死に行く者
ぱちぱちと、火花を散らす真っ赤な炎を見ながら、ひどく対象的な青を思い浮かべた。
真っ暗で、引きずり込まれそうな水面は思い出しただけで鳥肌が立ちそうになるほどに恐ろしいものだった。
無意識の内に右腕を左の腕で強く握っていることに気がつき、引きはがすように左手を離す。
赤い炎から視線をずらせば、薄汚れたマットの上で眠っているクリーチャーが視界の隅に写った。
忌々しくも感じられる過去が燃え盛るのを見る事と、痛々しく虚しい失望と絶望が渦巻く現実を見る事と、どちらが楽かと聞かれれば、その答えは明白だった。視線は、赤く燃え盛る炎に戻される。
火種は薪ではない。自らの、消し去ってしまいたい過去の記憶の一部だ。
僕は、あの人を崇拝していた。絶大なる信頼、信仰と呼べるものだったかもしれない。尊敬の念を抱くと同時に畏怖、畏敬の念を。
心の底からあの人を畏れ、敬い、憧憬を抱いていたのは間違いない。
しかしそれはもうすでに過去の思いと化し、その思いは今尚を僕を締め付ける。過去のその思いが、どうしようもないまでに大きかったからこそともいえるだろう。
今の僕はあの人にどんな思いを抱いている。
失望はもちろんのこと、幻滅してしまっているといってもいいだろう。
かつて崇めた人物は、本当にそれに足るものだったのだろうか。・・・ああ、幻滅を感じているのは、あの人へではなく僕自身へなのだろう。
幼かったことなど理由にはならない。家柄のことなど、理由にならない。家庭環境も然りだ。それは、兄を見ていればわかりきったことであった。
同じような空間で育ったはずの兄と僕はどこが違ったのだろう。どこが違ってしまったのだろう。
ああはなりたくないと、強く強く、憎しみすら感じるほどに思ったものだったのに、今ではどうしたらああなれたのかを思案するなど。滑稽もいいところだろう。
燃え盛る炎の下で燃える何冊ものアルバム達。かつて僕の宝物であった物たち。
宝物と聞いて連想されるきらきらしたものなどではない、もっと暗く陰湿な宝物。
世界中があの人を恐れて、僕はそれを一枚一枚綺麗に切り取った。日刊予言者新聞から、マグル界の小さなゴシップ記事まで、隅から隅まで探し尽くした。
何かに憑かれたように一枚一枚丁寧スクラップされたそのアルバムを一冊、また一冊と火種にしていく。
めらめら、ごうごう。
音を立てて燃えていく僕の努力はただの徒労でしかなく、しかしそれに僕は気づく事はできずに終わった。
全ては僕に責任があった。どうしてクリーチャーがこんな目にあわねばならないのか。どうしてもっとはやくにあの人を知る事ができなかったのか。
最後の一冊となったアルバムを手にとり、腫れ物を触るかのようにして開く。
そこにある記事の数々を見て、吐き気を感じた。びっしりと埋め尽くされたそれは、古くなり黄ばんだものもある。
こんなものを集めてどうするつもりだったと言うのだろうか。かつての僕はこうしてあの人の為したことを功績と呼び、それを余さず見る事であの人を知ったつもりになっていた。
驕りもいいところだ、と吐き捨ててそのアルバムを火に投げ入れた。
アルバムはその身から火を噴き出し、すぐに灰へと変わって行く。写真でも入っていたのだろうか。黒い煙と共に空気を漂った異臭が鼻をついた。
その匂いを感じたのか、いつの間にかクリーチャーがさっきまで寝ていたマットから体を起こして僕を見ていた。
「レギュラスさま」
「クリーチャーは何も心配しなくていい。ただ、これからすることを誰にも言わないでいるということだけを守ってくれればいい」
「しかし」
「いいか、ここから先、僕の言う事は絶対だ。反論も、拒否も、認めない。全て僕の言う通りに行動するんだ」
「・・・仰せの侭に」
「いい子だ」
すまない、と心の中でどうしようもない懺悔の気持ちが溢れていく。お前には嫌な事ばかりさせてしまう。つらい思いばかりさせてしまう。それもやはり、僕に責任がある。
なら原因である僕がいなくなってしまえばいいじゃないか、と。そんなに簡単な話ではないことなど百も承知だし、僕程度の存在が消えたからといってなんだというのだろうか。
暗く冷たい洞窟の底冷えした空気を思い出した。どうしようもない場所だ、あそこは。
あの空間にいるだけで、あの空気に取り巻かれるだけで、僕はどうしようもないまでの死の予感にさらされる。
ごうごうと炎はまだ燃え盛っている。アルバムは全て灰へと変わり、僕のあの人に対する感情も、忠誠も灰と化して風にさらわれた。
部屋の明りはつけられておらず、ただ暖炉の炎が部屋全体を橙色に染め上げている。
暖かくすら感じられる色だというのに、僕の体は底冷えし、寒さにか、恐怖にか、震えが止まらない。
ゆっくり目を閉じれば、真っ青な空間が広がって呼吸が苦しくなった。
すぐに目を開いて大きく息を吸う。大丈夫だ、僕はちゃんと呼吸をしている。
酸素を取り入れ二酸化炭素を吐き出す。
この自然な動作を、僕はあと何回繰り返す事ができるんだろう。
僕の心臓はあと何回鼓動を打つのだろう。
僕はあとどれだけ、生きていられるんだろうか。
いつの間にか部屋は暗くなっていて、僕だけが変わらずにそこに立ち尽くしていた。
クリーチャーはそっと僕を窺って、クリーチャーの手をとった。
冷えきった部屋に、ばしん、という音が響き、灰が風に舞った。