あなたにはかなわない
チン、と音を鳴りエレベーターのドアが開く。
深夜近くということもあり、足音を抑えながら歩いていると、自分の部屋の前に蹲る人影を見つけた。
ぱちりと瞬きをしてから、帝人は呆れたように息を吐き出す。
その吐息に反応したのかさだかではないが、人影がもぞりと動き、伏せていた顔を上げる。
視線と視線が合わさったかと思うと、帝人の部屋の前を陣取る人間は鮮やかに笑った。
「帝人さん」
甘やかな響きを滲ませた声に呼ばれた帝人は、僅かな困惑を隠すように「こんばんは、――また来たんですね」と口角を上げた。
なぜ来たのかすら聞くのが馬鹿らしくなるほど訪問を繰り返す少年、―――折原臨也は笑みを貼りつけたまま帝人の腕にその腕を絡ませ、「お帰りなさい」とどことなく誇らしげに囁いた。
珈琲でいい?と帝人が聞けば「帝人さんが淹れてくれるなら何でも!」と返ってきた。
やれやれ調子の良いことを。帝人は肩を竦めつつ、来客用ではなく彼がいつの間にか持ってきて、そのまま棚の一角を占拠しているカップに珈琲を注ぐ。
「連絡いれてくれたら早めに帰ってきたのに」
帝人が背後を振り返らずに言えば、臨也はその背中を眺めながら「だって」とぼやいた。
「仕事の邪魔はしたくないもん」
「もんって・・・。あと、それに関しては何を今更になるんですけど」
家に押し掛けることは仕事の邪魔に入らないのかと帝人が言外に告げれば、後ろから「ぐっ」と詰まった声がした。また誰か――検討は付くけど――に入れ知恵でもされたのかと帝人はこっそりと笑った。
普段は「他人など知ったこっちゃないね。俺は俺の好きなようにする!」精神の癖して、たまにそうやって何処ぞの誰かさんの言葉に感化されてくるのだから、全くもって面白い飽きの来ない子供だ。
「春休みまだでしたっけ?」
「うん、まだ。でも卒業式も終わったし、後は修了式を終えるだけだから授業はあって無いようなもんだけどねー」
「そういう台詞は真面目に学校生活を送る人が言っていい台詞ですよ」
社会人である帝人と現役高校生の臨也は血縁関係でもなければ御近所さんでもない。共通点といえば、臨也が通っている高校が帝人の母校であるということぐらいだ。
そんな二人が知り合ったのはほんの偶然。子供特有の好奇心かそれとも本人の悪癖からか、ちょっとした無茶をやらかした臨也の前に現れたのが帝人だった。
(ここまで嗅ぎ回れた猛者はどんな人間かと思いきや、まだ子供じゃないですか)
(・・・・あんた、誰だよ)
(私ですか?―――私は、この人に用事がある者ですよ)
ぎらぎらとこちらを見据える眸に(若いなぁ)と内心微笑ましく思いながら、帝人は彼と対峙していた男に視線を向ける。
男は帝人の顔を知っていたのか、動揺を隠そうとしなかった。これは楽に終わりそうだと帝人はうっすらと微笑む。
(さて、ミスター。私がここに居る意味が御理解頂けているのであれば、貴方が出すべき応えはひとつしかありませんよね)
わざと両手を広げ、舞台口調で告げた帝人に男はひきつった声を出した。それは帝人が望むものではなく、弁解であり言い訳であり負け犬の遠吠えであった。
帝人は表情を消して男を見据えた。
空間は既に帝人の支配下にある。なのに、食い下がり己の正当を主張する往生際の悪い男には、それなりの舞台を用意すべきだろう。
めんどくさいと思いつつ、仕方が無いなぁとわざとらしく息を吐く自分を悪趣味だと言ったのは幼馴染だっただろうか。まあ今はどうでもいいことだけど。
未だ横に居る子供の視線を感じながらも、帝人は男に再度言った。限りなく優しさに溢れた冷酷さで。
(ミスター、我々も暇では無いんです。貴方がまだ抵抗を続けるのであれば、)
一呼吸置く。そして、じわりと薄い唇に笑みを刻む。深く、深く。
わかりやすい演出だが、追い詰められた男には効果覿面であることを帝人は知っている。だからこそ、やるのだ。笑っちゃうくらいちんけな、三流芝居を。しかし男にとっては全ての終わりを意味することを。
(こちらとしては手段を選ばなくなりますが、よろしいですか?)
