わがまま。
病室に戻った佐久間はむくれていた。
談話室で土門と話をしてきたらしい事は分かってはいたが、子供がそうするみたいに頬を膨らませていたので、源田は盛大に声を出して笑ってしまった。
本当に、感情が爆発して怒れる、そんな内容でもなかったから。感情が行き場を失っているのだろうと源田には思われた。
しかし、それにしては手法が地味すぎている、佐久間。
「いや、聞いてんだから話すだろ」
鬼道さんはどうしているか、体調はどうか。風邪は引いていないか。その兆候はないか。食事の内容、栄養配分は完璧か。大きな怪我はしていないか。妹さんとは仲良くやっているか、プレイスタイルは変化したか。
訊きたいことは山のようにあった。
タオルはリネンの専用タオルと綿の二種類で、どちらも帝国のロゴ入りのもの(佐久間が別注した)を使用しているのか。予備の確認はしているか。マントの予備は万全か(一応赤いものも土門には持たせてある)そして、鬼道さんがどうしても忘れてしまう、日常使う眼鏡の管理(近視なので)そして家柄とそのお立場を愚弄する者は居ないかのチェック、などなど。(もっともそれに該当する者が居た場合には帝国学園サッカー部一同で雷門に乗り込むつもりで居たが)
指示したい事も山ほどあった。
「だって、さ」
佐久間がまた、子供がそうするように口を尖らせた。視線がうつろいでいる。源田は苦笑して「そうだな」と慰めた。
「したいのは、指示だけなんだ」
「そうだな」
「なぁ!そうなんだよ!こーじ、さぁ。ご飯を楽しく作りましたとか、聞いてないんだよ!」
近況や、どんな会話をしているのかということを、土門は電話口でそれはそれは楽しそうに喋った。
こちらに居るときの土門なんて、主体性の欠片もなかったというのに。指示にだけ的確に動く忠実な男だったのに。
ほんとうは気になるけれども、聞きたくなんてなかったのだ。
英語の発音を教えてみましただとか、数学のプリントを一緒にやったんです、とか。そんな情報は、要らないのだ。
それをあんなふうに、満足げに土門に言われたら、悔しくて悔しくて仕方がないではないか。
唯一こちら側から、お側に居られることとなったのは、奇しくも、土門だけなのだから。
「あーんな、楽しそうに、さぁ」
佐久間は羨望と嫉妬が交じり合った愚痴を、フィルターに通さずにボロボロと口にした。
「あぁ、」
源田は、世の中が不条理だなんて、そんなの、分かりきった表情で。自分もその愚痴に参加したいところを堪え、敢えて聞き役へと回り、たまに爆発する佐久間をこころからなだめた。
「でも、楽しいんだからいいだろ?」
きどうさんが。
「楽しくない!」
それは、俺たちが。
「子供かよ」
望んだのだ。
雷門への、転校を。
共に戦ってきた自分たちの、居なくなった帝国のピッチなんて
だれも居ないロッカールームなんて。
そこに一人佇む、彼を、どうしてこれ以上望めるのか。
「そこにいて。待っていて欲しい」なんて、言えやしない。
家柄やお立場に加え、総帥逮捕で揺らいでいるであろう、あの誇り高き鬼道財閥の中において
これから、鬼道さんが進んでいく道の中で、どれだけサッカーに裂ける時間が出来るのだろう、とか。
これで、終わりかもしれない。来年で、終わりかもしれない。そういう風に生きているのに。
どうしてかれから、あんなに大好きなものを奪えよう
かれには、もう、そんなに時間は残されていないというのに。
もう、あの深紅の布のはためきは見られないけれど。
とめることなんて、出来なかった。
出来れば自分たちが、連れて行きたかったけれど。
その、高みまで。
「だって、さぁ」
「わかってるんだろ?」
「わかっているさ!!」
佐久間が、あからさまに表情を崩した。崩壊したように、ぼろぼろと涙をこぼした。
どうしようもないのだ、しかし。
「雷門で、良かったじゃあないか」
あのチームには、円堂が居る。眩しくて、まぶしくて、かなわないやつが居る。だから、だいじょうぶなんだと。
「鬼道さんは、導かれるところに、導かれたんだ」
そうして源田が寂しげに微笑むと、つられたように顔をぐしゃぐしゃにした佐久間が一層それを強くさせて笑った。
「ところで、お前、よく泣くようになったな」
源田が、微笑う。