蒲団
なんとはなしに一人になりたくて夕日を眺めながら屋根の上で休憩していると、下から
声をかけられた。
「閃」
「……頭領!」
声の主は正守だった。他に周囲に人影はないから、間違いない。
「閃、今夜大丈夫か?」
「あっ、はい、何もないです」
「じゃ夜に、俺の部屋まで来てよ」
「わかりました」
知らず胸が高鳴る。夜、というのは比喩で、実際は皆が寝静まってからというのが正し
い。
当然、夕方の鍛錬になど身が入るわけもなく、閃は着地時にみっともなく転んでしまっ
た。正守の部屋に向かう直前まで、捻ったらしい左の手首が痛かったが、今はほぼなんと
もない。妖混じりはこういう時便利だ。
と、正守の部屋の前に来てから違和感に気付く。
いつもなら、閃が正守の部屋の近くに来たなら気配を察知して声をかけてくるのだが、
今日は部屋の前に立っていてもそれがない。
「頭領?」
おずおずと障子越しに訊ねてみると、くぐもった正守の声が聞こえた。
「閃か」
「はい」
「入れ」
言われた通り、音を立てずに襖を開いて正守の部屋の中に滑り込む。
明かりのついていない部屋には一組の布団が敷かれてあり、正守がその布団の中に入っ
ていた。
「頭領?どこか具合でも悪いんですか?なら俺……」
退散しますよ、と言おうとすると正守が布団の中から手だけを出してひらひらと振って
みせた。
「ちょっと疲れて仮眠取ってただけだから、いいよ」
だがそう言いながらも布団から出てくる様子はない。
「でも……」
「閃、お前、こっち来い」
「えっと……はい」
正守の布団のすぐ傍まで来てからあとは膝をついてにじり寄るように近づくと、布団か
ら出ていた手がぐい、と閃を引っ張った。
「うわっ!?」
「もっとこっち」
掛け布団が僅かに上げられて、敷き布団との間に正守に背を向ける形で抱きすくめられ
る。身体はすっぽりと布団の中に入ってしまった。
「とっ、頭領っ」
近い。吐息が首の後ろにかかって、頬が熱くなる。
「悪い、もう少し、このまま……」
どうやら仮眠ではなく本当に眠くて寝ていたようだ。頭ではそれを理解しているのだが
、正守に抱かれて息が耳に、首に、髪にかかってくすぐったい。それに、二人とも服を着
たままというのがなんだか慣れなくて奇妙に恥ずかしい。かといって眠りを妨げるのは本
意ではない。混乱した頭を落ち着かせようと深呼吸をすると、正守がクスリと吐息を吹き
かけながら――本人に自覚はないだろうが――笑った。
「そんなに緊張するな」
「……はい」
なんだ、緊張しているのがばれていたのか。そう思うと急に気持ちが楽になった。今の
状況を確かめる。
とにかく、正守の眠りの邪魔はすまい。閃は石のように身体を硬くし沈黙することにし
た。
「お前も寝ろ」
「努力、します」
とはいえ、こんなにがちがちで眠気がやって来るはずもなく。
まんじりともせずひたすらじっとしていると、正守の吐息が規則正しい寝息に変わって
きた。
おそらくは寝たのだろう。本当に疲れているんだな、とその労を思う。
ふいに背中に当たる正守の胸の鼓動が愛しく感じられて、閃の身体をゆるく拘束する腕
を撫でた。そのほどよい重さと暖かさを思うと、身体から力が抜け、逆に眠気が閃を襲っ
てきた。忘れていたが、ハードに修行したばかりだったのだ。
ひとつ欠伸をすると、正守の鼓動に意識を委ねて、閃は安らかな気持ちで目を閉じた。
<終>