瞼の光
うららかな陽気の午後、玄関に客人が来たので、修行していた庭から玄関にやって来て戸を開けて。開口一番。
「なんで戻ってきたんだよ」
言ってしまってからあまりにけんか腰の――子供の応対だったと良守は心の中で舌打ちするが、言葉はもう取り返しがつかない。
「ひどいな、良守。お兄ちゃんが帰ってきたのにいきなりそれ?」
「るせー!お前が帰ってくるなんてロクなことがあるわけねー!」
「やれやれ」
正守は肩をすくめると、三和土を指さしてにっこり笑う。
「上がっていい?」
「……しゃーねーな。お前の家だからな」
さっきのバツの悪さも手伝って大人しく家に入るよう促すと、正守がクスクスと笑う。
「なんだよ」
「いや?嬉しいなあって」
「は?」
「わかんないならいいよ。父さん達は?」
「町内会の当番で出てるよ。言っておくけど俺、修行中だから」
「おみやげの饅頭、いらない?」
「いらねー!いいか!邪魔すんなよ!!」
廊下を歩きながら尚も苦笑を続ける正守に、良守は背を向けて庭へと向かった。
これで修行に戻れる。はずだったのに。
「おーい、結界がよろめいてるぞ」
「うっ、うるせー!」
庭の鉄球をなるべく小さな結界で持ち上げる。小さく、硬く、バランスをとらなければいけない作業だが、後ろで茶化す兄の声のせいで集中できない。鉄球は不安定にぐらぐらと揺れている。
「こんなのなぁ、気合いで――あっ!」
結界の強度が落ちて、ぐらりと歪む。間に合わない、落ちる――と思った時。
「結!」
鉄球は地面に追突することなく、正守が張った結界の上に落ちた。
「……」
良守は盛大に口を尖らせる。バツが悪いのと、恥ずかしいのと。
「なんで手助けなんかするんだよ」
そして疑問。正守はとぼけた顔で良守を受け流す。
「お前の手助けをしたわけじゃないよ。あのまま落ちてたらうるさくて近所迷惑だったから。――駄目だった?」
「あーあー駄目だね!全然駄目!余計なお世話!」
「わかったよ」
ふいに正守の声が低くなり、重みを増す。
「もう助けない」
顔は笑っているのに、目が笑っていない。そこが良守の気に障る。けど。
「……あっそ」
本当は兄にどう接して欲しいのか、なんて、とうの昔に忘れてしまっていた。
正守は良守に背を向けて、どこからか新聞を引っ張り出して読みだした。それもまた良守の気にいらない。
鉄球を片づけてつかつかと縁側に寄ると、正守の後ろにどかっと腰を落ち着けた。
「……どういう風の吹き回し?」
「休憩」
「ふうん」
と、良守の背中にあたたかな重みが乗っかってきた。
「!?」
正守が良守の背に、己の背を預けている。
「なっ!?なにしてんの!?」
「ちょっと背中貸してね。ひとやすみ」
「ハァ?重いよ。どけろよ」
「そう言うなって」
正守は新聞紙を横に移動させると、ふう、と溜息をついた。
「俺もちょっと休憩……戻ったら仕事、山積み……だから」
仕事。夜行の任務のことなのだろうと察しはつく。
激務の合間を縫って自宅へ戻ってきたのだと思った瞬間から、良守は正守に逆らえなくなった自分を自覚した。ようやく素直になれる、という安堵もあった。
「……好きにしろよ」
「うん、好きにする……」
それきり、説教好きの兄が柄にもなく黙ってしまったので、良守としては身のやり場がない。背にもたれる暖かな重みがどういう訳か心地よくて、つい居眠りでもしそうになって首を振る。
と。
背中から、規則正しい寝息が聞こえだした。
「……兄貴?」
おそるおそる首だけを振り返ってみる。顔は見えないが、反応がない。どうやら、本当に眠ってしまったようだ。
「ま、いっか」
良守も庭からの日射しを浴びながら瞳を閉じる。
これで狸寝入りだったら蹴飛ばしてやる、などと思いながら、瞼に当たる光を感じていた。
<終>