盲目的に君を愛する
折原臨也の瞳はもう焦点を結ぶことはない。
口元の汚れを一言断りを入れてハンカチで帝人は拭き取る。
「舐めとってくれればいいのに」
冗談めかして笑う臨也に帝人が覚えるのは切なさだけだ。
ふと落ちる沈黙に見えないながらも感じられるのか臨也が首を傾げる。
強くて痛いぐらいの瞳がなくなると作り物のような美貌が際立つものだ。
人形のようにすら見える。
「帝人君、俺は見えないんだからちゃんと言葉にして」
臨也の言葉に帝人は弾かれたように謝る。
頭を下げたところで臨也に見えはしないのだと気付いたが「ごめんなさい」以外の言葉が出てこない。
「帝人君、いいよ。気にしないで」
臨也の腕の中に抱き込まれながら正しさとは何か帝人は考える。
贖罪などできるものではない。
眼球を入れ替えるなどという問題で視力が戻るはずもない。
「俺も一人じゃ不安だから、手の届くところにいてね」
「そんなことで、本当に」
「未来ある少年の青春を拘束して、ごめんね」
「僕は、いいんです。僕は、そんな」
優しさが痛い。帝人の心をナイフで切り刻むかのようだ。
どうして自分はあんなにも軽率だったのだろうか。
臨也の視力が失われたのは帝人を庇ったからだ。
あの日、帝人は臨也の落としものを拾ってしまった。
いくつか持ち歩いているうちの一つ、携帯電話。
思わず出てしまった電話口でつい「届けます」と告げたのは情報屋の家が気になったということもある。
すべては非日常への渇望。
好奇心への代価。
言い争う声が聞こえたのに部屋へと入ってしまった。
少し覗くだけ、そんな軽率さが臨也の視界を永遠に閉ざした。
部屋から出て行こうとする男に目を止められて近くの棚に帝人は思い切り突き飛ばされた。
痛かったが臨也の苦しみを思えばなんということはない。
自分の名前が叫ばれたのは覚えている。
強く抱き締められた。
何が起こったのか分からなかった。
臨也がの苦悶の声が帝人に突き刺さる。
棚に置いてあった薬品が落下した、簡単に言えばそれだけ。
後で聞けば一時的に預かっていた一般には出回ることのない薬物であるらしい。
帝人を庇って劇薬を浴びた臨也は視力を失った。
目はひどくデリケートだ。
どれだけ願ったところで帝人にはどうしようもない。
こうして近くで生活を助けるぐらいしかできることはない。
「帝人君、笑って。俺は見えないけど空気は感じるから」
臨也が帝人がいるであろう方向を定めて視線をくれるが微妙にずれている。
悲しくなりながらも微笑んで臨也を抱きしめ返した。
安いものだ、と臨也は思う。
大好きな人間の本心を曝け出した歪んだ顔を見れないのはつまらないかも知れない。
それでも、安いものだ。
最後に見た帝人の驚愕と絶望に濡れた顔は何よりも魅力的だった。
「恋をしたら誰しも盲目だっていうだろう?」
「本当に盲目になっちゃう奴を僕は知らないけど」
臨也の呟きに呆れながら新羅は答える。
「最初演技かと思ったんだけど……」
「俺の本気を舐めないで欲しいな」
なりを潜めていた悪辣な表情の臨也に新羅は肩をすくめる。
見えはしないが分かっているだろう。
「うーん、僕はセルティが悲しむことはしないからね」
「セルティがどこかへ行こうとするなら両目ぐらい抉れるだろ」
「そりゃあねぇ」
立ち上がる臨也を見ていたら扉の少し外れた壁へ激突した。
声を上げて赤くなった額を撫でている。
(わざとらしい)
新羅は内心のツッコミを口にはしない。
控えめなノックのあと扉が開く。
「大丈夫ですかっ?」
うわずった声に臨也は微笑み「手、引いて」と告げる。
帝人は新羅に断りを入れて臨也を引っ張っていく。
それを見ながらなんとも言えない気分になる。
(部屋の間取りぐらい見えなくても平気なくせに)
でも、愛しい人の体温を常に感じていられるなら幸せだ。
どうでもいい他人ではない存在が自分という檻に囚われる幸福。
「応急処置すれば治せたのにね」
誰も二人に間に入れないだろう。
それこそが臨也が求めた現実なのだろうか。
見えていないのは誰だろう。
お互い相手のことすらろくに見えてはいないのではないのか。
盲目のままに愛するのは罪だろうか。
どちらにしても、二人の間にもう誰も入れはしない。