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【サンプル】少女時代

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「ひさしぶりだね、静雄おにいちゃん」
 伸びた髪は肩を過ぎた辺りでさらさらと流れ、胸元には形の整った赤いリボンが揺れている。ブレザーのボタンは勿論全て狂いなく留められ、短すぎないプリーツスカートからは凹凸のはっきりとした足がすっきりと紺色のハイソックスに包まれていた。内また気味の革靴から伸びる陰の濃さに、唐突に時刻を知らされる心地がした。粟楠茜という要素によって制服に付加された健康的な上品さは、その背後に伸びあがる黒々とした建物やその上で暴れるネオンのいかがわしさを前にして酷い背徳を煽った。くわえた煙草が急に不味くなって、慌てて右手におさめた。
「こんな時間に西口なんざ出歩いてんじゃねーよ。あぶねーぞ」
 思わず言葉が出てから、自分の言えたことではないことに気付く。会うたびに狭まる目線の明らかな変容について見つめ返すのを避け、静雄は煙草を指で挟み直しながら、茜の頭を無造作にくしゃりと撫でてやる。昔のように。
「わたし、もう子供じゃないよ」
 くすくすと笑いながら、茜の手がやんわりと静雄の手を外した。その白く、長く、骨の少し浮いた指に慄く。(もみじのような手をしていたくせに!)
(「高校時代」)


 夏の尾ひれにしがみつくように蝉が鳴いている。静雄はそっと息を詰めた。身体中の筋肉が動かず、一本向こうの道を通るバイクや民家から漏れるテレビのCMが時間を止められた静雄の脇をすり抜けていく。曲がり角のミラーに映る白い二つの姿が死んだように黙りこくる都電の踏切を渡って、そう時間をかけずにゆっくりと枠の外に消え、額から一筋伝い落ちた汗が目に沁みた。
(もうそんな歳なのか)
 正確な年齢も知らないけれど、記憶違いでなければ粟楠茜は中学生になっている筈だった。夏前に偶然会ったとき、茜は静雄には見覚えのない白いシャツにシンプルなスカートの制服でくるりと一回転し、躊躇なく右手を伸ばしてきた。小さな手には見覚えのあるスタンガンが握られて最大出力の火花を散らしていた。父に考えがあって、地元ではなく池袋から少し離れた雑司ヶ谷の方の中学に通っているのだという。
「家のこと、あんまり知らない人達のところがいいだろうって」
 まるで「家のこと」が何を指すのか知らないように錯覚させる面差しでさらりと言い放ったそのときよりも、茜の髪は少し短くなっていた。夏に向けて切ったのだろう。今しがた見かけた茜からは、不思議と幼さが抜け始めていた。
 茜とそう背の変わらない、男子生徒が隣にいた。そうして未発達の手と手は重なってつながっていた。
(「中学時代」)


「ね、ここを通るときの決まり、しってる?」
 高架道路下のトンネルの前で、茜は足を止めた。静雄の右手をぎゅっと掴んで、頬に何かを隠し持っているような顔をする。言いたくて仕方ないのだ。茜の表情は読み取りやすくて、逆に不安になる。このトンネルについてなんて二十メートルもない長さでときどきホームレスが溜まっては退去させられていることくらいしか知らなかったので、静雄は正直に「知らねえな。何だ?」と答えた。途端にぱあと輝く顔を苦笑しながら眺める。人の喜ぶ顔は嬉しい。茜の瞳や頬から星が溢れてはこぼれ落ちるを繰り返す。落ちた破片は二人の足元で暫くの間は喧しいほどきらきらと輝き続けるのだ。
(「子供時代」)
作品名:【サンプル】少女時代 作家名:ねっさわ