下卑た指先
後ろから俺を抱え込むように座ったフランスの顔が、首筋のすぐ傍にある。腋の下から腕を回し、動きを封じながら、肩先に顎を乗せてくすくす笑う。そのせいで右耳の付け根辺りに甘い息が掛かり、思わずびくりと震えてしまった。人の気持ちというものにはやけに聡いこの男のことだ、俺が今どうしようもない程居心地の悪さを感じていることに気付いていないはずもない。それでも全身に絡みつくような腕は一向に離れなかった。こういうところは本当に意地が悪い。
改めて視線を落とし、自身の格好を眺める。見れば見る程奇妙で滑稽な姿だ。曲がりなりにも成人の、それなりに体の出来上がった男が着るナース服だなんて笑いものにしかならない。いや、笑ってもらえるならまだましな方かも知れなかった。正直俺なら街中でそんな奴を見た日にはそっと目を伏せて足早に行きすぎる。
薄い色をした短い丈のナース服を着て似合うのは若いお嬢さんだけだ。胸や脚にきちんと肉の乗った、ふくよかな体の女性だけ。間違ってもこんな、お世辞にも可愛いとは言えない大の男が着るものではない。
膝より遥か上の丈をしたスカートから覗く痩せぎすの脚。骨ばかり目立つ膝を手で隠すように引き寄せる。脚を折り、きゅうと抱いて膝の上に顎を乗せた。なるべくなら小さくなっていたい。こんな、みっともない姿をさらけ出していたくない。
しかしそんな、瑣末な反抗もフランスにかかればあっという間に意味を失くす。「なあに、そんなに小さくなって」やけに朗らかな声を出した男は喉の奥で笑いながら俺の耳朶を甘く噛んだ。そうして、左手で俺の腕を、右手で膝を掴むと、丸まろうとする動きをあっさり妨げてしまう。咄嗟にばたつかせた脚は履き慣れないスカートのせいで大して動かせないまま、さりげなく伸ばされた男の長い脚で押さえつけられる。
ほっそい脚、と囁いた男は、何気ない仕草で俺の脚にその手を触れさせた。抱きしめられたまま無理に動いたせいで捲れ上がったスカートの端をそっと直して、そのまま裾に指先を忍び込ませる。一度スカートで隠れた部分を爪で引っ掻いてから、今度は手の平全体で太腿を柔らかに揉むように撫でる。どこの下品な親父だと思うが、実際には浅く息を吐くことしか出来ない。
今すぐにでも立ち上がりたかったが、左腕から右腕にかけて、抱きしめるようなかたちで腕を回されてしまっては身動きもとれなかった。悔しさに唇を噛んで俯けば、こちらの表情も分からないだろうに男は困ったように笑みを零して頬に唇を触れさせてくる。宥めるようなそのやり口は卑怯としか言いようがなかった。
太腿を撫で回していた指が膝裏に回る。そうして、く、と僅かに力を入れて、脚が外に向けて開くように導かれる。途端頭に血が上って、かあ、と頬が紅潮するのが分かった。「や、……っ、だ、やめろ、」言う間にもフランスの手はこちらの脚を緩やかに動かしていく。頬に軽いキスを繰り返していた唇はいつの間にか離れていた。
かり、と耳の堅い部分に歯が立てられる。「ほら、脚開いて?」言う声に嫌だと首を振る。フランスが苦く笑う気配。諦めるのか、と一瞬思ったがまさかそんなはずはなかった。ろくでもない男は、仕方ないなあ、と呟くと更に指先にかける力を強める。大して開かないスカートの、それでも限界まで脚を開かされる羽目になった。
もう見ていられなくて、きつく目を瞑る。いやだ、いやだ、もう、こんなの。フランスの冷たい指先が膝頭から足首までをつう、と伝っていく。それに合わせて跳ねる体を、頭の芯まで腐った男はやけに気に入ったらしかった。「……ほんと、かぁわいい」耳元に低い囁きが触れて、ああもう駄目だ、と瞬間的に理解する。酔っているような、笑っているような、どことなくぼんやりとした声。こういう声を出すときのフランスはもう、何を言ったって止まらない。
こうなったら気まぐれな男の思いつきが無事終わるまでじっとしているのが一番賢くて、一番早く解放される手段かもしれないな、などと諦めが半分以上占めた頭で思う。大体ここまで好き勝手されておきながら、フランスの求めるものが何なのかはいまひとつ分からないままだ。そっと首を動かして、すぐ傍にある男の顔を見遣る。
長く顔に掛かる金糸の隙間から見えた深い青の瞳は真直ぐ前を見ていた。迷いのない色をしたその視線の先を追う。ばたばたと動いたせいで大分皺の寄ったシーツと、脱ぎ散らかされた衣服。それに、フランスがナース服やら何やらを入れてきた紙袋が、幾つか。
俺の体も、脚も、変わらず器用に押さえつけたまま、フランスは至極楽しげに近くの紙袋を引き寄せた。そうして、がさがさと音を立て、中から新しいストッキングを一足引っ張り出した。予想外のことに何度も瞬く俺に、ようやく視線に気付いたのかどうか、こちらを見たフランスが、これを忘れちゃ駄目だよね、と片目をつぶってみせる。
「下手すると伝線しちゃうし、俺がちゃんと履かせてあげるね? だから、ほら、脚伸ばして、坊ちゃん」
長い指で器用に生地をたぐった男が囁く。あまりのことに言葉が出ない。フランスはそのかたちのいい唇をこの上なく上品につり上げ、俺に首を傾げてみせる。ほら、早く。無言の、それでも確実な、急かすような、媚びるような、よくない視線。
フランスの手が、指が、またそっとふくらはぎや太腿にかかる。柔らかに揉み、爪を立てて、俺の劣情を煽っていく。どこまでも卑怯で狡い男だ。そうして俺だって、同じくらい愚かで淫らだった。逃げ出す機会なんて、いつでも作れた。馬鹿かと叱りつけて、殴りつけて、迷わず逃げればよかった。それなのに俺は、間違っていると確かに知っていたのに、ころりと騙されたふりをして男の手の上で踊ってみせる。今だって、いつだって。
ああ、だから、俺は目を伏せる。焼きつくような男の視線が瞼に降って、俺はもう完全にどこにも行けなくなったことを知る。
――失せろこの変態、と吐き捨てるはずだった言葉は、穏やかに降ってきた厚めの唇が全て吸い取って、どこかにぱっと消えてしまった。
(20110401/仏英)