まあ芝居をするまでもなく、男の膝が折れた時点で結末は帝人の掌にあったけれど。
男が後から現れた複数の人間に何処かへと連れて行かれても少年は帝人から視線を外さない。帝人は少年の身体の傷具合を目視し、医者を呼ぶほどでもないだろうと判断する。
(・・・ねぇ)
(はい、何でしょう)
(あんた、何者?)
好奇心と畏怖と疑心の入り混じる視線と声に、帝人はわざとらしいほど優しく微笑んで見せた。
(僕はごくごく普通の一般人ですよ)
ここに後輩が居たら「どの口が言いますか」と呆れていたかもしれないなぁと思いながら、帝人は彼に背を向けた。
そんな2時間ドラマのような出会いをして、帝人としてはそこで終わるはずの対面だったのだが、それから三日後、どんな伝手を使って調べたのか、帝人が事務所と使っている部屋の前で学ランを着た折原臨也に待ち伏せされてから、今はこうして帝人のマンションに遊びに来るまでの関係となった。
(懐かれたなぁ)
帝人は少年から青年に入る手前の成長盛りな顔を眺めながら、珈琲を口にする。
ちなみに帝人はブラック派だが、臨也はミルクを入れて飲む。初めはシュガーも入れていたのだが、帝人と飲む内に克服したらしい。「顔に似合わず大人舌なんだね」と多分というか絶対皮肉った臨也に対し、帝人は「臨也君の年から僕はブラック派だったけどね」と応えてやった。その時引きつった頬が年相応だったので、帝人は舌を出したいのを何とか堪えたのを覚えている。
「それで?」
「え、」
「何か用事でもあったんですか?」
こんな時間まで待ってるなんて、そう尋ねると綺麗な顔が不機嫌に歪められた。美形はどんな顔しても美形なんだな、とどうでもいいことを思う。
「・・・・けないの?」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉が聞こえ辛くて反射的に聞き返せば、カップを持ったまま気まずげにけれど何処か拗ねたような表情で臨也は帝人から顔を逸らす。その唇が一度噛み締められた。
「・・・用事がなきゃ来ちゃいけないわけっ?」
苛立ちが含んだ声音は彼なりの照れ隠しだと知っている帝人は笑った。
「別にそうじゃないですけど」
「なら、聞かないでよ」
「はいはい」
相槌も「子供扱いするな」と睨まれた。やれやれ面倒な子だ。そう思いながらも、そういう子ほど可愛いと思うのは帝人の好みが悪いからだろうか。幼馴染にはよく「厄介な人間に好かれやすいしよな」とは言われているけれど、どうだろう。
「用事が無くても僕に会いたいんですか?」
「っ、それは」
まあ、面倒な子は可愛いけれど、素直な子も好きなんだよねと胸中で呟きながら微笑む。さて、どう応えてくれるのか。
ぐぬぅと唸る彼を尻目にカップに残った最後の一口を飲み込む。さてお代わりしようかなと腰を浮き立たせようとした時、テーブルに付いていた手の上に彼の手が重なった。
思いもかけぬ接触にぱちりと瞬いた帝人の耳に「ずるい」と呟く声。
「そんな言い方、ほんとずるいよ」
熱い掌。目の前にある青年未満の顔。
「何にもなくても、いつでも、どんな時だって、俺は帝人さんに会いたい」
深夜近くということもあり、足音を抑えながら歩いていると、自分の部屋の前に蹲る人影を見つけた。
ぱちりと瞬きをしてから、帝人は呆れたように息を吐き出す。
その吐息に反応したのかさだかではないが、人影がもぞりと動き、伏せていた顔を上げる。
視線と視線が合わさったかと思うと、帝人の部屋の前を陣取る人間は鮮やかに笑った。
「帝人さん」
