握手
握手
今日はなんだか、カラスたちが騒がしい気がする。
良守が修行着姿にリュックを背負って鍛錬に使っている山の中腹までやって来て、訓練場に着いた第一印象がそれだった。
そしてその印象は正しく報われて。
「やあ」
完璧な死角――真上から、明るい男性の声が聞こえた。
天を振り仰いだそこに浮いていたのは――扇七郎だった。
「てめぇは……!」
つい先日、住んでる町を戦火に巻き込むなと釘をさしに行ったばかりなのに、一体何の用があってこんなところにいるのか。
けれど口をついて出た言葉はまるで違っていて。
「……今日は土曜だろ。なんで制服なんだよ」
違う、こんなことを聞きたいわけじゃないと思いながらも七郎の返答を待つ。
「ああ、今日は共通模試で午前中だけ学校だったんだよ」
「で、なんの用?」
良守の目線の高さまで降りてきた七郎はあいかわらずすかした笑顔で。
「なんとなく」
「なんとなくだぁ?」
「足が向いたっていうか、風に乗って富んでたら、気付いたらここに来てた。悪かったかな?」
「まぁ、人の目があるわけじゃないし、修行の邪魔しないならいいけどさ」
「うん、しないよ。なんだったら、さっき君の上を取った時みたいに完璧に気配を殺してあげようか」
「……!」
カチンと来たが、そもそもが自分の力不足で気配に気付かなかったのだからここで七郎に当たってもお門違いというものだ。
「勝手にしろ」
それだけ告げると早速修行を始める。
良守が修行している間、七郎は良守の目線よりやや上の高さの木の枝に座って、大人しく様子を見ていた。
勿論、いつも通り修行に集中できるはずがなく。
「やっぱ帰れ」
「ええー」
「集中できない。それにお前も別に楽しくもなんともないだろ?」
「そうかな?じゅうぶんに楽しんでるけど」
悪びれない言葉に、ため息を吐いて修行を中断させると脇によせてあったリュックから水筒を取り出す。
その水筒を懐に入れると、七郎のいる木に足をかけて、七郎の座っている大ぶりな枝に強度を試しがてら手を伸ばす。
「なに?振り落とすつもり?」
「いんや。休憩!」
そして七郎の隣に座ると水筒を取り出して口をつけた。七郎が少し身を引く。
「ちょっと、近い」
「狭いから仕方ねーだろ」
「さっき僕が姿を現した時は嫌そうだったのに、どんな心境の変化?」
心境の変化というほどのものではないが。良守はズズ、と音を立ててスポーツドリンクをすすると七郎に答えた。
「景色よさそうだったから」
「それだけ?」
「それだけ」
そして再度スポーツドリンクに口をつける。口の中に広がるやさしい甘みと僅かな酸味が体中を潤してくれるような気がする。
七郎は特に異議を唱えることもなく、そんな良守の様子をやっぱり興味深そうに眺めている。純粋な好奇心の目線がなんだかくすぐったい。
「あのさ……あれって仕事着なの?」
「ん?」
「こないだ着てたマントみたいなの」
初めて烏森で出会った時の、いかにも『死神』に相応しい漆黒の影。今の学生服姿とはまるで違う。
こうしていると――年上に言うのもなんだが――年相応に見えるのに。
「あれね、裾のところがずたずたになっちゃった。君のあの妙な術のおかげで」
「妙って言うな」
「ごめん、でも褒めてるつもりなんだよ?僕、ああいうので驚く事ってあまりないからさ」
「そうなのか?」
「いろんな術とかたたき込まれてきたし、様々な異能者もひっきりなしに見てきたしね」
「そっか、お前のとこ、名門なんだっけ」
「まあね。それと仕事柄、かな。君はあまり他の術者に興味はないの?」
んー、と良守はスポーツドリンクから口を離して呟いた。
「……俺、烏森以外に行くことも術者と交流することもなかったから」
良守の言葉に、少し意外そうに七郎が目を見開いて、また笑顔を浮かべる。
「あまり外の世界を知らないんだ」
「悪かったな」
水筒を懐に入れ直した良守が、修行に戻るからお前は帰れ、と言おうとした時。
「じゃ、見せてあげる」
「は?」
「世界を」
音もなく風が良守の身体を包んだ。異議を言う暇さえない。ゴオ、という音を立ててあっという間に空中に飛ばされた。
「またこのパターンかー!」
先日、廃屋の屋上に連れて行かれた時のことを思い出す。
「まあまあ」
七郎の声が聞こえたかと思うと、それまでは目を開けてもいられないような強風に身体を包まれていたのが、ふわりと宙に浮く。
「お?おおっ!?」
「上昇気流に乗ったから、もう風はそんなに強くないよ」
「お前スゲーな!」
素直に感心する良守に、七郎は笑顔のままで頭を掻いた。
「スゲー!スゲー!飛んでるよ!」
「そんな凄いことかな?」
「いやーあそこが駅か!んで、あっちがビル街。いやあこうして見ると高いなー。あっ山があんなに遠いじゃん!」
