涙
木陰に隠れて事の次第を見守っていた一同を、光が包んだ。
閃はその光の大元を確かめる。それは裏会本部の中央に現れたドーム状の光の球だった。
――白い絶界。良守の力だろう。
だが閃が気になるのはもう一つあった。
(頭領は、どうしたんだろう……)
今回の裏会襲撃の前、正守は気力体力ともに充実しているように見えた。なにやら大きな使命感を持ってことに当たろうとしているような。
その正守はいったいどうなったのか。
「箱田君、頭領は?」
自分の感応能力だけではあんな遠くまではカバーできない。仕方なしに箱田の「目」を頼る。
「大丈夫だヨ、今こっちに向かってル!」
「そうか……」
その場にいた一同に安堵の雰囲気が流れる。その空気を動かしたのはやはり箱田だった。
「でも頭領、一人じゃないヨ!誰かと一緒だヨ!」
やがて正守と一緒にやってきた『誰か』は三人。子供二人は初めて見る顔だったが、残る一人はよく見知った人物だった。
「氷浦、蒼士……!」
閃の言葉に蒼士が反応する。
「多分、これから世話になる、と……思う。よろ、しく」
「え?」
蒼士はそう言って閃に頭を下げた。目を丸くした閃に、正守が説明をする。
「預けられた。夜行で面倒を見ようと思う。遠と遥――この子達と一緒に」
「……そうなんですか」
何故だろう、えも言われぬ感情がわき起こる。
だがその感情は嫉妬とも怒りとも取れるようで、でも悲しみでもあるようで、今の閃には扱いかねるものだった。
「また仲間が増えますね」
「頭領、保父さんみたいですよ」
「言うな。良守――弟にも同じこと言われたんだ」
「とにもかくにも、無事でなによりでした」
そして正守の帰還を喜ぶ夜行の人間達の声に紛れて、閃のこんがらがった想いは消えていった――ように思えた。
「閃ちゃん、何考えてたの」
夜行の本拠地に帰る直前、同行していた秀の言葉にぎくりとする。
「なんの話だよ」
「さっき氷浦くんが夜行に加わるって頭領が言ったとき、すごく変な顔をしてたよ」
「そうか?」
平静を装ってとぼけてみたら、秀がクス、と鼻で笑う。
「駄目だよ閃ちゃん。閃ちゃんは嘘が苦手なんだから」
「……本当言うと、俺でもわからない」
蒼士がいい奴だというのはわかっている。満身創痍になりながら命がけで閃を救ってくれたこともある。別に悪い感情を持つ理由はないはずなのだが。
「本当に、わかんないんだ」
なんなのだろう。この失望のような憎しみのような心の翳りは。
それらをひっくるめたこの感情を何と呼べばいいのか、閃自身にも分からなかったのである。
「閃」
後ろから声をかけられて、振り返ると正守が立っていた。
「頭領」
「秀、悪いがちょっと先に行っててくれないか」
正守が立ち止まったので、閃も立ち止まる。秀は大きく頷いて、先に歩いていってしまった。
「どうしたんですか」
「それはこっちの台詞なんだがな」
「はい?」
「何を考えてる、閃」
正守が声をかけてきた理由が秀と大体同じ理由なのだと理解する。
「……俺、やっぱり変な顔してましたか」
「してたな。特に氷浦君に対して、な」
「……」
けどその原因が自分でも分からない。隠し通す術すらも知らない。だから溜息をつきながら素直に答える。
「わからないんです。自分でも」
「そうか」
正守の表情は硬くて、なんだか責められているような感じになる。
「――今夜はゆっくりしてる暇はないだろうが、夜になったら俺の部屋に来い。それまで、心の整理をつけておいてくれ」
そう告げると、正守は先に歩いていってしまった。
閃は一人、気持ちを持て余しながらとぼとぼと後を追った。
夜が更けて――
念のため気配を断ったまま屋根の上を伝って正守の部屋の真上にたどり着くと、やはり室中で人の気配がする。
(この声、刃鳥さんと……アトラさんかな)
少しの後ろめたさを感じながらその場にとどまると、やがてアトラが、そして刃鳥も部屋を出ていった。
「今夜はゆっくり寝てくださいね」
羽鳥はそう伝えて部屋を出て、戸口で見送っていたらしい正守がたっぷりの時間をかけた後、閃に声をかけた。
「閃、もう降りてきていいぞ」
「はい」
重い気持ちを抱えたままで閃は正守の部屋に入る。中は普段に比べて多少乱雑で、手紙などの書き物が置かれている。
「悪いな、散らかってて」
「いえ」
正守は閃に座るように促したが、閃はゆるくかぶりを振った。
「答えは出たか?」
「……」
閃は唇を噛む。やはり言わなければいけないのだろう。まだ整理はついていないけれど。
「氷浦がここの生活に慣れたら、戦闘員になるんですよね」
「どうかな。学校も行ったことないみたいだし、それどころじゃないかもしれないが、戦力的には期待したいところだな」
「そうですよね」
そこまでは閃にもわかる。
「……もし班分けするなら、きっと戦闘班ですよね」
「だろうな。彼は肉弾戦重視のファイターだと聞いているが」
そう報告したのは間違いなく閃自身だった。閃は頷く。
「その認識は正しいと俺も思います。――前線向きですよね」
「そうだな」
閃はもう一度唇をきつく噛むと、意を決して正守に告げた。
「そうなったら、巻緒さんを後衛に据えて、最前線に氷浦が出ることになりますよね――前みたい、に」
前。その言葉に正守も反応した。閃の言いたいことがわかってきたのだろう。
「閃……」
「あいつがいい奴だってのは身をもって知ってます。戦闘力の高さだって。でも、でも……」
声が涙混じりになってきた閃の肩を、正守が支えるように掴む。
その逞しさが、優しさが、閃の情感を高ぶらせた。
「志々尾の居場所を……取らないでください」
やっとの思いでそれだけ告げると、言葉にならない嗚咽が閃の喉から漏れてくる。
「う、うう……っ」
「……」
正守は何も言わず閃を強く抱きしめた。閃もまた正守の背中を抱き返す。
二人抱き合って、今は亡き志々尾に思いを馳せる。
閃は志々尾限ととりたてて親しかったわけではないが、同い年のよしみで何かと接触はあった。自分にしか見せていない姿を見たこともある。そしてかたくなで不器用な志々尾が心を許しているように思える人間が二人いて、アトラと、正守だった。
志々尾のことについては、自分より正守のほうがきっと辛い。
なのにこんなみっともなく泣き出して、自分はなんて勝手なんだろうと思う。言ってることだってめちゃくちゃだという自覚もある。それでも。
「志々尾……」
嗚咽の合間から名を呼ぶと、正守が閃の背中をぽんぽんと叩いた。
それがまるで、志々尾が『そんなこと気にするな』と言っているような気がして、余計に涙が止まらなくなる。
「頭領、志々尾を、志々尾を……」
どうか、忘れないで――言葉にならない閃の嗚咽は、いつまでも続いた。
<終>