甘やかな響きを滲ませた声に呼ばれた帝人は、僅かな困惑を隠すように「こんばんは、――また来たんですね」と口角を上げた。
なぜ来たのかすら聞くのが馬鹿らしくなるほど訪問を繰り返す少年、―――折原臨也は笑みを貼りつけたまま帝人の腕にその腕を絡ませ、「お帰りなさい」とどことなく誇らしげに囁いた。
珈琲でいい?と帝人が聞けば「帝人さんが淹れてくれるなら何でも!」と返ってきた。
やれやれ調子の良いことを。帝人は肩を竦めつつ、来客用ではなく彼がいつの間にか持ってきて、そのまま棚の一角を占拠しているカップに珈琲を注ぐ。
「連絡いれてくれたら早めに帰ってきたのに」
帝人が背後を振り返らずに言えば、臨也はその背中を眺めながら「だって」とぼやいた。
「仕事の邪魔はしたくないもん」
「もんって・・・。あと、それに関しては何を今更になるんですけど」
家に押し掛けることは仕事の邪魔に入らないのかと帝人が言外に告げれば、後ろから「ぐっ」と詰まった声がした。また誰か――検討は付くけど――に入れ知恵でもされたのかと帝人はこっそりと笑った。
普段は「他人など知ったこっちゃないね。俺は俺の好きなようにする!」精神の癖して、たまにそうやって何処ぞの誰かさんの言葉に感化されてくるのだから、全くもって面白い飽きの来ない子供だ。
「春休みまだでしたっけ?」
「うん、まだ。でも卒業式も終わったし、後は修了式を終えるだけだから授業はあって無いようなもんだけどねー」
「そういう台詞は真面目に学校生活を送る人が言っていい台詞ですよ」
社会人である帝人と現役高校生の臨也は血縁関係でもなければ御近所さんでもない。共通点といえば、臨也が通っている高校が帝人の母校であるということぐらいだ。
そんな二人が知り合ったのはほんの偶然。子供特有の好奇心かそれとも本人の悪癖からか、ちょっとした無茶をやらかした臨也の前に現れたのが帝人だった。
(ここまで嗅ぎ回れた猛者はどんな人間かと思いきや、まだ子供じゃないですか)
(・・・・あんた、誰だよ)
(私ですか?―――私は、この人に用事がある者ですよ)
ぎらぎらとこちらを見据える眸に(若いなぁ)と内心微笑ましく思いながら、帝人は彼と対峙していた男に視線を向ける。
男は帝人の顔を知っていたのか、動揺を隠そうとしなかった。これは楽に終わりそうだと帝人はうっすらと微笑む。
(さて、ミスター。私がここに居る意味が御理解頂けているのであれば、貴方が出すべき応えはひとつしかありませんよね)
わざと両手を広げ、舞台口調で告げた帝人に男はひきつった声を出した。それは帝人が望むものではなく、弁解であり言い訳であり負け犬の遠吠えであった。
帝人は表情を消して男を見据えた。
空間は既に帝人の支配下にある。なのに、食い下がり己の正当を主張する往生際の悪い男には、それなりの舞台を用意すべきだろう。
めんどくさいと思いつつ、仕方が無いなぁとわざとらしく息を吐く自分を悪趣味だと言ったのは幼馴染だっただろうか。まあ今はどうでもいいことだけど。
未だ横に居る子供の視線を感じながらも、帝人は男に再度言った。限りなく優しさに溢れた冷酷さで。
(ミスター、我々も暇では無いんです。貴方がまだ抵抗を続けるのであれば、)
一呼吸置く。そして、じわりと薄い唇に笑みを刻む。深く、深く。
わかりやすい演出だが、追い詰められた男には効果覿面であることを帝人は知っている。だからこそ、やるのだ。笑っちゃうくらいちんけな、三流芝居を。しかし男にとっては全ての終わりを意味することを。
(こちらとしては手段を選ばなくなりますが、よろしいですか?)
