其は誰が為にある
成瀬家の仏間で、少しでもdi[e]ceの可能性のあるものだけをピックアップするよう組み込んだプログラムと向き合うのが最近の彼の日課だ。
そして今日もまた新着として表示されたものに目を通そうとした志臣だったが、先ほどから感じていた薄く開かれた襖からの視線に気付かれぬよう小さな溜息を零しキーボードを打つ手を止めた。
「入るなら入ってきたらどうです?」
視線の主は、まさか気付かれているとは思っていなかったらしくあたふたと慌てふためいた。
ゆっくりとそちらへと目を遣ると、やがて観念したように彼は視線を逸らしぽつりと呟く。
「いや、特に用ってほどもないんだけどさ……」
言葉とは裏腹に、彼の態度は何もないとはとてもじゃないけど思えなかった。
どこかその不自然さに眉を顰めながらも、深く追求するのはやめ、止めていた作業を再開すべくモニターへと視線を戻す。
部屋へ入ってきた輝月は「隣座ってもいいか?」と尋ねると了承する前に 隣に腰を下ろす。そしてそれから卓袱台に頬杖をつき、じっと志臣の動きを見つめていた。
痛すぎるほどの視線を感じながらも、志臣は特に何の感情もその表情に浮かべることなく作業を続ける。
「なあ、志臣……手、触ってもい?」
「……今は室温は適温のはずですが……」
熱に弱い輝月の身体に合わせ、室内は熱くもなく寒くもないという人間にとっての適温と呼ばれる温度に設定されている。よって、彼の体調が悪くなることも有り得ないはずだ。現に目の前の彼の顔色はかなり良い。
「いいから、手」
ずいっと目の前に手を出され、ようやく志臣は観念するかのように片手を彼へと差し出した。
「違う。手袋は外して」
我侭な発言に溜息を吐き出しながら、文句を言わず彼の要望どおりに素手をさらすと輝月は満足そうな顔で志臣の手を取った。
「冷たすぎるでしょう」
触れた瞬間に、ほんの僅か輝月が震えたのを見逃さなかった志臣は、彼の手をやんわりと振り解いた。
彼のためにあるものとはいえ、自分のこの手の異常なまでの冷たさは自分が一番よくわかっている。いつも着けている白の手袋は、人としてはありえない体温を隠すためにものだ。
再び手袋を着用しようとするとそれを阻むようにパシリと横から手を掴まれた。
「冷たいけど、誰も嫌だなんて言ってない」
少し驚いたように顔を上げると、そこには自分の手を握る輝月の姿があって。
「手の冷たい人間は心が温かいんだぞ」
思いもかけない言葉に志臣は軽く目を見開いた。
確かに世間一般ではそう言われているが、それに科学的な根拠などなにもない。けれども馬鹿馬鹿しいと言って彼の手を振り解くことができず呆然と見つめている志臣に輝月は尚も重ねて言った。
「それにこれは俺のための手なんだろう? だったら俺が好きなときに使う」
「この冷たさ、癖になりそう」と掴んだ手に頬をすり寄せる輝月に呆気に取られたように志臣は見つめた。
一向に手を離す様子がなく、どこか安らいだような幸せそうな表情を浮かべる輝月に、やがて諦めたように志臣は息を吐き出し、淡い笑みをその唇に浮かべた。
(いつでもこの手はあなたのために……)