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tick-tack

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壁の所々が罅割れ、排気ガスで黒く変色し、蔦に覆われかけた古い建物。お化け屋敷かはたまた心霊スポットの廃ホテルかと言わんばかりの風体をした、正十字学園生徒寮――旧館。
 ここに、弟の雪男と自分の2人しか暮らしていないと知って数日。生徒寮というにはヤケに静かだという事は常日頃感じていたが、意識をすると更にこのだだっ広い寮に2人きりだという現実に、燐はどこか物寂しく感じてならない。

 16歳にして2つの称号を持つプロの祓魔師であり、同い年の生徒に悪魔薬学を教える祓魔塾の講師である雪男の帰りは遅い。燐が祓魔塾を終えて寮へ帰宅し、風呂を浴びて夕食を食べて漫画を読んで――…。講師としての業務は勿論、祓魔師としての緊急招集が掛かれば、燐が寝る寸前になる事も稀にある。
 課題を放り投げて漫画を読んでいても五月蠅く言われないのは良い。けれど、――独りの時間は途轍もなく長く感じる。静かであればあるほど。

 自室でだけは隠さなくても良い、悪魔の証である尻尾をゆらりと揺らしながら、燐は既に何度か読んだ漫画を手持無沙汰に目を通していた。それはただ文字と絵を視線で追うだけで、内容は全く頭に入って来やしない。静寂の室内に、時計の針が刻む音だけがやけにはっきりと聴こえるようになったら、雪男が帰ってくるまでの時間がいよいよ長く感じるようになる。
 今まで育ってきた環境にこんなに長い静寂は無かった。まだ人の起きているこの時間であれば、誰かしらの声は聴こえていたし、ずっと机に向かっていたとはいえ弟の雪男は同じ空気の中に居たから、物理的な意味で独りを感じた事は少ない。
 降魔剣を横目にぼんやりと思い出す事に、余り気持ちの良い思い出などない。ポジティブな筈の自分の思考が少しだけ後ろ向きになるこの時間が、燐は好きになれなかった。
 
「――…。雪男の奴、今日も遅ェのかな」

 暫くぶりに口から漏れる言葉に返答は無く、チクタクの音に吸い込まれて消える。

 再び訪れる静寂は、次にその部屋の扉が開かれるまで――小1時間程続いた。



 廊下を歩く音、近付き足を止める音、扉のノブを回す音、そして空気を揺らす感覚。何かしら考え事をしながら歩けば気にはならないものの、静けさは人と空気の動きを鮮明にする。
「ただいま――…と、」
 雪男が緊急で借り出された祓魔の任務から解放されたのはつい30分程前だ。表情に疲労色の濃い雪男が、帰ってきてまず兄の姿を確認するのは、何も「危険対象だから」というだけではない。
 外気と大して温度差の無い室内で、厚いコートを脱ぎながら、挨拶と共に兄の姿を確認して――雪男は声を掛けるのをやめた。布団も掛けず読みかけの漫画を片手にベッドで悠々と眠っている兄。其処にいる事に安堵して、雪男はコートをハンガーに掛けてすぐ、燐の傍へと歩み寄る。

 何も言わずに燐の身体の下敷きになっている掛け布団を引っ張って燐の身体を温かなそれで包もうとした瞬間――、まだ眠りの浅かった燐は身体を無理矢理動かされる感覚に僅かに瞼を上げる。
「――雪、男…?…おかえりー…」
 青焔魔の落胤である為に敵も多いだろう燐が、しかしまるで危機感の無い呆けた様子で、当たり前のように弟を認識する。
 兄の寝顔に自然と緩んだ頬にキュっと力を入れた雪男が、燐の肌蹴た白い腹にバサリと布団を掛けながら、途端に厭味にも似た正論を口に出す。
「ただいま。兄さん、ちゃんと課題はやったんだろうね?」
「んー…?」
「やってないなら今からでもするべきだ。」
 慣れた仕草で眼鏡のズレを直す。上から冷たく見下ろしながら言う言葉は、まるで好きな子を虐める餓鬼の様だ。上体を起こしぼんやりと弟を見上げていた燐が、その雪男の表情を眺める。つい最近までは余り目にする事も無かった、少しの冷たさを含む視線が全く気にならないわけじゃない。
「雪男」
 踵を返し自分のスペースへ戻ろうと身を翻す雪男を、浅い眠りから漸く視界の定まった燐が呼び止める。同時に伸びる腕に、背を向けた雪男が気付く事は無く。

「何――、……ッ」
 
 面倒臭そうに振り返った雪男は、突然世界がグラリと揺れて、自らの意思とは関係なくよろめく身体に驚く。しかしそれ以上に驚いたのは一瞬にして視界から光が遮られてしまった事。併せて、自分の唇に温かな燐のソレが不器用な柔さを持って触れて来た事。
 ベッドから少しだけ身を乗り出した燐に胸倉を掴まれて――、不器用だが少し強引な口付けをされる事など滅多にあるものではない――いや、これが初めてだ。
 雪男が驚きを隠せず瞠目している間に、燐はすぐに掴んだ胸倉から手を離す。あっという間の出来事だが、雪男には離れて行く燐の動きがスローモーションの様に感じる。燐が握っていたシャツがその通りに皺を刻んでいた。そんな憎らしくも可愛らしい口付をされてすぐ、今度は拳で胸部を軽く打たれる。

「今日もお疲れサン」

 クィと口端を上げて笑う様は、「兄」の貌だった。突然の事に、驚く表情を隠し切れない雪男を見て、燐は微笑う。深く疲労の色の濃い弟に対して、こんなものが慰めになるなんて思ってるわけじゃないけれど、それでも気休めにくらいなるんじゃないかと感じるのは思い上がりだろうか。

 いつもは大抵雪男が主導権を握っている所為か、燐の余裕が垣間見れるそんな表情は、雪男にとって酷く嗜虐心をそそる以外の何物でも無い。燐が思っている様な気休めなんて甘いモノにはならないけれど、疲れから気を紛らわせようとしたなら成功だ。


 グイと、タイに指を掛けて首元を緩める雪男の口元には、先程までは無かった笑みが浮かんでいる。それは講師の時に見せる様な唯の善人のソレじゃない。目は冷たく、いや、酷く楽しげに細められて――他の誰にも見せる事のない黒い笑みに燐が気付く頃には、折角起き上がった身体は雪男の腕によって抑えつけられていた。

「…――え?」
「どうせ課題する気も無いんだろう?仮眠もとったみたいだし、俺を労わってくれるなら――、徹底的に労われよ、兄さん」

 ちょっと待て、と慌てた燐の唇が言葉を刻む前に、今度は慣れた仕草で雪男の唇が少し強引に燐の唇を塞ぐ。外気に晒され続けていた雪男の乾いた唇が、薄いが柔らかい燐の唇を啄ばみ、徐々に深く繋がっていく。
 逃げる隙も無ければ、数分後には雪男から与えられる悦にきっと逃げたいという感情すら失くなってるんだろう。次に雪男から逃げたいと思うのは、…だけどそう遠く無い時間である事は間違いない。


 1時間と少し前、あんなに五月蠅く聴こえていたチクタク時を刻む音が、もう燐の耳に届かない。
作品名:tick-tack 作家名:1063