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言葉の花のその前に

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風呂上がりのぺたんとした黒髪から、甘いシャンプーの香りが漂ってくる。どっちかってと普段の整髪料の香りに慣れとるけど、こっちはなんや慣れん分だけ気恥ずかしくて、お泊まりって感じでええなあ、などとぼんやり思う自分の表情はだいぶにやけているだろう。財前から見えない位置で良かった。見られたらお得意の毒舌がとんできたに違いない。
(それに、こんだけ素直にくっつかせてくれるのもなんや久しぶりな気がする……)
 現在財前は、ベッドに背を預ける謙也の足の間に、足を伸ばして座り込んでいて、音楽雑誌を読んでいる。そんな財前の腹の前で謙也は手を組んでいて、財前は謙也の肩に頭を預けていて。つまりはいわゆる恋人座りだ。もし誰かがこの部屋の扉を開けてこの光景を見たらどう考えても言い訳できない、そんな体勢だったけれど、部屋には内側から鍵をかけてあったから、謙也は何も考えずに財前の肩に顎を乗せて、財前がぺらぺらとめくる雑誌を斜め読みしていた。
(やっぱちょっと冷やっこいなあ)
 財前の低体温は今や皆が知るところで、特に頻繁に彼に触れる謙也はよく知っていたけれど、こうしてべったりとひっつけると特にそう感じる。こんな暑い季節にはひどくそれは心地よくて(もちろん心地よさの原因においては温度はおまけのようなものなのだけれど)、思わず首筋に頬をすり寄せてしまった。こうした接触に対して財前は怒ることもあれば、少しだけ照れたように目を逸らして受け入れる時もある。調子に乗りすぎたか、と思うと同時にできれば反応が後者であれば、そう思って先ほどの体勢のまま謙也は固まる。けれど財前はこちらを睨むこともなく、照れたような反応もなく、ただ何もなかったように雑誌をめくり続けているだけだ。意外な反応で、謙也は少し肩すかしを食らう。
 そもそもこの体勢に持ち込む時だっていつもと違った。財前が床に座って雑誌に気を取られているうちにそっと背後に回り込んで、殴る蹴るの抵抗さえ覚悟でその背後に座り込んでそっと腰に手を回したというのに、財前はこちらをちらりと見て唇を少しだけ笑みの形に歪めただけだった。そしてそのままこちらの身体にもたれかかかって、すっかりくつろぎモードに入ってしまったのだ。
(でかい黒猫に懐かれた気分やなー……。あーかわええ……)
 体勢的にはこちらが懐いている感が否めないが、とにかく毒を吐かず謙也の接触を許す財前は少し新鮮で、そして優越感のような、きっとこんな毒もなく甘える財前をみれるのは自分だけだという幸福感が湧き起こる。幸せやなあ、できたらずっとこうしていたい、そう叶わない思いを抱く。財前と謙也は別の人間で、それぞれ別の世界を持っていて、ずっと抱きしめていることは叶わないけれど、だからせめて、あと10分だけこうしていることを許して欲しいと思う。
 そう、あと10分。10分で腕の中の彼は、一つ年をとって、自分と同じ歳になる。

 二週間前に謙也は財前に、7月19日に泊まりに行ってもいいかと尋ねていた。誕生日の前日に泊まりを請うなど目的は一つだけで、すぐに察した財前は「プレゼント持参ならええですよ」と冗談めいた口調で言う。それでもすぐに「当日やなくてええんですか」と財前が聞き返したので、謙也は「夜やと家族で祝ったりするやろ?お邪魔しちゃあかんし」と用意していた言い訳を口にしたが、それを聞いた財前が悪戯好きの子供のような顔をしたので、おそらく本音はばれているのだろう。
(言うたら財前は嗤うやろか。ひとつ歳を取るときに、一緒におりたいって)
 財前のシンプルな部屋の壁にかかった時計を見つめながら感慨に浸っていれば、雑誌を閉じたらしい財前がちいさく喉で笑った。
「なんやねん、いきなり」
 視線を彼に戻して、けれど体勢のせいで真正面からは見られないから横から彼の顔をのぞき込めば、財前はからかうような、それでも少し緩んだ口元で、笑った。
「謙也さん、そないに時間が気になりますか」
「え、あ。ま、まあな」
 図星を疲れてしどろもどろに適当な返事を返せば、財前は今度こそ深く笑って、彼には珍しく目元まで柔らかな線を描いた。
「謙也さんて意外に直球やねんな。てっきりサプライズとかしたがるタイプやと思うてましたわ」
「一応そういう方向も考えたで。でも俺よりお前のが勘とか鋭いやんか。絶対ばれてまうと思て。」
 俺は正直に祝う方が性に合うとるねん、そう言えば、財前はまたくつくつと笑う。今日はずいぶん機嫌が良い。先程の接触の件も含めて、かなり素直だ。彼は猫のように背筋を伸ばしたあと、先程謙也が財前にしたように、もたれかかっていた謙也の首筋に整髪料のついていないさらさらの髪ごと頭をすりつけて、自らの腹に回った謙也の大きな手に指を絡める。
「謙也さんはこっちの方が合うてますわ。中途半端なサプライズされたらどう反応したらええかわからへんし」
 そういう財前は笑みの気配を崩さぬまま、恋人の腕という優しい檻に手をかけた。そのまま謙也の片腕を自分の腹から取り去って、身体を捻って謙也の顔を真正面から見据えてくる。突然の事態に謙也が目を白黒させて思わず身を退こうとすれば、財前はさせるかとばかりに謙也の後頭部に掌をあてがった。
「謙也さん」
 視界の端に時計は日付変更1分前を指しているが、財前の顔が視界いっぱいに広がっていて、それを処理する余裕がなかった。置き場のなくなった両腕を後頭部と首筋に回せば、彼はまた笑う。
「光、」
 優しく唇を重ねる。触れるだけのそれは、けれど初めて彼としたキスのように甘いもので、謙也は少しだけ泣きそうになった。目を閉じていたから財前の反応はわからなかったけれど、後頭部に回されたままの彼の掌が静かに謙也の髪を滑っていったので、きっとこの涙を呼びそうな口づけの温度は、伝わっている。
 電子時計が日付変更を告げる電子音を鳴らす。静かな空間に響くそれは、財前の誕生日を教えていたけれど。
(あと、あと少しだけ)
 優しい口吻がくれる幸せを享受したくて、謙也は唇を離せなかった。後頭部から滑り落ちた財前の手が静かに謙也の首筋を撫でるのがくすぐったくて、それ以上に官能的で、謙也はただすべての刺激に酔ってしまいそうだった。
(あかん、このキスが終わったら、言うて決めてる言葉があんねん。せやから、な、光、これ以上煽らんといて。だって大切な目の前の恋人に、生まれてきてありがとうて、言わなあかんねん)
 舌を絡めるでもなく唇をただ重ねるだけの静かなキスは、けれどこの破裂しそうに心を陣取る感情を伝えるには似合いすぎている。言葉にできない想いが伝わってくれればいいのにと思うのは、ロマンティストすぎるだろうか。すこし笑って唇を歪ませれば、財前が静かに唇を離した。いつもはだるそうにしている瞳が、今は情で潤んでいる。
 愛しい、愛しい。そんな大切なひとが生まれたこの日のために祝いの言葉を。謙也は静かに口を開いた。先程の唇のような優しい音色だと我ながら思う。だってあの財前が、幸せそうに目を少し伏せながら、至極柔らかい色で笑ってくれたのだから。
作品名:言葉の花のその前に 作家名:えんと