兄貴に、俺はムカつきを隠しもしないで言い返した。
「俺は猫かよ! 大体、しょっちゅうなんて迷子になってねえよ!」
「ついこないだ森で迷子になったくせに何言ってんだ」
痛いところを突かれて、俺は思わず言い淀む。
「あ、あれは、ちょっと違う道に入ってみただけで」
「で、道が分からなくなって帰れなくなってたんだな」
「……うるせえよ」
完全に言う通りなのでまともに言い返せないのが悔しくて、そっぽを向いた。
不貞腐れた俺を見て苦笑した兄貴は、もう1度俺の前で鈴を軽く鳴らした。
「ま、受け取っとけ。誕生日プレゼントだ」
何気なく出てきた思いも寄らない兄貴の言葉に、俺はつい兄貴を凝視してしまった。
「何驚いてんだ。今日はお前の誕生日だろ」
兄貴は早く受け取れと言わんばかりに、小さな飾りのついた鈴を揺らす。
しばらくは驚きで反応が出来なかったものの、俺は兄貴の言葉を理解すると顔だけを横に向けた。
「……いらねえ」
小さく呟いた声は、自分でも俺らしくなかったような気がする。
「何でだ」
そう訊いてくる兄貴の声は、俺に理由を問う言葉の内容とは裏腹に優しかった。
少しの間、俺と兄貴の間に沈黙が流れた。
理由なんて決まってる。
俺は、誕生日を祝ってプレゼントを贈られるような存在じゃないから。
存在自体が罪と責められているような紅い髪と瞳を持った、禁忌の子。
産まれてきてはいけなかった子供の産まれた日を祝うなんて、有り得ない。
何も答えない俺の手を取って、兄貴は俺に鈴を握らせた。
「悟浄、お前がどう思ってるかは知らねえが、俺はお前の誕生日が嬉しいと思ってるぞ」
「何で、俺なんかの誕生日が嬉しいんだよ……」
「嬉しいに決まってんだろ。俺の弟の誕生日なんだから。ま、クソ生意気な弟だけどな」
意地悪く笑って俺の頭をポンポンと叩く兄貴の手がやけに暖かくて、俺はわざと悪態をついた。
「……誰がクソ生意気だよ、バカ兄貴」
「そういうところがクソ生意気だっつってんだ」
兄貴はそう言いながら立ち上がった。
「そろそろ帰るぞ、悟浄。いい加減暗くなってきたからな」
辺りを見回している兄貴をちらりと見て、俺は手の中を鈴を見た。
チリン、と小さい音を立てて鈴が俺の手の中で転がる。
「……しょーがねえから、貰っといてやるよ」
兄貴に聞こえない程度の小声で呟いて、俺は鈴をポケットにしまった。
どうせ、いらないと言ってもあの頑固者の兄貴は聞きやしないから。
だから、仕方なく貰っておく。
「おい、悟浄、何やってんだ。暗くならねえ内にさっさと帰るぞ」
既に歩き始めている兄貴が、俺を振り返って待っていた。
「分かってるよ!」
俺は立ち上がって、兄貴の後について歩き始めた。
相変わらずこの日は嫌いだし、めでたいだなんてちっとも思わないけれど。
それでも、あのクソ兄貴が嬉しいと言うなら、あってもいいか……くらいには思うようになった。
この日が好きになる日なんてのは、きっと一生来ないだろうけどな。