「……聞いてないし」
「何か言ったか?」
「いや?」
良守がさっきからずっと笑顔のままの七郎の姿を見ると、風になびいた髪ごしに、夕日が見えた。
「こんなに高いと本当に沈む夕日が見れるんだな」
「そうだね。数少ない役得、かな?――ねえ、このままどこか行こうか」
「はい?」
七郎の唐突な言葉に良守が目を丸くする。
「いやでも夜遊びはちょっと。俺お役目あるし」
「夕日が沈むのを見届ける前に――」
「おい聞け、人の話を!」
「まあいいじゃない。夕日をどこまでも追いかけてさ、どこで朝日に変わるのかを見届けるんだ。名案だろう?」
良守は手を組んでしばし考え事をしていたが、神妙な顔で七郎に告げる。
「朝日と夕陽は同じ……いや別?どっちだ?」
「それを確かめに行くんだよ、どう?」
「――お前、どっか行きたいの?」
この土地から、全てのしがらみから離れた、遠くへ。
「どうかな」
七郎が良守に背を向けて夕日を眺める。長めの髪が、ブレザーの裾が。風に揺れる。
「行けないと決められてるから、余計にそう思うのかもね」
その気持ちはわかる気がしたので、良守がただ黙って頷くと、七郎が今日初めて見る、余裕以外の笑顔を見せた。
それはとても儚い笑顔で、良守は七郎の孤独を見た気がした。
「じゃ、また俺のとこ来いよ」
「……なんでそうなるの」
問い返されて、良守は腕を組んで考え込む。
「俺が会いたいから?」
「えっ」
そしてまた七郎の新しい表情を見る。鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。
次々と見る新たな表情に、こいつ、すかした笑顔以外の顔もできるんだな、などと思いながら良守は左手を伸ばす。
「勿論修行の邪魔にならない程度に、だけど、烏森は俺と一緒だし、気分転換くらいならつきあえるから」
「……君は」
そして七郎は口をつぐむ。良守の伸ばした手は握り返されることはなく。
「――そろそろ、戻ろうか」
そしてまた風が良守を包む。
「おいこら、一方的に――」
良守の異論は七郎の耳に届く事なく、二人はもと来た修行場へと戻る。七郎は浮いたまま、良守だけを地上に残す。
「じゃあ僕、帰るから」
「おう」
良守はいつも通りあっさりしたもので、七郎は少し拍子抜けする。
もちろん、どうしてもまた合いたいとか絶対に来いとか恋に落ちた女学生のようなことを言われても困るだけだったが。
今日はなんだか、カラスたちが騒がしい気がする。
良守が修行着姿にリュックを背負って鍛錬に使っている山の中腹までやって来て、訓練場に着いた第一印象がそれだった。
そしてその印象は正しく報われて。
「やあ」
完璧な死角――真上から、明るい男性の声が聞こえた。
天を振り仰いだそこに浮いていたのは――扇七郎だった。
「てめぇは……!」
つい先日、住んでる町を戦火に巻き込むなと釘をさしに行ったばかりなのに、一体何の用があってこんなところにいるのか。
けれど口をついて出た言葉はまるで違っていて。
「……今日は土曜だろ。なんで制服なんだよ」
違う、こんなことを聞きたいわけじゃないと思いながらも七郎の返答を待つ。
「ああ、今日は共通模試で午前中だけ学校だったんだよ」
「で、なんの用?」
良守の目線の高さまで降りてきた七郎はあいかわらずすかした笑顔で。
「なんとなく」
「なんとなくだぁ?」
「足が向いたっていうか、風に乗って富んでたら、気付いたらここに来てた。悪かったかな?」
「まぁ、人の目があるわけじゃないし、修行の邪魔しないならいいけどさ」
「うん、しないよ。なんだったら、さっき君の上を取った時みたいに完璧に気配を殺してあげようか」
「……!」
カチンと来たが、そもそもが自分の力不足で気配に気付かなかったのだからここで七郎に当たってもお門違いというものだ。
「勝手にしろ」
それだけ告げると早速修行を始める。
良守が修行している間、七郎は良守の目線よりやや上の高さの木の枝に座って、大人しく様子を見ていた。
勿論、いつも通り修行に集中できるはずがなく。
「やっぱ帰れ」
「ええー」
「集中できない。それにお前も別に楽しくもなんともないだろ?」
「そうかな?じゅうぶんに楽しんでるけど」
悪びれない言葉に、ため息を吐いて修行を中断させると脇によせてあったリュックから水筒を取り出す。
その水筒を懐に入れると、七郎のいる木に足をかけて、七郎の座っている大ぶりな枝に強度を試しがてら手を伸ばす。
「なに?振り落とすつもり?」
「いんや。休憩!」
そして七郎の隣に座ると水筒を取り出して口をつけた。七郎が少し身を引く。
「ちょっと、近い」
「狭いから仕方ねーだろ」
「さっき僕が姿を現した時は嫌そうだったのに、どんな心境の変化?」
