結局のところ…
ティーカップをおいて、セイランはもと女王候補に尋ねた。
日に一度、どんなに集中していても、かならずこのお茶の時間だけはアトリエを出て顔を見せる。
綺麗な顔に似合わず、かなりズボラで変にたくましかった彼に、この習慣がなじんできたのは、ごく最近のことだった。
アンジェリーク――もと女王候補――は、ごく普通の女子高生で、親元を離れたことがあったわけではなかった。
肉に洗剤をつけて洗うとか、洗濯機に靴を放りこむとか。そういうことをしないという常識は辛うじてあった。だが、クッキーやケーキを作って喜んでいた程度の彼女には、生活力があるんだかないんだか解らないパートナーとの生活は、それなりに厳しいものだった。
聖地を出てから、紆余曲折を経て、どうやら二人の暮らしというべきものが成り立って来たのは最近のこと。事件だか何だかわからない衝突やすれちがいや茶番は、実のところ女王試験よりはるかに彼女をたくましくした。
アンジェリークはクッキーに手を伸ばして、首を傾げた。
「……そう、でしたっけ?」
「そうだよ」
小さく笑って、彼はアンジェリークをのぞきこんだ。
「まだ、近寄りがたい?」
くすくすと笑いながら、彼はそう言った。
「そんなことは、ないです」
クッキーを手にとり、何度もまばたきしながら、彼女は彼を見返した。
「そうは見えないけど」
楽しそうに、彼は否定した。
「そんなこと、ないです」
「今時のおんなのこ、そんな言葉づかいが普通だとは思えないけどね」
見るともなしに手に取ったクッキーを彼女はみつめた。
黙り込んだ彼女を、面白そうに目を細めて見ながら、彼は残りのお茶を飲み干した。
「試験中の君のこと、見てなかったと思ってる?レイチェルと話してた言葉は、そんなじゃなかったよね?」
「……セイラン……さ……」
「なあに?」
「……何でもないで……す」
途端に、彼女の喋りがぎこちなくなる。葛藤が、手に取るようにわかった。
アンジェリークは、微かに頬を赤らめ、クッキーの端をかじった。
「まあ、どうだっていいよ。君は、君だ」
手を伸ばし、セイランはアンジェリークの髪に触れた。
「僕としては、こうやってからかいがいがある方が楽しいとも言えるし、ね」
口調はいつもの突き放すようなものだった。
だが、その表情は、試験中の彼を知るものであれば目を疑うだろう。大笑いしたって、おかしくはない。
甘く、柔らかな、表情(かお)。
氷の人形のようと形容された彼ですら、こんな表情(かお)が出来るのであったかと。
「……」
アンジェリークは少し唇をかみ、彼を見上げた。
「そんなに……楽しい……? セイラン……」
その言葉に、彼は目を見開いた。そして、心底楽しそうに笑い出す。
ぎこちない彼女の言葉。
とても居心地が悪そうだった。それでいて精一杯の彼に対する逆襲だった。
「…全く」
彼は言葉を切った。
アンジェリークは目を逸らした。
頬に血を昇らせたその顔を、彼は見守った。
……だから、君を愛してる……。
口には出さなかった。
かわりに、そっとその額に唇で触れてから、アトリエに姿を消した。
fin.