迷惑
初めてこの家に文字通り転がり込んだ時、表情には出さなかったが、あの人はとても困っていたのだと思う。私の扱いに。それが種族によるものか年齢によるものか性別によるものかはわからないけれど。
だから私がココで寝るヨと押入れに潜り込んだ時、オイオイと呆れた顔をした中でちょっとホッとしていたのが忘れられない。
居候の身だし狭い所は苦にならないので丁度良いと思った。それに、ココだと一人になれる空間も手に入るし一石二鳥だ。
眠くないという訳ではないが最近家主の気配がないとぐっすりと眠れないことに気がついた。すぐに目が覚めてしまうのだ。
以前は居なくても特に気にならなかった。むしろ、誰も居ない家の中を探検と称し裸足でペタペタと我が物顔で歩き回るのが好きだった。外が暗くなって誰もいない家はいつもと別の場所に来たようだったのだ。
時折、何かの拍子に私の二人への対応の差について新八が最初に助けようとしたのは僕じゃないかと。私がメガネは好きじゃないのだと言うと新八が怒る。すると銀ちゃんがお前は新八だからなァと軽く笑う。いつもの光景。でも、銀ちゃんが笑っている後ろで、新八は銀ちゃんにはわからないよう私にだけこっそりと優しく微笑むのだ。
三人でくだらない言葉のやりとりをしていると、銀ちゃんは寛げるのだ。私と新八はそれを知っている。暗黙の了解。
最近、銀ちゃんは私といると落ち着かないのではないかと思う。出会ってから同じだけの時間が流れているけれど、きっと私の一年と銀ちゃんの一年では違うのだと思う。銀ちゃんが子供の成長なんてあっという間だと言っていた。つまり、そういうことなのだろう。
近頃、私を置いて夜に出かける頻度が高くなったと思う。私が成長して少しオトナになったので安心して放置できるということだろうから喜ばしいのかもしれないが、やっぱり、少し淋しい。そして、私の眠れない夜が増えて行く。
あんまり真っ暗だと、目を開けているのか閉じているのかもわからなくなる時がたまにある。ずっと目を開けていると、いくら暗くても目が慣れてくるので、閉じていることが多いのかもしれない。頭ではわかっていても、感覚としては黒い空間にプカプカと自分が浮いている気がしてしまう。
階下から聞こえてくる騒がしい音に混じってカツンカツンという音が耳に届く。敏感に反応し目に力を入れてギュッと瞑り耳を済ませる。ああ、やっぱり目は閉じていたのだなと自覚しながら、聴覚に神経を走らせる。
いつものリズムでカツンカツンと音が聞こえた後、ガチャガチャと鍵を開ける音がする。ついでガラリと扉が開く音がしたかと思うと、バタンと派手な音が聞こえた。その後、物音がしないので玄関で力尽きてしまったのだろう。よくあることだ。
仕方がないので、ため息を一つ落としガラリと襖を開けた。
押入れから出ると暗闇にいたせいもあり、ガラス越しに入ってくる様々な色の光で部屋が浮かび上がっているように見えた。数回瞬きをして、感覚を取り戻す。
玄関に倒れたそれを小さくしゃがみ込んで観察する。足首で組んだ手をほどき、右手でそっと本人そっくりにあちこち向いている銀髪に手を添えた。頭に手を置いても全く反応を見せないので、添えた手を掻き混ぜてみると急に手が伸びて来て自分の足を抱えていた左手をグイと引かれペタンと床に座らされてしまった。
下を向くと腿の上に銀色の塊。その塊は鼻先をおヘソ付近に額を脇腹に当てがい、グリグリと擦りつけて来る。くすぐったくて身体を捩り、頭を床に落としてやろうとすると気配を察したのか、床にダラリと垂れていた両腕で私の腰を抱きかかえた。そして、お腹にピタリと張り付いている頭は小さく上下する私のお腹に合わせて微かに動く。息を止めてお腹の動きを止めると、頭も止まるので少し面白い。
ひとしきり頭をお腹に貼り付けると、次は頬を膝に摺り寄せてきた。髪色のせいかあまり目立たない伸びかけの髭が布越しにチクチクと刺さる。毎朝きちんと髭は剃っているみたいだけど、この時間になるとツルリとしているという訳にはいかないようだ。やっぱり男の人で、私とは違うんだなとふと思う。
そっと顎に手を伸ばし手の平で撫でるとザリザリとした感触。くすぐったくて少し痒いような感触を楽しんでいると、手で払われ拒絶されてしまった。それでも、泥酔している癖に意外と強い力で腰に回された腕は私を解放する気はないようで、少し不公平だと思った。
モジャモジャの髪にそっと鼻を押し付けると、安っぽい酒場の饐えた臭い。アルコールと加齢臭、それに微かな香水。
銀ちゃんの体臭は、そろそろオヤジ臭くなってきているのかもしれないけど、私は気にならないし嫌いではない。そこにお酒の臭いが混じっても平気だ。でも香水が、女の臭いが混ざると、自然と眉間に皺が寄る。私は鼻が良いので、わかりたくないのにわかってしまう。特に何も言わないけれど、最近は隠すつもりもないと思うのは私の気のせいではない筈だ。
ぼんやりと考えごとをしていたら小さく寝息が聞こえて来た。見ると私を捕まえたまま足の上で寝てしまったらしい。腕をほどこうとすると、思いの他強い力で拒絶される。起きてるんじゃないかと思って覗き込むと、少し口を開けて眠っている様は狸という訳ではなさそうだ。間の抜けた表情は、意外と可愛らしいんだなと思う。
ため息を一つついて、上体を起しズルズルと移動する。そして、そのまま壁に背を預けもたれ掛った。膝の上の物体は律儀に腰に腕を回したまま引きずられて着いて来ている。
微かな呼吸音を聞いていると、眠気が伝染したのか少し眠くなって来た。このまま目を閉じると久しぶりに良く眠れる気がして、目を閉じることにした。
決して良い臭いとは言えないだろう香りに包まれて眠る。太陽が出てくるまであと数時間。
2005.8.10