心境の変化というほどのものではないが。良守はズズ、と音を立ててスポーツドリンクをすすると七郎に答えた。
「景色よさそうだったから」
「それだけ?」
「それだけ」
そして再度スポーツドリンクに口をつける。口の中に広がるやさしい甘みと僅かな酸味が体中を潤してくれるような気がする。
七郎は特に異議を唱えることもなく、そんな良守の様子をやっぱり興味深そうに眺めている。純粋な好奇心の目線がなんだかくすぐったい。
「あのさ……あれって仕事着なの?」
「ん?」
「こないだ着てたマントみたいなの」
初めて烏森で出会った時の、いかにも『死神』に相応しい漆黒の影。今の学生服姿とはまるで違う。
こうしていると――年上に言うのもなんだが――年相応に見えるのに。
「あれね、裾のところがずたずたになっちゃった。君のあの妙な術のおかげで」
「妙って言うな」
「ごめん、でも褒めてるつもりなんだよ?僕、ああいうので驚く事ってあまりないからさ」
「そうなのか?」
「いろんな術とかたたき込まれてきたし、様々な異能者もひっきりなしに見てきたしね」
「そっか、お前のとこ、名門なんだっけ」
「まあね。それと仕事柄、かな。君はあまり他の術者に興味はないの?」
んー、と良守はスポーツドリンクから口を離して呟いた。
「……俺、烏森以外に行くことも術者と交流することもなかったから」
良守の言葉に、少し意外そうに七郎が目を見開いて、また笑顔を浮かべる。
「あまり外の世界を知らないんだ」
「悪かったな」
水筒を懐に入れ直した良守が、修行に戻るからお前は帰れ、と言おうとした時。
「じゃ、見せてあげる」
「は?」
「世界を」
音もなく風が良守の身体を包んだ。異議を言う暇さえない。ゴオ、という音を立ててあっという間に空中に飛ばされた。
「またこのパターンかー!」
先日、廃屋の屋上に連れて行かれた時のことを思い出す。
「まあまあ」
七郎の声が聞こえたかと思うと、それまでは目を開けてもいられないような強風に身体を包まれていたのが、ふわりと宙に浮く。
「お?おおっ!?」
「上昇気流に乗ったから、もう風はそんなに強くないよ」
「お前スゲーな!」
素直に感心する良守に、七郎は笑顔のままで頭を掻いた。
「スゲー!スゲー!飛んでるよ!」
「そんな凄いことかな?」
「いやーあそこが駅か!んで、あっちがビル街。いやあこうして見ると高いなー。あっ山があんなに遠いじゃん!」
「……聞いてないし」
「何か言ったか?」
「いや?」
良守がさっきからずっと笑顔のままの七郎の姿を見ると、風になびいた髪ごしに、夕日が見えた。
「こんなに高いと本当に沈む夕日が見れるんだな」
「そうだね。数少ない役得、かな?――ねえ、このままどこか行こうか」
「はい?」
七郎の唐突な言葉に良守が目を丸くする。
「いやでも夜遊びはちょっと。俺お役目あるし」
「夕日が沈むのを見届ける前に――」
「おい聞け、人の話を!」
「まあいいじゃない。夕日をどこまでも追いかけてさ、どこで朝日に変わるのかを見届けるんだ。名案だろう?」
良守は手を組んでしばし考え事をしていたが、神妙な顔で七郎に告げる。
「朝日と夕陽は同じ……いや別?どっちだ?」
「それを確かめに行くんだよ、どう?」
「――お前、どっか行きたいの?」
この土地から、全てのしがらみから離れた、遠くへ。
「どうかな」
七郎が良守に背を向けて夕日を眺める。長めの髪が、ブレザーの裾が。風に揺れる。
「行けないと決められてるから、余計にそう思うのかもね」
その気持ちはわかる気がしたので、良守がただ黙って頷くと、七郎が今日初めて見る、余裕以外の笑顔を見せた。
それはとても儚い笑顔で、良守は七郎の孤独を見た気がした。
「じゃ、また俺のとこ来いよ」
「……なんでそうなるの」
問い返されて、良守は腕を組んで考え込む。
「俺が会いたいから?」
「えっ」
そしてまた七郎の新しい表情を見る。鳩が豆鉄砲を食らったような顔だ。
次々と見る新たな表情に、こいつ、すかした笑顔以外の顔もできるんだな、などと思いながら良守は左手を伸ばす。
「勿論修行の邪魔にならない程度に、だけど、烏森は俺と一緒だし、気分転換くらいならつきあえるから」
「……君は」
そして七郎は口をつぐむ。良守の伸ばした手は握り返されることはなく。
「――そろそろ、戻ろうか」
そしてまた風が良守を包む。
「おいこら、一方的に――」
良守の異論は七郎の耳に届く事なく、二人はもと来た修行場へと戻る。七郎は浮いたまま、良守だけを地上に残す。
「じゃあ僕、帰るから」
「おう」
良守はいつも通りあっさりしたもので、七郎は少し拍子抜けする。
もちろん、どうしてもまた合いたいとか絶対に来いとか恋に落ちた女学生のようなことを言われても困るだけだったが。