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璃琉@堕ちている途中
璃琉@堕ちている途中
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My Dear

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目覚めると、そこは濁った水の底だった。



―風の強い日のことだった。何十日ぶりか仕事の入っていなかった私は、新羅と外出した。いわゆる、デートというやつだった。といっても、私は何をどうしても目を引く容姿なので、あまり人のいない場所を選んで、二人、静かに語らう程度になるのだが。

「うん、君の影は日光を当てるべきなんだよ!ああ、普段よりも美しさが増したようだ…そのはにかんだような笑顔も眩しい。あの太陽なんか目じゃない程に!」

陽の光の差しこむ木陰に仰向けに転がって、新羅は饒舌に語った。

『ヘルメット越しに何がわかる』

そう打ち込んでPDAを差し出すと、彼は「何を言っているんだ」と笑った。

「目は口ほどに物を言うよ?君の澄んだ瞳を見ていれば、俺の心も洗われる!」

愛の為ならば悪事にも平気で加担する闇医者は、嬉しそうに続けて言った。

「で、セルティ。膝枕はいつしてくれるんだい?」
『調子に乗るな』
「ええ!?このシチュエーションでそれ?セルティ!君、本当に僕のこと愛してるの!?」

ぎゃあぎゃあ喚く新羅に構わず、私は周囲を見渡した。
都会にあって、緑の多い景色。それを、自然の奏でる音と、いつもの彼の声が彩る。
存在しない瞼を閉じて、私はほっと息を吐いたような心地だった。
―その時、一段と強い風が吹いた。突風、と言っても良いかも知れない。

『新羅、寒くないか?』

収まったものの威力の増した風に恋人が震えていやしないかと、PDAを見せようとした私の視線の先だった。

「………」

恋人は、何かを真剣に見つめていた。外していた眼鏡を掛け、起き上がって。思わず、私も彼の視線を追いかける。
―少し離れたところに、長い髪を乱した女がいた。すらっとした、綺麗な女だった。今の風でだいぶ滅茶苦茶になってしまったようで、腰まで届く黒髪を丁寧に手櫛で梳っている。
そうこうしているうちに、女は鞄から携帯を取り出した。そして、無表情な顔を嫌そうに歪めて何事か話した後、立ち去った。

「へぇ…ん?どうしたの、セルティ」
『いや…寒く、ないか?』
「うん、大丈夫!ありがとう、心配してくれて。ああ、私は本当に幸せ者だよ!」
『…』

―嘘だった。
私は、あの女をあんなにも真剣に見つめていた新羅に、言いし得ぬ不安と焦燥を感じていた。
そして、帰宅してから、その感情が何だったのかを知った。
「それは しっと だと おもいます」



―――嫉妬。ああ、これが。



―目覚めると、そこは濁った水の底だった。
普通に考えれば、きっと苦しいのだと思う。でも、思い出した昼間の出来事に、妙に納得した。
私には首がないのだ。
膝を抱えて、私はない顔をそこに伏せた。
ゴポゴポとどこまでも沈んでいく、堕ちていく。けれど、身体は一向に悲鳴を上げない。―いや、心もか。
このままもう一度、眠ってしまおう。
手放そうとした意識に最後、浮かんだのは新羅の顔だった。

セルティ、愛してるよ。僕は、君しか愛してない。
―――本当か?
君以外、どうでも良いんだ。
―――本当なのか?
君のことだけ、信じてるよ。
―――私は、お前を信じて良いのか…?



「セルティ!!」

水底が揺らいで、濁った世界に、昼間浴びたのより眩しい光が差し込んだ。



目覚めると、そこは新羅のマンションの、あのソファの上だった。
見慣れた天井にぼんやりしていると、ひょこりと彼の顔が現れる。

「…良かった」

そう穏やかに微笑む新羅に、私は首を傾げる。

「全然上がって来ないから、悪いと思いつつ、心配で。見に行って正解だった。君、お風呂で溺れてたんだ」

テーブルの上のPDAに手を伸ばすのが面倒で、一つ頷くだけに留める。すると、

「はああああぁ…本当に、良かった…」

新羅は私の肩口に顔を埋めるようにして、倒れ込んだ。

「俺、君がいなくなったら…多分、生きていけない」

口調も声色もいつも通りなのに、彼の言葉は切なげに響いた。

「私が君の側から旅立つその瞬間まで、私は君の手を離す気はないんだ」

そうして、しっかりと抱き締められる。

「愛してる、セルティ」

濁った水底から救ってくれた腕の感触を確かめるように、私も新羅に抱きついた。
もう忘れてしまいそうな顔に、精一杯、私は笑いかけた。ない顔が泣いているのだから、私は笑おう。そう思うのに。
新羅の涙を感じてしまって、どうしようもなかった。



落ち着いてから、私は昼間の女性のことを尋ねた。

「え、誰?」
『あの公園で見た、ほら、長い黒髪の…』
「あ…!あの人か。彼女は矢霧のお嬢さん。最近どうしてるか不明だったからさ。まさか、あんな場所で見かけるとはね。驚いたよー。彼女がどうかした?」
『…それだけか?』
「? うん」
『そうか。それなら…いい』

きょとんとした彼の顔に拍子抜けした。知り合いを思わぬところで見かけたから驚いた。それだけの話だったのだ。なのに、私は…。

「何笑ってるの、セルティ」
『いや、私はお前のことが、本当に好きなんだなと思ってな』
「…何その不意打ち。ああ!セルティ!やっぱり今夜は一緒に寝よう!?そしてこの溢れる愛をベッドでぅぐはっ!」
『黙れ。そもそもお前は脚を怪我してる!私が溺れるわけがないだろう?なのに焦ってタイルで滑って転ぶなんて…』
「だって、セルティが苦しそうにもがいてたからさー」
『…私が?』
「助けて、って聴こえた気がしたから」
『………そうか』

お前が言うなら、そうなんだろう。
そう打ち込む代わりに、私はPDAにこう表示させた。

『疲れたから、膝枕してくれないか』



―――「セルティの髪、俺、好きだなぁ」
『? 何を言ってるんだ』
「綺麗な、ああ、濃くて深い紅茶色だ。そう、顎より少し長いくらいかな」
『はぁ…?』
「柔らかくて、触るとサラサラなんだ。シャンプーじゃない、でもとても良い香りがする」
『お前…私には首が』
「見えるよ」
『…』



―――俺は、セルティの髪が、好きだ。セルティの、全てが好きだ。





『My Dear』




作品名:My Dear 作家名:璃琉@堕ちている途中