糖衣
「これは、ちょっと」
「スガタ君も苦手?」
ワコは困ったように笑った。それに苦笑で返す。購買で売っていた新製品の飴。試しに買ってみたが、これははずれだ。買った本人もそう思ったらしく、スガタにも感想を求めた、もとい道連れにした。スガタは甘いものも苦いものも嫌いではなったが、この味には流石に眉を顰めた。
最初はどっぷりと甘いのに、後から出てくる苦味はそれを軽く凌駕する。仕舞いにはすっきりとしない苦さしか残らず、いやに口に残るのだ。
「まだ残ってるんだよねぇ」
中身が残っている小袋をふりながら、流石に捨てるのはもったいないと、ワコは困ったように笑う。大切な彼女の為にスガタもどうにかしたかったが全部食べる気はどうしても起こらない。放課後の教室にはまだ生徒達がまばらにいる。彼らに配っても良かったが、巻き添えにしてしまうのは気が引けた。
「どしたの? 二人とも」
難しい顔して顔つき合わせちゃって、と席で向かい合う二人に寄ってきたタクト。部活始まるよ? と首を傾げるが、ワコが手に持っていた飴の小袋を見ると、相好を崩す。
「あ、その飴。美味しいよね」
意外な言葉に目を見開く二人をよそに、にこやかに笑って「二人も好きなの?」とすら尋ねてくる。二人は顔を見合わせ、ワコがおずおずと小袋を差し出す。
「よければ、タクト君貰ってくれない? 私、ちょっとこの味苦手で」
「え? いいの?」
「いいのいいの」
「それじゃ、遠慮なく」
タクトは嬉しそうに小袋を受け取ると、ひょいと一つ飴玉を口に入れる。
「その飴、後味が苦すぎないか?」
ご機嫌そうに飴玉で頬を膨らませるタクトに尋ねれば、「確かにそうだね」と肯定が返ってきた。
「この飴、食べるのにコツがあるんだ」
「そうなの?」
「飴にコツとかあるものなのか」
「そう、あるんだよ」
タクトはくつりと笑う。
「表面の糖衣をちょっと楽しんだら」
ころりと、口の中で飴玉が転がる。
頬の膨らみがなくなって、飴玉は口内の中心へ。
ひどく甘い桃色の糖衣を少しだけ味わってから。
「溶けちゃう前に」
奥歯にがりりと挟んで、
「噛み砕く」
あっけなく、飴玉は砕けた。
中から出てくる苦いソースは、まだたっぷりと残っている甘味と絡み合う。絶妙な味の変化をうっとりと味わって、苦味だけが残る前に飲み込む。
タクトは恍惚とも見える表情で、後味の余韻に浸った。
それを見たスガタは、何故だかひどく咽喉が渇いた気がして、知らずこくりと咽喉が動いた。
「ワコたちもまた食べてみれば?」
はい、と差し出され、もう一度薄紅の飴玉を口に入れる。
タクトが言っていたやり方を守って食べれば、先ほどとは全く違う味わいに驚く。
「ホントだ。これなら美味しい」
「ああ、確かに」
「でしょ?」
くすくすと笑うタクトは少し得意げだ。それじゃあ、とワコにまだ中身のある小袋を返そうとするが、ワコは首を振って、そのまま貰ってと受け取らなかった。
その日、部活に行っても飴玉の話題で盛り上がった。新製品の飴玉の不味さは有名だったらしく、部長たちもその飴を知っていた。食べ方でまるっきり変わる味に驚きながらも、甘味が好きなのは女子の共通事項なのか、上機嫌に頬を緩ませていた。あれよあれよという間に飴玉はなくなっていき、部活が終わるころには袋の中にはほんの数個残っているだけになった。
帰り道。ワコを送り届けてから、スガタとタクト、二人連れ立って帰る。
「今日の晩御飯は何?」
「さぁ? 何だろうな。朝、良い魚が手に入ったとジャガーたちが言ってたな」
「魚かぁ。楽しみだな」
タクトがスガタの屋敷に居候を始めてから二人一緒の時間が増えた。当たり前と言えば当たり前なのだが、スガタにしてみれば、誰かと二人で居る時間は今まではワコだけだったので、何だか不思議な心地がする。タクトと出会ってからも三人で居る時間が出来たものの、タクトと二人という時間は実のところあまりなかった気がする。
それが無意識だったのか、意図的なことだったのかは分からない。
しかし、今の二人の時間は悪いものではない、むしろ心地良いものだと思う。
「そういえば、良く知ってたな。飴の食べ方」
「ああ。あれか」
頷きながら、タクトは残り少ない飴玉を一つ、口に入れる。ころころと口の中で転がしながら、横を歩くスガタを見遣る。
「僕も似たようなものだからね」
「……どういう意味だ?」
人影が見えない細い道。道を照らす橙色の街灯は、心もとない光を二人に落とす。
スガタを映す紅い眼は僅かに弧を描く。けれどもどこか、歪な弧には淡い影が降ってた。
「僕の中はあの飴みたいに、苦くて不味いもので溢れてるんだ」
どろどろで、醜くて、そのままじゃとても飲み込めないような、そんな中身。
「でも、どうしても一緒にいたかった」
だから、一枚一枚丁寧に。苦い中身をすっかり包んでしまおうと。
「糖衣で甘く見せかけてるんだ」
がりっ、と鈍い音がする。
それは飴玉が砕けた音で、そして、タクトの糖衣が剥がれた音にも聞こえた。
「飴玉は苦さと甘さがちょうど良かったけど、僕のは苦味が強すぎるから」
砕けた飴を飲み込む咽喉に目がいく。甘さも苦さもひっくるめて、胃の中に落ちていく。
「食べてくれるなら、糖衣が溶けちゃう前に飲み込んでね」
砂糖よりも甘い笑顔と一緒に言われた言葉はほろ苦い。ほんの少しだけ、彼の中身を味わった気がした。
それでも、その苦さは嫌ではなく。
「甘いのもいいけど」
こちらを窺うように見ている顔に手を伸ばし、細い顎を捕らえる。親指で触れる唇は、僅かに潤んでいる。
舐めた唇はほのかに甘い。次いで含んだ舌も甘い。それでも淡い苦味も感じて。
「僕は苦いのも好きなんだ」
その味に、溺れた。
甘い嘘も。苦い真実も。全部まとめて君だから。
全てを味わいつくすまで。