地下牢
日の光の角度と高さから、今が早朝であることは限にもわかった。
問題はその光の当たる面積がごく狭いこと。よくよく見上げると高いところの窓だと思ったものには鉄格子が嵌められ、ここが地下室であることを思い出す。もっと言うのなら、地下牢だ。
「そうか、俺……」
――限は先の任務で、理性の限界を超えて暴走した。理性の歯止めはきかなくとも記憶はあるのだから間違いない。
その割には手枷も足枷もはめられておらず、地下牢は自由に歩くことができた。が、何の気なしに牢の格子に触れようとした時、ガツンと何かにぶつかった。
「――結界?」
術具がないことやその質感からして頭領――正守の張った結界に違いなかった。叩くとコンコンと音がしそうだ。
叩いてみようかと手を挙げたとき、通路の奥の扉が開かれる音がした。牢の入り口付近に立って音の主を見ると、やってきたのは正守だった。
「よう。起きたか」
そして牢のカギを開けると限の側からは出ることの叶わなかった結界に、特に穴を開けた様子もなく入り込んでくる。
「……!」
「ああ、これ?お前以外は出入りできるようにしてあるから。使ってみせたことなかったっけ」
「初めて見ました。――すごい」
限は素直に感心する。結界師というものは、ただ暴れるしか脳のない自分と比べてどれほど有用な術に富んでいることだろう。
「これ、二重とかにして俺が絶対に出られないようにするって、できないんですか」
「俺は魔法使いじゃないからね、無理。特にお前が変化しちゃうとね」
正守にとってプライドが傷つけられる事実ではあるが、事実は事実だ。限が持つ力はそれだけ大きい。自分の心ごと傷つけずにいられない程に。
――かわいそうな子。かわいそうな、志々尾限。
けれど正守もただかわいそうというだけで彼を保護したわけではない。
言い方は悪いが彼を利用するために、既に夜業のシステムの中に組み込んだ。アトラを教育係につけて、訓練の時間を割り振り、時に討伐の任務に限をあてた。自分の命をいとわないような無茶が気にはなるものの、限は有能なファイターだった。
なのに当の本人が、こんな地下室のほうがいいなどと言うのは哀れなことだ。
「お前はもっと、日の当たる場所を歩いてもいいと思うんだけどなあ」
「……俺には太陽は必要ありません。夜目も利くし」
夜行には夜目の利く者が多い。正守は数少ない「そうでない」人間だった。
「ま、夜行ってくらいだからな、そういう一面を持ってる奴らの集まりだけどね、ここも」
「――翡葉さん、も?」
「何故そこで翡葉の奴の名が出るんだ?」
確かに先の任務には翡葉も諜報班として同行していたはずだが。そういえば限の暴走を止めたのは翡葉だった。
限は一瞬迷ったように視線を下に落としたが、すぐに顔を上げる。目は遠くを見ていた。表情は変わらない。
「あの人きっと俺のこと嫌い、だから。……誰も、好きな奴なんか、いないだろうけど」
「卑屈だなあ。事実と予想をごっちゃにしちゃいけないよ」
「そういうものですか」
正守は大仰に頷いてみたが、限を納得させられたとは思えない。なにしろ翡葉が限を嫌っているのも、限を真に理解しようとするほどに仲の良いものもアトラと正守以外にはいないのは事実なのだ。
「ま、根は悪い奴じゃないよ、翡葉も。……使い古された言い方だけどさ」
そしてにんまり笑ってみせる。
「あいつだって昔は間違ったりミスしたりしてたぞ」
「そうですか」
「それとも何か、任務の邪魔でもされたか?」
「まさか!そんなこと、ありません」
あるはずがなかった。そういう面では、一部の口さがない残酷な子供達より大人のほうが限に対してずっとフェアだった。
かつて家族でありながら限を虐げ続けた、姉を除いた兄達よりもずっと。
だからこそ不安になるのだ。
「俺、見境なくなるから。姉ちゃんみたいに、翡葉さんや頭領に対して牙を剥くかもしれない。それくらいなら」
「地下室に閉じこめられていたほうがいい、と?」
限は無言で頷く。目線を合わせてくれないのが正守の胸に痛い。
「わかった、じゃあ、お前に使命をやろう」
「使命?」
「そう、使命だ。任務じゃないぞ。お前にしかできないこと、いつか託すから」
その時だ。通路の奥の扉が再び開かれた音がしたのは。
「頭領?限?二人とも、そこにいるの?」
声の主はアトラだった。
「あいつ、お前が心配で来たんだぜ」
「っ……」
耳打ちすると、限の頬が僅かに赤くなる。ひるんだところにたたみかける。
「使命については、また今度。お前に適任なのを選んでやるよ」
「それって――」
「今は秘密だ」
限を――この子供を烏森の任務につける。そうしたら嫌がおうにも、あの騒々しくも懐かしい家族と限は出会うだろう。
見張りなどではなく、限の力を思い切り発揮できるようなそんな任務を用意しよう。
今は烏森には正当継承者がいる。正当継承者は滅多に烏森では死なないという。その恩恵を限も受けられたらいい。
正守の背にアトラが問いかける。
「頭領、いつまで限を閉じこめておくの?」
「今出すよ。――解!」
方印を構えると結界を解く。
「じゃ、行こうか」
わざと限に触れるように肩を叩くと、怯えたように限が肩を振るわせる。こんなにもこの魂は萎縮してしまっている。
だがあの場所なら。大嫌いで、なのに懐かしいあの場所でなら、限はその力を怯えることなく使えるのではないだろうか。
「アイツとも同い年だしな」
誰にも聞かれぬよう口の中で呟くと、少しだけ不思議そうな目線を送ってきていた限に気付かぬフリをして、アトラと三人で地下室を出た。
陽の光はまぶしくも、三人の上に平等に降り注いでいた。 <終>