止まった?【こたつる】
それを苦笑しながら仲間の忍びが聞いているのを確認して、城の警護に向かったのが半刻前。
戻った己に、そういえば姫様は何処に行ったのやらとワザとらしく伝えられたのが、先程のこと。
そして今、ようやく巨木の傍に背をもたれて眠る彼女を見つけた。
はあ、と溜め息を付いて、どうやら息を乱すほどに焦っていたのだと知る。
実際、当然の事ではある。
城に来る客人の中でも、人並みに扱っていい筈の無い少女を護衛も無しとは。
弓などを持てば並みの者では無いとは云えども、まさか城内で武装している訳も無い。
そして彼女の性ゆえに、自分が彼女を探すのに不向きな事も周知の事実。
それを知ってて彼女を野放しというのは、明らかに野暮が好きな彼等の仕業である。
忍びの常識がずれてると云えども、大事の安全と己を焦らす事を天秤に掛けるとは何事か。
「うー…ん……ふふ、…しろー…い」
「………」
何の夢を見ているのやら、彼女はやけに幸せそうに微笑んだ。
まったく、こちらの苦労も知らずに厄介な姫様である。
片膝を軽く地に付き、少し顔を覗きこむと、やはり睫毛もあまり動かず呼吸も深い。
これでは、もうしばらくは目を覚ますまい。
そう、と指を伸ばして其の目尻に触れてみた。
(紅い……)
やや白い肌には、ごしごしと擦った跡がやけに目に付く。
こんな奴のために、惜しい事をする物だと思う。
軽く首を振った跡、そう、と彼女の頭の後ろに手を滑り込ませ、そのまま膝に徐に寝かせた。
息苦しさが少し減ったのか、額の眉が和らいようだ。
すり、と頬をこすり付けて寝心地が良い様に動く様はまるで猫のそれ。
自由で、呑気で、気ままで、目を離したら何処かに消えている様な。
つらつらと考えていた、その時。
カア、と間延びした泣き声が聞こえ、顔を上げれば伝書に使う烏がくるくると舞っていた。
腕を伸ばせば、待っていたかのようにバサバサと羽を散らしながら腕に止まった。
と、思えば即座に地面に降り立って鶴姫へと近付いていく。
どうやら、主が見慣れぬ物を伴っているのが気になったのだろう。
くい、と彼女の着物の裾を銜えて、引っ張ったり、つついたりし始めた。
慌てて其れを手で振り払うも、まるで兎の様に俊敏に跳ねて逃げ回る烏はつつくのを止めない。
まるで、ケラケラと笑っているようにさえ感じ、思い出したくも無い顔ぶれが浮かぶ。
風魔は軽く眉を潜め、ぐ、と息を呑むと、今度は反動を付けて素早く腕を伸ばした。
ガシリ、と足首を掴まれバサッバサッと浮かびあがろうとする烏に内心、ほくそ笑む。
それで油断したのかもしれない。
「よ、い…やみの……方…?」
ギクリ、と体を強張らせて視線を下げると、覆いかぶさってるせいで少し影になった中ですら分かるほどに真っ赤になった彼女が目をこれでもかと見開いていた。
その瞬間の己の判断力は、今までの人生のどの場面をも凌駕する勢いだったと思う。
片手からは、緩んだ隙を狙って烏が足を引き抜こうとしている。
今、目覚めたであろう彼女には押し倒された様な自分の状況しか分からない。
微かに感じる気配から、どうやら彼女は悪戯に野放しになっていた訳で無いらしい。
顔にはかろうじて出ぬものの、全力疾走した様な動悸が酷い。
ともかく、どれから片付けなければいけないのだろうか。
さわさわ、と涼しい風が通り抜ける中、まずは此の場所から離れるべきと考えた時。
「夢ですっ!!」
ガシ、と両腕を腰に巻き付けてきた少女は大声で叫んだ。
いきなり何を言い出すのかと、混乱して動けずにいると、ぎゅうと目を瞑ったままの彼女は続けた。
「私、まだ夢を見てるんです! 寝てるんです! だから、だからっ!」
どうした物かと思っていると、微かに肩が震えている様な事に気付き手を止める。
「宵闇の羽の方は、此処に居てくれているのです! 夢だから、目さえ開けなきゃ傍にいて…くれるんです…夢だから、消えたり…しないんです…!」
そう云って、更に腕に力を込め、瞼を固く閉じたまま離すまじとする。
無茶を言ってるのは、重々承知しているのだろう。
怖いのか、不安なのか、目尻からは新たな雫が頬を伝うのが見えた。
不思議と、波が引く様に冷静になった頭は、次に何をすべきかも迷っていなかった。
(勿体の無い……)
その小さな顔を掌に収めると、徐に親指でそれを拭った。
ピク、と肩を揺らすも律儀に瞼を開けない所は何だかおかしく、知らず口元が緩む。
こんな細い腕の中から抜けるのは酷く容易い。
それでも留まっている訳を、彼女は知っているのだろうか?
先見の適う彼女には、こうすれば自分が消えぬと分かっているのではないだろうか?
全て分かっていて、彼女の思う様に動いているだけなのではなかろうか?
この葛藤すらも、全ては掌の上での事だとしたら。
「…た、なんて……です…」
「……?」
ぼそぼそ、とくぐもった消えそうな声が落ちた。
聞き耳を立て、言葉を拾おうとした彼に次に聞こえてきたのは、すん、という鼻をすする音。
折角拭った目元も、更に赤みを増して濡れてきた。
「よ、宵闇の羽の方は夢の中でも優しいんです。だから、ズバッと誰でも格好良く助けてくれて、こ、今回の夢もお昼寝しながら木の上に登って、降りれなくなった所を鳥さんに襲われたのを助けてくれたんです。それで、助けて貰った私は、足を捻って動けなくて、だから宵闇の羽の方に抱っこして貰って帰るのです」
まるで、御伽草子を子供に聞かせる様に話す彼女ではあるが、その声音は焦り、固い。
「それで、痛かったでしょうって頭を撫でて慰めてくれて、居なくならないで、次も見えて、約束のおまじないに指切りしてくれて、それで……」
徐々に見えぬ視界に押し潰されそうになって来たのだろう。
口調は早まり、思い付いた事をそのまま告げているのか話の流れも無茶苦茶だ。
それで、それで、と話す彼女を冷静に眺めながら風魔は思う。
例えば今、彼女の言った事はひとつだって叶えられない。
ならば、彼女は自分に一体何を求めているのだろうか、と。
この目に見えている先とは、それらが無くても得られる物なのだろうか。
それで、本当に彼女は良いのだろうか?
いまだ、何かを呟き続ける彼女の顔を両手に包めば、途端に口が紡がれた。
嗚咽を堪えるような表情は、何を考えたのか丸わかりだ。
そんなに忍びに無防備に依存して、何が楽しいのやら。
目を開けねば、何も見えない事をもう少し此の子は知るべきだろう。
目の前の人間は、そんなに簡単に気を許して良いほど。
「……っ!?」
一意な男ではないのだから。
バッ、と目を見開いて呆けた顔をする彼女。
その目尻を数回指で叩くと、風魔はその身を黒羽に包んで消え去った。
さて、焦って逃げ行く気配をどうしてくれよう。
「………はい、止まり…ました…」
残された少女は紅い顔を俯かせて、暫く両手で額を押さえていたという。
作品名:止まった?【こたつる】 作家名:アルミ缶