どこまで
坊ちゃんは一度沈めた体を浮かすと、ローテーブルの上からテレビのリモコンを取り上げた。それから、再度俺の肩に頭を預け、腕だけを伸ばしてチャンネルを変えていく。深夜に近い時間だからか、大した番組はやっていない。全てのチャンネルに合わせてみてから、結局坊ちゃんは古い映画のところで操作を止めた。
貸したシャツは彼には大分大きかったらしく、伸ばした腕の手指まで隠してしまっている。手首の辺りでたぐまった生地の隙間からリモコンがひょこりと覗いていた。苦笑して、リモコンを取り上げてテーブルに戻してから、袖口を折ってやる。
どうしたのと言うので、うざったくねえかい、と逆に聞いてみると、坊ちゃんが軽く首を傾げた。色素の薄い髪がふわりと揺れる。自分のそれとは全く違う、儚くて透けるような色だ。色素の薄さ、という面でいうならば、坊ちゃんは髪だけでなく、その肌も瞳も、何もかも澄んだ色をしていた。折った裾から覗いた手首は細く骨張っている。よく日に焼けた、武骨な自身の手とは、何もかも違う。
裾を整えて、ほら出来た、と手を離す。けれど坊ちゃんはそれに従わず、それどころか体を更に寄せてきた。冷たい指がひたりと触れて、手首を緩く掴まれる。右手でこちらの左手を、左手でこちらの右手を、決して強くはないが、無視出来ないくらいの力で握って、おじさん、と呼ぶ。
声の方へ視線を向ければ、すぐ近くでじっとこちらを見つめる坊ちゃんの瞳に出会う。真直ぐな瞳のひたむきさには、もう大分長い間、気付かないふりをしていた。ぶれずに強く向かってくる視線にも、澄んだ色にも、――その瞳の真ん中に、俺が映っていることにも。
坊ちゃんの指先が、震える。見つめた先、少し前に俺を呼んだ唇も、小さく震えていた。薄い色をした唇がきゅっと引き結ばれた様子は、幼い子供が泣くのを我慢しているようにも見えた。
その唇を開き、浅く息を吐いた坊ちゃんが、もう一度、おじさん、と呟いた。小さく掠れて、聞き取りにくい声だった。それでも何故だか、その響きの熱さと切実さは不思議な程に鮮明で、俺はきっとずっと後にも、坊ちゃんのその声をはっきりと思い出すことが出来るだろうと、そんな確信を抱いた。
ああ、――この声の熱さは、どこまで。
(110228/土氷)
「どこまで」
どこまで続くの、とか、どこまで本当なの、とか。案外臆病なおっさん。