『星に願いを』
目覚めもよく体調も上々、勝負相手も決まっていて、その能力も資産も申し分ない。起き抜けに見た午後の空は美しく晴れていて澄んだ夜空が約束されたようなもの、その上このホテルの従業員の態度はすこぶる好い。
文句のつけようのないこんな日が、年に一日や二日あるものだ。憂き世を生き抜く報酬のようなものなのだろう。
純白に輝く、糊を効かせたシャツに袖を通すのさえ楽しく、ダービーは子供の頃に憶えた歌を口ずさんだ。
「When You Wish upon a star……」
映画かなにかで聴いた曲なのだが、何の映画か思い出せない。その後、色々な歌手が歌う様々なアレンジを繰り返して耳にする度に記憶が強化されて、今ではその歌詞をすっかり憶え込んでしまっていた。
「Make no difference who you are……」
『きらきら星は不思議なちから』。
バカバカしい。祈りが報いられると決まっているなら、どうして人はこうも平等に勝ったり負けたり、殺されたりするのだ。ここぞという大一番で神に祈りを捧げる者は多いが、報われたのを見た験しがない。
忍び笑いを漏らし、ヴェストを肩にひっかけてクローゼットを覗き込みながら、ダービーは歌い続けた。
「Anything your heat desires……」
こんなに機嫌のいい日も少ない。結びかけたネクタイも、一度でぴたりと襟に収まった。
あまりにも気分がいいので、ダービーはこの歌を歌う時によくする一人遊びを始めた。想像するのだ。
私は一介の善良な市民で、きちんと税金を納め、仕事にやりがいを感じている。小ぢんまりとした自宅に帰れば、美人とはいえないが優しい妻と無邪気な子供が待っている。子供は……そう、三歳くらいで、かわいい盛りだ。
「Will come to you……」
私は神を信じている。そうだな、教会のボランティア活動にも参加しよう。趣味はDIY、もちろん選挙では必ず投票する。党大会にも出よう。政治は市民の義務だから。
「Like a bolt out the blue……」
吹きだしそうだ。歌声が震えてしまう。
「Fate……Fate steps in and sees your through……」
それから……そうだ、寝る前には祈らなければ。私は敬虔な男だから、夜遊びなんか一切しない。寝室に置いた聖母子の像に向かって、一心に祈ろう。無心に、無心に。父よ、良い日を与えたまえ。
鏡を見ると、微笑を浮かべた自分の顔がある。それまでが笑いを誘った。ジャケットの塵を払って羽織り、シャツの袖の出し具合と、シルバーのカフリンクスの光沢を確かめる。
想像の中で、彼はまだ祈っている。
明日は今日より良くなるだろう。将来はもっと良くなるだろう。何せ、私は祈り、信じているんだから。努力すれば、必ず報われるはずさ。なんと清らかな、我が人生。
「When you wish upon a star
Your dream comes true……」
『星に願いを
夢をかならず 叶えてくれる』
最後の一節を少し情感過多に歌い上げると、ダービーはたまらず笑い出した。
笑いながら、部屋のキーを投げ上げて手のひらで受け止める。危なげなく受け止められた事にさらに気をよくして、彼は口笛を吹きながら部屋を出た。
帰って来たのは翌朝で、ダービーは満足し、疲れ果てていた。
彼はちょっぴり重くなったコレクションを大切にしまうと、それほど気分のよくない明日のために、ぐっすりと深い眠りについたのだった。