寂しい温もりの気持ちの先は
ゆるゆると月子は瞳を開ける。どうやら自分は寝ていたようだ。
もう一度瞳を閉じて、再び開ける。意識がだんだんはっきりしてきて、ここが自分の部屋ではないことに気づき、驚く。首を動かせる範囲で周囲を見ても、自分の部屋ではない。
起き上がって状況を確認しようとしたが、動けないことに気づく。
誰かが、月子を、抱きかえているから。
(一体、誰……?)
スースーという寝息が月子の頭の上から聞こえる。視線をやると、美しく整った顔、長いまつげ。綺麗な唇からは寝息が零れ落ちている。暗くてもわかる。月子を抱えている彼は。
(……青空、さん?)
月子の会社の同僚である青空颯斗。どうして彼は自分を抱きかかえているのだろうと思考回路が停止する。二つ三つと呼吸をして記憶を振り返ってみる。
会社が終わると会議という名の宴会を開くと部長が言ったため、断ることができない月子たちは彼の言葉に従って飲み屋で飲んでいたのだ。
元々お酒が強くない月子はほどほどに飲んでいたのだが、先輩の進めに断ることができずに飲んでいていたのは覚えている。
(つまり、青空さんは私を介抱するために別の場所へと運んでくれたの、かな?)
そんなことを考えていると、うめき声が聞こえた。月子ではないため、声を上げたのは青空だ。少し間を空けて彼も目を覚ました。視線と視線が交差する。その視線が恥ずかしくなって月子は目をそらした。
「あぁ、目を覚まされたんですね。おはようございます、夜久さん」
「お、おはようございます。青空さん。その……どうして私を抱きかかえているんですか?」
「すみません。最初は抱きかかえるつもりはなかったんです。ですが、貴女が手を離さないでと言ったので……」
「私が……?」
月子は記憶を辿るがそのようなことを言った覚えがない。顔をしかめた月子に青空は笑った。
「お酒が入って朦朧として帰れなさそうな貴女を僕が連れ帰ったんです。あの店から一番近かったのは僕の家ですから。それに、みなさん僕は夜久さんに手を出さないと思っていたようですし」
「……確かに…手は出されていな……?」
月子は自分の今の格好を見る。着ていたスーツは脱がされており、身体には丁寧にタオルが巻かれていた。その状態に月子の思考回路は停止する。
そして、青空のほうを見る。彼はちゃんと寝巻きを着ていた。月子の様子を不思議そうに見ていた青空はあぁ、と可笑しそうに彼女の疑問に答えた。
「スーツがしわになるといけないと思いましたので……。スーツだけ脱がさせてもらいました。……その、目のやり場に困るのでタオルを巻かせてもらいました」
颯斗は月子から視線を外す。彼の態度と言葉から察すると本当に手をだしていないのだろう。それから、気になることを口にする。
「私が手を離さないでって言っていたようですが……」
「ふふ。敬語じゃなくていいんですよ。夜久さんと僕は同い年なのですから……。僕の敬語はくせですので気にせずに。それで、貴女が手を離さないでって言ったのは、こうやって貴女を寝かしつけてから僕はソファーで寝ようとしたんです。ですが、夜久さんが手を離さないでほしいと言ったので……」
手を繋いで寝ていたら、いつの間にか抱きかかえてしまったという。すみません、と青空は謝った。
謝ってきた颯斗にそんな、と月子は声をあげる。覚えてはいないがきっと自分は手を繋いでほしいと言ったのだろう。このようなことになってしまったのは全て自分が原因だ。だから、謝らないでほしいと月子は言った。
「その、私がお酒を飲みすぎていなかったらこんなことにならなかったわけですし……。青空さんは謝らないでください」
「………敬語」
「えっ?」
「敬語じゃなくていいんですよって僕は言ったはずです。それに、僕はこんな状況になって嬉しいんです」
お互い見つめあう形で青空は月子を抱きしめた。急に距離が近くなったような気がして月子は顔を赤くする。ただでさえ彼は月子たち女性社員の間ではかっこいい、憧れると言われている人なのだ。
青空は笑みを浮べたまま、月子の耳元にそっと言葉を落とす。
「ずっと僕は夜久さんを見ていました。貴女の働く姿、他者への思いやり、ほかにもたくさん見ていました。だから、こうやって夜久さんと近い距離にいれることはとても幸せなことなんです。……そう、僕は」
青空の続きの言葉を月子は聞きたくないと思った。この流れで彼が何を言おうとしているのか月子にもわかるから。
「僕は、月子さんのことが好きです」
あぁ、と月子は思った。告白されるというのはわかっていた。でも、こうやって言葉にされるとどうしていいのかわからなくなる。
断るべきなのに、断れない。戸惑っている月子を見ている、颯斗は再び謝罪の言葉を口にした。
「すみません。このようなときに困らせるようなことを言って。ですが、僕の気持ちは本物です。これだけは覚えておいてください」
ね、と念押しをして青空は月子から離れる。そして、朝まで時間はあるからと、彼はソファーへと行って再び眠りについた。
部屋の中は彼の寝息の音が響き始める。身体が自由になった月子は身体を起こす。壁には月子のスーツが綺麗にかかっていた。
このまま月子は自分の家に帰っても良いのかもしれない。しかし、帰ることができない。青空の優しさを無駄にするような気がして。それに、
(……どうして寂しいって思ったんだろう)
青空が月子から離れるとき、寂しいと思ってしまった。彼の温もりがとても心地よかった物と思っていたからなのだろうか。
月子は再びベッドにもぐりこむ。そして、再び目を閉じた。
青空の好意への返事は後になって告げよう。今は、彼の温もりがかすかに残っているのを感じながら月子は眠りについた。
寂しい温もりの気持ちの先は
(ねぇ、月子。あなた青空さんにお姫様抱っこでお持ち帰りされたの知ってた?)
(えっ……私、そんなの知らない)
作品名:寂しい温もりの気持ちの先は 作家名:桜風つばき