幽霊の売春
十七を迎えた頃。
ジョナサンはディオに対して、決して持ってはいけない疑念のような物を抱きはじめていた。そのような疑念を確かな形で感じたのはいつ頃からだったろう。
決して信じたくはなかったが、ジョナサンはあれこれ言うよりも、ただ不安だった。
父が知人の不幸で屋敷を留守にした夜。深夜二時を回る頃まで、ジョナサンは息を殺して耳を澄ませていた。自分がここ半年間観察した所によれば、そろそろ隣の部屋のドアが音を立てるはずだ。
ギィィと言うその怪奇現象は、決まって父が不在の日に起こる。時間は深夜の一時から三時までの間で、まるで隠れるように必要最低限の音しか立てない。
最初に気づいた時は、本当にお化けの仕業かと思っていた。幽霊が住まう家で起こると言う、あの独特な音なのかと思った。だからジョナサンは本気で青ざめて身を竦めたし、布団を握ってひたすら息を殺すのに務めたものだ。
しかし、たまたま恐怖に耐えかねてディオに相談しようとした事により、ジョナサンの恐怖は“心配”と“疑念”へ変わる事になる。
バタンと一際大きな音がした事に恐怖し、ディオに助けを求めようと彼の部屋を訪ねたのが切っ掛けだ。ディオ、入るよ、変な音がして眠れないんだ。ねぇ君にも聞こえるだろう?
そう声を震わせながら入った部屋は、もぬけの殻。綺麗に畳まれた布団の中には、当然誰も居なかった。
その時、ジョナサンは幽霊の正体を知ったのだ。
「……」
そして今日もまた、幽霊は父の不在を狙ってドアを開けて出てゆく。
まんまと幽霊の出現を感知したジョナサンは、急いで上着を羽織ると自室を出て、幽霊の後を追う。当の幽霊は後ろからジョナサンが付いてきていると知ってか知らずか、軽い足取りで階段を下り、玄関の扉に手をかけた。
それは明らかにこの屋敷から出てゆくと言う意を現わしていたが、そうはさせじとジョナサンの張った声が幽霊を呼びとめる。
名前を一つ呼んでやると、幽霊はピタリと動きを止めて天を仰いだ。明らかに面倒くさいと言った風に溜め息をつくと、取っ手にかけていた手を離して振りかえる。
幽霊もといディオは、階段の踊り場から自分を見下ろしている義兄を鋭く見上げた。
「…寝相が悪いぞジョジョ。寝言も大きいようだ」
外出を邪魔されて苛立っているのか。
腕を組み、顔を斜に構えて言う彼は、温かそうなコートを羽織っている。どう見ても裏の小屋に薪を取りに行く装いではない。もといディオが自分で薪を取りに行くはずもなく、ジョナサンは自分の確信めいた疑念が限りなく正解に近いのではないかと、心の底から震えた。
「ディオの寝相も酷いじゃないか。玄関まで転げ落ちてくるなんて…」
「フン…。
キミには言っていなかったが、俺には徘徊癖があるんだ。すまないが、見逃してくれないか?外の空気が吸いたい」
「外の空気なら窓からでも吸えるだろう。僕は君を心配しているんだよ、ディオ」
徘徊癖などとあからさまな嘘をついてジョナサンの出方を伺ってくるディオ。彼はいつも遠回しに牽制をかけてくる。そうしてジョナサンが何と言うのか、まるでレーダーのように予知しようとしている。
そうされるとジョナサンはいつも心臓を覗き見されているような気がして不快だが、ディオはディオで、こうして自分を“心配”していると言うジョナサンに対し、鬱陶しい思いをしているんだろう。
コツコツと階段を降りながら、ジョナサンは蝋燭を翳してディオの姿を写した。照明を全て落とした中に佇むディオは綺麗だが恐ろしくて、まるで吸血鬼のようだ。
「僕は君を行かせない。酒や煙草より厄介だって思うから」
眉を顰め、低い声で囁くように言う。一歩一歩近づくたびにオレンジの光によって映し出されるディオの顔は、何の感情も出さないままだ。何かジョナサンを言いくるめる策でも考えているんだろうか。
無表情だったその唇が孤を描いたのは、それからすぐの事。
「ジョジョ、なぁジョジョ」
失笑…と言う体を見せながら、ディオは自ら手を広げてジョナサンに歩み寄った。カツカツと軽快な足音を響かせながら、目と鼻の先までやってくる。真正面まで来ると彼はジョナサンの肩に手を置いて、わざとらしく猫撫で声を上げた。
「教えよう。俺は、君が思っているような場所には行っていない。ただ賭け事をして、ちょいと懐を温かくしているだけだ」
「……」
「“家族”の君なら解るだろう?この俺が、そう言う場所に、そんな事をしに行くと思うのか?…このディオが」
「でも、君が“そこ”に入っていくのを見た人が居る」
どうしたらそんなに人を見下した顔が出来るのか、いっそ教えて欲しいと思いながら、ジョナサンは反論した。ピクリと肩に置かれたディオの指が跳ねるのを感じ、疑念が今度こそ確信に変わる。
懐を温めたいと言うのは事実だろう。そして、プライドの高いディオが自らそのような場所に赴くと言うのも疑問が残った。しかし一方で、ジョナサンは納得もしていた。
男色を好む人間が社会の爪弾きになっていると言う事実を前提にするならば、きっとディオにとって彼らは“社会のクズ”。
彼の論理からするなら、クズから金を受け取る事など何の遠慮も無い、と言った所だろう。それは決して許される事ではないし、増して応援出来るような事実ではなかったが、ジョナサンは唇を噛むに留めた。
ディオを殴り倒して乱闘するには、夜が更けすぎていたのだ。
「…ジョジョ」
明日の朝になったら殴ってやろうと思い、そのまま背を向けたジョナサンを、含み笑いが追いかける。そっと振りかえると、ディオが緩やかに金髪を揺らして首を傾げて笑っていた。
「今日はいつもより稼ぎが出る予定なんだ。幾ら欲しい?その口を塞げるだけの額をやるよ」
バレたからと言って委縮したり止めるつもりも無いのか、ディオはどこで覚えてきたのかも知れない甘い声でジョナサンの口を買おうとする。それに、何か良い知れぬ苛立ちと悲しみを感じて、ジョナサンは蝋燭を持った手をフルリと震わせた。
「いらないよ。
僕が君を今すぐ買いたいくらいなんだから」