まあ芝居をするまでもなく、男の膝が折れた時点で結末は帝人の掌にあったけれど。
男が後から現れた複数の人間に何処かへと連れて行かれても少年は帝人から視線を外さない。帝人は少年の身体の傷具合を目視し、医者を呼ぶほどでもないだろうと判断する。
(・・・ねぇ)
(はい、何でしょう)
(あんた、何者?)
好奇心と畏怖と疑心の入り混じる視線と声に、帝人はわざとらしいほど優しく微笑んで見せた。
(僕はごくごく普通の一般人ですよ)
ここに後輩が居たら「どの口が言いますか」と呆れていたかもしれないなぁと思いながら、帝人は彼に背を向けた。
そんな2時間ドラマのような出会いをして、帝人としてはそこで終わるはずの対面だったのだが、それから三日後、どんな伝手を使って調べたのか、帝人が事務所と使っている部屋の前で学ランを着た折原臨也に待ち伏せされてから、今はこうして帝人のマンションに遊びに来るまでの関係となった。
(懐かれたなぁ)
帝人は少年から青年に入る手前の成長盛りな顔を眺めながら、珈琲を口にする。
ちなみに帝人はブラック派だが、臨也はミルクを入れて飲む。初めはシュガーも入れていたのだが、帝人と飲む内に克服したらしい。「顔に似合わず大人舌なんだね」と多分というか絶対皮肉った臨也に対し、帝人は「臨也君の年から僕はブラック派だったけどね」と応えてやった。その時引きつった頬が年相応だったので、帝人は舌を出したいのを何とか堪えたのを覚えている。
「それで?」
「え、」
「何か用事でもあったんですか?」
こんな時間まで待ってるなんて、そう尋ねると綺麗な顔が不機嫌に歪められた。美形はどんな顔しても美形なんだな、とどうでもいいことを思う。
「・・・・けないの?」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉が聞こえ辛くて反射的に聞き返せば、カップを持ったまま気まずげにけれど何処か拗ねたような表情で臨也は帝人から顔を逸らす。その唇が一度噛み締められた。
「・・・用事がなきゃ来ちゃいけないわけっ?」
苛立ちが含んだ声音は彼なりの照れ隠しだと知っている帝人は笑った。
「別にそうじゃないですけど」
「なら、聞かないでよ」
「はいはい」
相槌も「子供扱いするな」と睨まれた。やれやれ面倒な子だ。そう思いながらも、そういう子ほど可愛いと思うのは帝人の好みが悪いからだろうか。幼馴染にはよく「厄介な人間に好かれやすいしよな」とは言われているけれど、どうだろう。
「用事が無くても僕に会いたいんですか?」
「っ、それは」
まあ、面倒な子は可愛いけれど、素直な子も好きなんだよねと胸中で呟きながら微笑む。さて、どう応えてくれるのか。
ぐぬぅと唸る彼を尻目にカップに残った最後の一口を飲み込む。さてお代わりしようかなと腰を浮き立たせようとした時、テーブルに付いていた手の上に彼の手が重なった。
思いもかけぬ接触にぱちりと瞬いた帝人の耳に「ずるい」と呟く声。
「そんな言い方、ほんとずるいよ」
熱い掌。目の前にある青年未満の顔。
「何にもなくても、いつでも、どんな時だって、俺は帝人さんに会いたい」
作品名:あなたにはかなわない 作家名:いの