王子様のテーブルマナー
「それカタツムリじゃねーかよ!」
夏木の発した悲鳴に近い声が店内に響くと、ジーノはグラスを持つ手を止めて露骨に眉を顰め、真向かいから夏木を睨みつける。
「キミって、本当無神経だよね」
光度を押さえた照明、間隔を空けて配置されたテーブル、フランスの田舎風家庭料理が売りだと言う小さな店は、ディナータイムに合わせて開店して三十分、もう七割ほど席が埋まっている。
たまたま隣のテーブルが空いていたから、つい大きな声を出してしまった。夏木は慌てて周囲を見回してから、ジーノの顔色を伺うように身を乗り出して猫背の姿勢、小声で「ソレ、本当に食うのか?」と念を押すように訊ねた。
「タッツミーにもっと栄養を採れって言われたからさ、これカルシウムやビタミンが豊富なんだ」
「だからって何でカタツムリなんだよ?」
テーブルの上の皿には、渦巻き状の殻がギトギトと光る粘液──「ただのバターソースだよ」とジーノは言った──をまとって転がっている。そのひとつを専用の器具で小皿に取り分けているところを見ると、どうやらジーノは自分にもそれを食わせる積もりらしい。
「いいじゃない、ちゃんと養殖されたエスカルゴだよ?貝料理だよ? 白ワインと合うんだ、ボク最近フランスワインに凝ってて──」
「いやいや、いい、無理だから絶対無理」
「あぁ、そう……じゃあいいよ、僕一人で食べるから」
話を中断されたからか、拒否したからなのか、ジーノは少しつまらなそうな顔をしつつ、慣れた手つきで中身を取り出し、確かに言われてみれば貝に見えなくもないその物体を当たり前のように口に運ぶ。
「日本人だって、けっこう変なもの食べてるくせにさ、イナゴとかタニシとか佃煮にするんだろ」
「そ、それは……」
一般的なもんじゃぁないだろ。そう言いかけて、不意にジーノの口元に目が行った、形の良い下唇にソースがついて、淡い照明の下でもはっきりとわかるくらいギトギトと光っている。ジーノは視線に気付いたのか、すぐにナフキンで口元を拭い、グラスワインを口にしたが、まるでそこをカタツムリが粘液を引き摺りながら這った跡みたいだと、そう思うと項のあたりが鳥肌立った。
「無理!止めてくれジーノ!!」
「何だい、また大声で──」
「やっぱ無理だろ、絶対考えちまうよ!?キスする時とかさぁ──」
だん、と乱暴にグラスを置く音。
「あ……」
視線を物質化できるなら、冷たい鋭利な刃物で眉間のあたりを貫いている、そのくらいジーノの目つきは冷たかったし恐かった、ついでに言うと、背中にもチクチクと店内からの視線が突き刺さるのを、夏木は身を以って感じていた。
「キミさぁ……普段あれほど無神経なのに、どーしてつまらない事で神経質になるの?」
「す、すまん……」
目つきは零度のまま、いつも通りの穏やかな口調で、かつ一語ずつ念を押すようにゆっくり話す、それが逆に恐かった。
「そして、どうしてソレを無神経に大声で口にできるわけ?」
「ご、ごめんなさい!!!」
ガシャン。
反射的にテーブルの上に手をついて、額を擦り付けると、クロスが捩れて食器が甲高い音を立てる。それが尚更ジーノの気に障ったようだった。
夏木のオーダーをすぐそこまで運んで来た女性店員が、一旦足を止め、それから取り繕うように控えめな愛想笑い、何事もなかったように「お待たせしました」と皿をテーブルの上に載せてそそくさと立ち去る。
「全く──」
ジーノは二つ目のカタツムリを皿に載せながら、仕上げのように大きな溜息をひとつ。
「無神経とナイーヴって、同居できるんだね」
「はい……すみません」
「料理が来たばかりのところ悪いけどさ、早く食べてサッサと店を出よう」
店を出たら、そうだな、すぐにキスをしようか。
そして、夏木の目の高さに渦巻き貝を掲げ、意地悪く笑ってみせた。
作品名:王子様のテーブルマナー 作家名:サカエ