てこずりましょう、喜んで
手狭で充分。ごく間近でよい。
ただ動かさないだけの線を引くことは、探り当てた時点で平常を保つ為の方程式のように決まったもの。
領域を侵されることは嫌悪にまで至らないが苦手とし、そんな自分に干渉の意識を向けてくれる他者を理解出来る気がさっぱり欠片もせずに歩み寄りを放棄していた。
自分製の自分という、獲得したばかりのそれの調整に掛かりきりの現在も距離の確保を怠らず。
折原臨也は自分という存在がとてもすきであった。
在るべき位置に麗しく並んだ造作や過剰に不自由を感じない能力に納得していたので、冷たい鏡に写る自分に初めてのキスを贈った。
残念ながら相手に温もりはなく、伴う筈の感情の高ぶりは物足りないものだったが冷ややかな感触は分かりやすく自覚を促した。
それからは自分すら外側から眺めるようになった。以後、輪を広げて観察的視界が普段となることは言うまでもない。
世間一般という膜を通して形容すれば、デートと呼ばれるかもしれないそれに似たものだったけれど、お互いごっこに付き合っているという認識でお茶をしていた。
流れる店内の背景の一部は何処かで耳にしたような中古の音の集まりで、それでなくとも腰を下ろして温めた椅子はごく浅い歴史を素朴に語る。
どのような動作を一つ行っても優雅に見える白い白い指に挟まれた、柄が長い造りのスプーンを巻貝のように力なく円を描く生クリームの脳天に突き刺す同席の相手。
その表情はほんのりとした味わいの退屈を舌上で遊ばせているかのように気まぐれで、今にも噛み砕いてしまいそうな、そんな穏やかなままではいないであろうと予測出来るものである。
そろそろ此方の視線に対して何らかの反応を示しそうな気配がしたので、手元の攻略対象に表面上の意識を戻す。
苺達を戴く溶け始めた生クリームは自分の仕業で半分程抉られていて、埋もれていた隣近所同士とキャッキャウフフして新しい味の開発に勤しむ具達の断面がお目見えしている。クリームに曇ったパフェ用のスプーンを奥へ差し込み採掘したものを口へ運ぶ。それを幾らか往復してゆく。
容器の中身が混沌としてきた処で、ふと面を上げれば臨也さんが八分目くらいにこやかに此方を観察するように眺めていた。
「俺、疲れちゃったみたい」
食べるペースが異なっているのか、とっくに空になっていたと思わしき容器の中でチョコレートに絡みつかれたスプーンが一つ寂し気に残されている。
「可もなく不可もなく、熱の籠もった視線は別に不快じゃないけど」
返事を求められている訳ではないのだろうが、言っておきたいことはある。
「僕は、その臨也さんの淡泊な処が好ましいです」
もしくは都合がよいとも、そういった確信めいた思いを抱いている此方に頷く臨也さんは、そう言ってくれるとこっちも嬉しいよと返してくる。
今、僕とキスをしたひとは苺味のキスになって、臨也さんとキスしたひとはチョコレート味のキスになるのだから二人がキスをしたならば、なんて仮定を足し算してみたり。
食べ掛けから意識を外したと察したのか、何、どしたのと尋ねられる。
「臨也さんとキスをしたら、苺チョコレート味になるんでしょうかね」
「試してみる?」
途端に人をからかうのが楽しくて仕方ないといった風な顔をされる。いけない大人だ。
「また今度で」
「付き合うってことは、致すかもしれないって分かってるのかな。プラトニックでも今の処いいと思ってるし、待てる間は待ってあげてもいいけれど」
「精神愛はどうなんでしょうね、難しそうです。…まあ、考えてはいますよ」
自分の感覚的には、情欲を否定しても得られるものは特にはないだろう。年上のひとに任せてみてもいい。このひとなら、そつなくこなしそうである。
「なら問題ないね。改めまして、俺と付き合って」
「はい、不束者ですが此方こそ」
突然に人恋しさを拾い上げてしまった異種の似た者同士は互いに同席する相手を合格としたような気がした。
早速だけども帝人くん、という前置きを丁寧に置いて発言する臨也さんはご機嫌に見える。
「帝人くん、ついてるよ」
言いながら腕を伸ばし指先で口元のクリームを拭われた。赤く色付いた舌先で目を細めて舐め取るものだから、黒猫に例えたくなる。
「わざとらし過ぎましたか?」
「いや、試してみたかったんでしょ。俺もそうだよ」
「中々気恥ずかしいものです」
「そう?意外とたのしいかも」
「それはよかったです」
正しく意が伝わるものを仕掛けるのはやはり難しかった。意を拾い上げてくれる相手が相手だからこそ成立したものであるのだろうから、背伸びは控えめにしておこうかと学習する。
求め合うものが少なそうな、均等であるような相手を条件にして周りを見渡し該当したので、というのみまでに単純ではないけれど否定は弱くて反論するには至らない。
人恋しさが訪れた時期と出逢いが重なっていたかもしれないことについては、まだ触れないでいて暫し初めての片恋らしきものを堪能してみたい。一応は初恋の遠縁を済ませた相手は、どう思案するつもりだかへの関心を手の内に引き留めておきながら。そのくらいには、恋未満であってもあたふたしつつ支払う遊び心を持ち合わせている。
それに、こんな始まりがあっても偶にはよいのでは、とも。
願わくばその内この感情がお芝居以外のものとなりますように、なんてね。
甘さと酸っぱさとが仲良のよい苺をラストに平らげて、仮の恋人に手を引かれて行く先はたのしいたのしい非、日常。
作品名:てこずりましょう、喜んで 作家名:じゃく