狭間で揺れる
そう言って少しだけ体をずらす。死角となって見えなかった帝人の手、それが何を捕まえているかを見せつけて。
まるで親に縋る子どものように抓まれた服を振り払うでもなく、慈しむように上から手を重ねて包み込むように触れる。
優しい、やさしい仕草。相手を慈しむ、それが顕著に感じ取れる。
だが、紀田正臣はそれこそ何よりも恐れるように。血の気を引かせてこちらを見る。
彼の絶望も、困惑も全てわかった上で臨也は微笑う。穏やかに、ゆっくりと。長閑な春の午後、それにふさわしい微笑みを。
――そう、大切にするよ。大事に、大事にね。
臨也は心中で繰り返す。大切に、大事に。来るべき時までこの子は臨也の手の中だ。ゆっくりと育み、自ら望んで育つ無色の深淵を愛でる。
だから、と僅かに瞬いて正臣に向かって微笑んだ。
「だからさぁ、紀田君も安心するといいよ。安心して、戻るといいさ」
何に、とは告げない。案の定蒼白になった正臣は泣きそうに、ともすれば憤怒の面差しで臨也を睨み、くるりと踵を返した。それでも強く閉めなかった扉が彼の親友への想いを物語る。
最後に将軍が見せた意地、それがこれからどう波及するか臨也は楽しみでならない。
楽しみで愉しみで、核となる少年の指にゆっくりと自身の指を絡ませた。
ともすればそれは逃さぬように、引きとめるように。緩く繋いだ指を愛おしげに見つめながら聞こえぬ声で布告する。
――君の中の場所を奪う。
歓喜も憤怒も悲哀も悦楽も、帝人の全てを奪いつくす、と聞こえぬ声で告げる。彼の全てを臨也が占める、そのために。
ああ、恋とは、愛とは此処まで深いものだったか。全人類を愛してやまないと豪語する臨也がたった一人に感情を向ければどうなるか、本人ですら気付かなかった事実を今まざまざと思い知る。
潰れないでね?と悪戯を思いついた子どものように口の端を歪ませた。世間一般から見ればこの感情は「重い」と言われるものだろう。だがそれがどうした。それこそ人の物差しで測れるようなものではない。
「……楽しみだねぇ。本当に、楽しみだ」
眠る少年の横顔を見つめ、呟く。彼が微睡みから抜け出たとき、それが始まりだ。
泡沫の夢はすぐに消えゆく。穏やかな時間は、終わりを告げる。
震えた瞼が開いた瞬間、青空のような声が始まりを告げる。
「おはよう、帝人くん」
さながら、泡が弾ける音のように。