窓枠の中の世界
「なに浮かない顔してるの」
ぼーっと、窓の外を眺めていたポップに声をかけたのはほかでもないこの国の女王レオナだった。
姫から女王という立場になり、まだ少女と呼べた彼女もこの2年ですっかり「女性」になり、もとより美しかった顔には更に女王としての威厳も増し、どんな雑多の中にあっても、決して紛れてしまうことができないであろう存在感がある。
「ちょっとばかし疲れただけだよ、何しろここ3日ほど働き詰めだからな」
「そうね、ここ最近忙しかったものね」
「姫さんこそ、珍しいな。この時間にこんな所にいていいのかよ」
ひらひらと手を振り、わざとらしくおどけてみせるポップは一見いつもと変わりなくあるようだったが、鋭いレオナにそれが空元気であることは容易にわかってしまう。
いっそ、これに気づかないほど愚かであれたら、何も迷うこくいられるのにと小さく息をつくが、一国の王が愚かであっては困るのだ。
「ポップくんを探してたのよ」
「俺を?まさか、急な仕事とか?」
「ん、そうじゃないけど。それにしても、いつも窓の外を見てるのね。侍女たちにポップ様はまるでラプンツェルのようですわね、なんて噂されてたわよ」
え、とようやく窓の外から視線を逸らしてこちらを振り向いたポップにレオナは苦笑する。
「ラプンツェルっていうのは異国の童話でね。魔女に塔に閉じ込められた長い髪の美しい少女のお話なのよ。塔から連れ出してくれる男を待って長い髪を塔から垂らすのよ」
「へえ、それでその女の子どうなったんだ?」
「さあ、私も侍女たちの話を通りがけに少し聞いただけだから結末は知らないわ」
「なーんだ、知らないのか。どっちにしろ、そんなのに喩えられたんじゃ、たまったもんじゃないぜ」
両腕を頭の後ろで組み、大げさにため息をついて見せるポップに、レオナは再び苦笑した。
「当然よ、黙って待ってるような性格じゃないものね。だいたいその喩えだとまるで私が悪い魔女じゃないの。それでもちろん男は…」
そう言いかけたレオナの言葉を遮るように、ポップがはっとレオナを見る。
その顔には先ほどまでの余裕はなく、一瞬だが空元気の下にある本心が見えた気がした。
「…ポップくん、探しに行きたいんでしょ」
何を、とは言わない。
言わなくてもあの大戦を共に戦い抜いた仲間たちの間では通じるのだ。
大魔王バーンを倒し、そして黒の結晶と共に自らも姿を消してしまった勇者ダイのことだと。
「…もうあれから2年経ったなんてな。俺とダイが一緒に冒険した時間のもう何倍も時間が経ったんだ」
珍しくしおらしいポップは再び窓の外へ視線を遣った。
その視線の向こうにあるものが一体どんなものなのか、レオナだけではなくきっと誰にもわからない。
勇者の魔法使いとして、最も誰よりもダイと繋がりが深かったポップは誰よりもこの2年間ダイを求めていたはずだった。
しかし、そんなポップが未だにパプニカへ留まり続けているのは皆がそれを望んだからだ。
爆発寸前の黒の結晶から皆を助けるためにダイと共に地上を蹴ったポップが一人だけ地上へ戻ってきた。
どんなやりとりがあって、ダイがいなくなり、ポップだけが戻ってきたのかは二人しか知らないことだったが、それがポップの本意でなかったことは容易に知れた。
戻ってきたポップは大声でわめき、ひたすら「どうして」と泣いた。
泣きつかれて目を覚ましたポップはもう涙を見せることのない冷静な男だった。
すぐにでも行方知れずのダイを探しに行きたいと旅立つ彼を支えるようにマァムとメルルの二人も加わり、このパプニカを発ったのだが、どうか帰ってきて復興を助けてくれという人々の願いに押しきられ、半年間で旅を切り上げ、パプニカに帰ってきてからはずっとこの地に留まり、レオナの手助けをしている。
ポップの知識や魔法は今、世界中で望まれている。
マァムやヒュンケルのように武力を持つ者も、戦時中の影響でまだ治安の安定しない各地で望まれていたが、国家を再建していく上でかなり役にたつであろうポップの頭脳と“勇者の魔法使い”という肩書き、そしてこの世に存在するほとんどの魔法を操る魔力はその比でないほど求められた。
ベンガーナなどは、ポップの故郷であるランカークスがあるのはベンガーナなのだからポップは故郷に帰ってくるべきだと主張するし、各地の王もアバンの使徒がひとつの国に固まることで力の均衡が崩れ、偏ることを懸念し、大魔道師ポップの仕える先を争った。
その争いを少しでも小さくする為に、一度はパプニカで宮廷騎士団の騎士団長の位に落ち着きかけたヒュンケルは再びラーハルトと共に旅立ち、パプニカの城下町で暫定的に住んでいたマァムも故郷へと帰ることになった。
使徒ではないものの、その力を大きく知られたメルルもまた、祖国の再建の為に祖母と共に発ち、クロコダインやヒムなど善なる魔族たちもかつてダイが育ったデムリン島へと住処を決めた。
そして最後にパプニカに残ったのはポップだけだった。
ほかの仲間たちがパプニカから出ることで、ポップがパプニカに留まることは黙認されたが、彼自身の本意・不本意に関わらず逆にこの地より出ることができなくなってしまったのだ。
本来なら、宮廷魔術師という立場を捨てて、逃げてこの地より去るのはポップの自由だったが、三賢者など家臣はいるものの、“仲間”のいないレオナが一人パプニカの復興や外交で奮闘する姿を見てポップが放っておけるわけがなく、レオナは色々な面で彼の力を頼ることになった。
でも、それももう終わりなのだ。
「ポップ君、さっきヒュンケルが帰ってきたのよ。それを伝えに来たんだけど」
「ヒュンケルが?」
ダイを探す旅をラーハルトと共に続けていたヒュンケルの帰還ということで、ポップの顔は目に見えて期待に満ちた。
「残念だけど、ダイ君を見つけることはできなかったけれど、何か手掛かりらしきものを持って帰ってくれたわ。今、応接室で休んでもらってるから、詳細は彼から直接聞いてちょうだい」
レオナの言葉が終わるやいなや、ポップは立場上、仕方なく着ている宮廷魔術師の大げさな服を翻し、あっという間にその場からいなくなってしまった。
その、子供っぽい行動に苦笑ではない小さな笑みをこぼしたレオナだったが、彼も自分自身もまだ、20に満たない子供なのだと今更ながら思い出し、レオナは小さく息を吐き、先ほどまでポップが眺めていた窓の外を見遣る。
ポップが見ていたものをいつか自分も見ることがきるのだろうか、と窓の外のずっと向こうの空の境を見つめるのだった。