まどろみ
アリーナは戦いの後訪れるほんのひとときのやすらぎの時間に身を任せながらぼんやりと呟くように言った。
“大変”と言われた当の若い神官は、肯定するでもなく否定するでもなく穏やかに微笑み、「ベホイミ」と癒しの呪文をアリーナの傷ついた腕に向かって唱えている。
忽ちアリーナの腕の傷は塞がっていくが、その神官自身の腕には優しい笑みに似合わない傷があり、肉が裂け、紅く流れる血が滴り溜りを作っていた。
「クリフトの方が重傷なのに」
「私は姫さまの従者であり神官です、姫さまをお護りする使命があるのですよ」
神官の名前はクリフト。
物心ついた時からアリーナのそばにずっといた心優しい男だった。
本来なら彼の腕の怪我は大怪我であり、このまま放置すれば失血死のおそれもある。
だが、あくまでクリフトは落ち着いており、目の前で傷を見つめるアリーナも死の心配はしていない。
なぜなら今回復呪文を唱えているのはただの神官ではないのだから。
「クリフトの呪文だから心配ないけど」
そう、ただの神官ではない。
神学校を首席で卒業した頭の良さに加えて、回復呪文を使う上で必要な優しく人を思いやる心、それから神官として大切な自己犠牲の精神をもつ、アリーナの自慢の“クリフト”なのだ。
しかし、そんな“神官”としての優秀さが、時にアリーナを不安にさせる。
クリフトは確かに優秀だが、それゆえに時々過ぎるほどの自己犠牲の精神を発揮する。
ことさら、アリーナのことに対しては、それこそ命を失ってでも庇い、助けようとするだろう。
今日の傷だって戦いの中、敵に突っ込み過ぎて攻撃されたアリーナを庇って怪我をしたものである。
サントハイムを旅立ち、今日までクリフトに庇われたことは幾度となくある。
はじめは、ありがとうと素直だったアリーナも次第に庇い傷つき笑うクリフトをみておれず、苛立ち、時には庇う行為を怒ったりもしたが、自分がいくらおしとやかにしなさいと言われても無理なことと同じように、クリフトも庇わずにいることはできないのだろう。
それはアリーナに対してに限ったことではなく、誰のピンチでもクリフトは助けようとし、傷つく。
「傷を回復できても痛覚はあるのに…それでも他人を優先させなきゃいけないなんて本当神官って大変だな」
「姫さまだって放っておけない質でしょうに」
心底しみじみと言うアリーナに苦笑しながらクリフトはようやく自らの傷を癒しはじめた。
「私の場合は“人助け”という意味ではそうかもしれないけど…」
クリフトとアリーナの護り方は根本的に違う。
魔物に襲われそうな人がいたとして、迷わず助けに飛び出すのは一緒だろう。
アリーナは飛び出し魔物を攻撃することで助けるが、クリフトはきっと襲われそうな人間の前へ防壁として庇い、助けるのだろう。
「私は神官という仕事が好きですよ、端から見ると私はいつも損をしているとよく言われますけどね」
「私もそう思う」
と言いながら、おそらく一番苦労をかけているのはアリーナ自身だということは分かっていた。
ひたすら献身的で優しいクリフトが報われず苦労ばかりしているのは納得がいかなかった。
「私は幸せですよ、姫。何より神官であるからこそあなたの傍にお仕えし、神官だからこそ傷ついた姫さまを癒すことができるのですから」
一番愛しい人の傍で生き、一番愛しい人の危機を救えるのは至上の喜び。
アリーナはまるでプロポーズのような台詞に笑った。
普段はきっと頼んでも照れて言わないような台詞だ。
「ふふ、わかったクリフト」
「何をです?」
「神官が大変なんじゃなくて、“クリフト”が大変なんだわ」
きっとそれは、彼の性分であり、神官としての義務感からではない。
気持ちの良い声で笑うアリーナに戸惑いながら疑問符を浮かべる目の前の男にたまらなく愛しさを感じた。
そして、その愛しさからか、性分からか、どうしても振り回さずにはいられない自身を思い、アリーナは心底クリフトは大変だと思うのだった。
それでも、彼が離れていくことはない。
これは確信。