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ボカロはトマトじゃありません。

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街中に溢れる人工的な歌声や色。緑だの赤だの、人間には絶対にありえない髪色をした人形を連れ歩く人々。そんな中、軋峰は足早に歩いていく。どうしても出向かなければいけない打ち合わせ。相手が指定したのは、よりによって街中に新しく出来たファッションビルのカフェ。大勢の人が動く街中を死ぬ気で歩いた。
こんなことなら、バイクを整備に出すんじゃなかった。
愛車の定期点検と打ち合わせが重なったのは、本当に不運としか言いようがない。不幸中に幸いは、電車に乗らなくても済んだことぐらいだろう。軋峰が住むマンションは、歩いて一時間の距離。それぐらいなら、軋峰は徒歩を選択する。
「初音ミクの新曲でしたぁ。さすが有名Pの新曲だけあって・・・。」
街頭スクリーンから流れるアナウンサーの声。ボーカロイドと呼ばれる有機アンドロイドは発売されてからもうすぐ五年。当初は抵抗のあったメディアでも、通常の人間と同じ扱いをされるようになった。
大通りを左折してから、細い路地へ。いくらか人が減って、軋峰はポケットに入れていた煙草を取り出す。路上喫煙が完全に禁止され違法行為になったのは知っているが、この路地では無意味な法律だ。ここは、全てから見放された不可侵地域。それ故に、無粋で悪趣味な世界とは切り離される。昔懐かしいストリップ劇場やポルノ専門の映画館も健在だ。
「なんだ・・・歌声?」
悪趣味の境地である性質の悪い呼び込みや嬌声、派手なネオンとは似つかない澄んだ歌声。か細く、今にも消えてしまいそうな歌声につられるように、軋峰は歩き出す。
ショットバーとシガレットバーの間、隙間を縫うように作られたビルの一階。中古店の看板がかかる小さな店から、歌声がまだ聞こえている。興味に駆られて店内に入り込む。
「うわ・・・。」
並ぶ硝子ポッドの中、先ほどテレビの中で歌い笑っていた緑髪の少女。その隣では、黄色の髪した男女の双子が並んでいる。
「ボカロ・・・。」
発売当初、あまりにも熱中する世界に呆れていた軋峰だが、今なら買ってもいいかもしれない。ゆっくりと並ぶボカロを見ていく。新品はやはり値段が天文学的だ。零の数を数えてはその値段に驚く。さすが最先端の技術を詰め込んだ最新の玩具だ。
「何か、お探しですか?」
突然声を掛けられて、軋峰は文字通り飛び上がる。店員の気配も他の客の気配もなかったので、完全に油断していた。
「そこ子達は全て新品ですよ。お好みのボディにカスタマイズも受けてますから、気に入らなければ外見はいくらでもいじります。」
「いえ、あの。」
「それに、初音シリーズは扱いやすいですよ。初心者でも楽しめます。鏡音の双子は男女セットでの値段ですからお買い得ですけど、少しだけ調教が難しいですね。どれも二次方の最新ですから、中身は保証します。マスター登録も当店で出来ますし。」
買う気はないのだと告げようとした軋峰の耳に、先ほどと同じ歌声が聞こえる。澄んだか細い、それでいて美しい歌声。
「店内で流しているのも、ボカロですか?」
「当店では音楽は流していませんが?」
「え?でも、これ聞いたことが・・・数年前のコマーシャルソングだったかな?それか、店内使用かも。」
軋峰の言葉に、店員は首を傾げている。こちらから聞こえると軋峰が示したのは、店の奥、少し薄暗くなっている一画だ。少し煤けた様な硝子ポッドが、表よりも多少乱雑に並んでいる。
「あぁ、これか。」
店員の制止も聞かずに入り込んだ軋峰は、ようやく音の元を見つける。
薄青の水の中、一人の青年が浮かんでいる。青い髪と同じ色に塗られた爪、白いコートと長いマフラーは一昔前のアイドルのようだ。
手書きのラベルに書かれた値段は、先ほどまで見ていたボカロに比べてほとんど捨て売りの値段同然。買う気はなかったのだが、気が変わった。
「これ、一つ。パッケージいらないから。」
まるで、八百屋の店先でトマトでも買う気安さで、軋峰は目の前のポッドを指差す。
水の中浮かぶ青年が、少しだけ笑ったような気がした。