【がくカイ】Ju te veux
「それじゃ各自に渡した課題曲暗譜してくるように」
伝達事項も終了し、終了の鐘を待たず学生達は教室を出て行く。
なだらかな傾斜の教室の、一番前から「とことこ」という表現のよく合う駆け足でカイトが駆けて来る。
途中ですれ違う生徒にいちいち愛想笑いを振り撒いて、本来よりも時間をかけて最上段までたどり着いた。
「がくぽー、課題曲なんでしたか?」
優しい笑顔で問いかけてくる。
がくぽは鞄に物をしまいながら「うーん」とうなり、
「何故か複数曲あったのだが・・・」とカイトを見やる。
「えっえっ?何で複数??」
驚き、目を見開いて高い声を上げる。
「さぁ、何でだろうか。選んでいいってことかな?」
「・・・ずるい」
「はぁ?」
突然腕をぐっと掴まれ、ずるいずるい、と何度も身体をゆすられる。
「やめ、やめろ、みっともない!」
手を払いのけ、教室に残った生徒の笑い声に顔を赤らめてがたんと席を立つ。
「だって選択肢があるって羨ましい!僕なんか1曲だよ!」
「わからんぞ、全部ってことかもしれないし、今から担当に確認しにいく」
「全部だよ!きっと全部だよ!」
「何で悪いほうに言う!」
ふん、と鼻を鳴らし教室を出ると何事も無かったようにカイトは横に並んで歩き出す。
声楽科を出て、レッスン棟へ向かう途中数人に挨拶され、
其のたびに足を止め、2人で愛想を振り撒くのに骨を折った。
「カイトさん!がくぽさん!レッスン頑張ってくださいね!」
数人の女生徒が黄色い声で声援をおくってくる。
「ありがとう〜」
笑顔を作り、手を振り、見送り、距離が出来るや否や
「お前のその愛想のせいで最近いつもこうなのだが」
と、がくぽが首根っこを捕まえる。
「いいじゃないですか〜嫌われるより〜」
と、カイトはのん気そうに笑った。
レッスン棟に着き声楽科の準備室に向かったが、
余計なタイムロスのせいで担当の教師と入れ違いになってしまったようだ。
みたことか!という目でカイトを睨み付けたが、
にっこり笑って返されそれ以上声もかけなかった。
「仕方ない、とりあえず一度だけでも通してみよう」
がくぽはレッスン室の鍵を取り、ノートに使用者と時間を書き込む。
その間カイトは山積みになっている楽譜のコピーを手に取り
ふんふん、と鼻歌を歌っていた。
4階のレッスン室に向かう途中の階段、ずっと鼻歌を続けているカイトに
「何でそんなに嬉しそうなんだ?」と声を掛ける。
「先生居なかったから」
さらりと言うと、がくぽの手から鍵を取り上げ、
2段飛ばしで駆け上がっていった。
上から見下ろすカイトが踊り場の夕焼けの窓をキャンバスに、
そう、安易な表現だが、天使のように微笑むのが映えた。
「急がないといっちゃうよ〜!」
今から唄わないといけない人間が、わざわざ息をあげるようなことしてどうするんだ。
とはいえ、少しだけ足を速めて、階段を昇る。
レッスン室は心地の良い湿度と温度で、いつもニュートラルに歓迎してくれる。
カイトはもうピアノの前に座り、今日もらった課題曲の楽譜を見つめていた。
がくぽも自分の複数の楽譜を取り出し、品定めをした。
「カイトの課題曲はなんだったんだ?」
「えっと、ドイツリート、シューベルト野ばら」
「おお、かっこよく唄って欲しいものだな」
少しだけくすりと笑う。
「今笑った!笑った!失礼だなもう!!」
顔を真っ赤にして胸倉に掴みかかる。
「おっと、それじゃかっこよく唄えるの?」
「・・・・・調教しだい・・・・・・」
「ん?」
「・・・がくぽみたいにかっこよく唄いたい」
がくぽはそっと腰の辺りに腕を回し、目を見つめたまま耳元まで顔を近づけると、
「・・・調教して差し上げましょうか?」
と、小声で囁いた。
「あ、え、えっと、えっと・・・」
おたおたしだすカイトが滑稽だが、愛しく感じる。
「で、で、で、どの曲が希望なの?がくぽは!」
真っ赤な顔のまま、苦し紛れに質問を浴びせる。
胸倉に掴みかかっていた腕はそのままに、今はただもう其の両手は、
身体の距離を保つための砦でしかなかった。
「ざっと見たところ、今日の気分だと」
「今日の気分だと?」
「サティの・・・」
「サティの・・・・・・・・・・・・・はっ」
「・・・・・Ju te veux?」
「Ju te veux ご名答」
両手をつかまれ、ゆっくりと口付けをされる間、
自分の心音が、耳に痛かった、身体中が熱かった。
ちゃんとしたレッスンは明日からにしよう。
今日は、今日の気分はお互い「Ju te veux」みたいだし。
作品名:【がくカイ】Ju te veux 作家名:あへんちゃん公爵